第30話 「確率33.33%・永遠に3が続く」
俺の妹、わかば。
小学5年生、11歳。
あと一週間で、小学6年生になる。
進級。学年がひとつ上がる。
それはわかばに言わせると『事業の年度更新』らしい。
3月の終わり。
学校で進級式の予行があったとかで、わかばはやけにいろいろ持って帰ってきた。
新しい時間割。新しいクラス名簿。
そしていつものためにゃんの電卓。
「あおちゃん」
「ん」
「来年度の料金表をつくる」
(年度更新のたびに値上げを検討するな)
わかばはちゃぶ台に台帳を広げた。
一年分の取引の記録。
タイガの重力ビジネス。つむぎの手数料。
父さんのお疲れさまパック。じいちゃんの白髪。
ぜんぶわかばの細かい字で並んでいた。
「引き継ぎ」
「なにが」
「今年の台帳を、来年の台帳に引き継ぐ。事業は続くから」
わかばはぼーっとした顔で、ページをめくっていた。
俺はその横でコーラを飲んでいた。
飲みながらすこし考えていた。
来年のことをだ。
俺はもうすぐ高校3年生になる。
受験生だ。
塾。模試。自習室。
たぶん来年は今年みたいに、家でぼーっとしている時間はなくなる。
わかばのいちばんのお客さま。
それはたぶん俺だ。
リモコンのレンタル料。昼寝の防音手当。
麦茶の。冷蔵庫の。数えきれない。
一年間、俺はこいつにぼったくられ続けてきた。
来年はそれも減るんだろう。
(……なんで俺がちょっとさみしいんだ)
おかしな話だった。
ぼったくられなくて済むなら財布は安泰のはずだ。
なのになんだか釈然としなかった。
俺はその気持ちに蓋をしてコーラを飲んだ。
言わなければ誰にもバレない。
そう思っていた。
「あおちゃん」
「ん」
わかばが台帳から顔を上げた。
すっと目が細くなった。
(出た。あの目だ。獲物を見つけた目)
だがちがった。
今日のは財布を見る目じゃなかった。
俺の顔をまっすぐ見ていた。
「あおちゃんは来年、いそがしくなる」
「……まあ、受験だからな」
「だから心配してるんじゃないでしょ」
俺はコーラの缶を止めた。
「あおちゃんが心配なのは、来年わたしのいちばんのお客さまじゃなくなることでしょ」
……ぐと喉が鳴った。
わかばはぼーっとした顔のまま続けた。
「リモコンも。昼寝も。来年はあんまりない。だからあおちゃんは、わたしの台帳から消える。それがこわいんでしょ」
俺は何も言えなかった。
昨日まで自分でもちゃんと言葉にできていなかった。
蓋をして見ないふりをしていた。
それをこいつは台帳をめくるついでみたいに、すぱっと開けてみせた。
……刺された。
今年何回目か、もうわからない。
だがたぶん、これが今年最後の一本だった。
一年の締めくくりみたいな、いっぱつだった。
「あのな」
俺はなんとか声を出した。
「べつに消えるとか、そういうのは」
「消える」
わかばはきっぱり言った。
「ベースはこまる。あおちゃんはわたしのいちばん長いお客さまだから」
わかばは新しい台帳のいちばん上の行に何かを書きはじめた。
俺は横からのぞきこんだ。
そこにはこう書いてあった。
『あおちゃん。年間契約。いちばんのお客さま。来年も継続。解約不可』
「料金は」
俺がおそるおそる聞くと、わかばはぼーっと答えた。
「0円」
「……ゼロ?」
「うん。来年はいそがしいからお金は取らない。でも契約は切らない。たまに帰ってきてリモコン借りてくれたら、それでいい」
(こいつ……)
わかばの理屈はいつもお金からはじまる。
料金。原価。レート。減価償却。
なのにその理屈のいちばん奥のいちばん下の行に、いつもお金じゃない何かが座っていた。
今日のそれはこうだった。
来年お金が取れなくなっても。
リモコン代が0円になっても。
それでもあおちゃんとの契約だけは切りたくない。
だから料金を0円にしてでも台帳に残す。
守銭奴がいちばん長い客をつなぎとめるために、料金を自分から捨てていた。
「あおちゃん」
「ん」
「来年もわたしのこと、いちばんのお客さまにしてくれる?」
俺はコーラの最後のひとくちを飲み干した。
それからできるだけなんでもない顔で言った。
「……まあ、リモコンくらいは借りてやるよ」
「毎度ありがとうございます」
わかばはぼーっと頭を下げた。
それからちょっとだけ笑った。
その笑いはお小遣い計算のときのキラーンとはちがった。
獲物でも利益でもなかった。
たぶんただ来年も、この5階の居間に俺がいることが決まって、うれしかったんだと思う。
窓の外はもう春だった。
すずらん団地の5号棟の5階。
エレベーターのない外階段の下から、誰かの笑い声が聞こえた。
つむぎの声みたいだった。
商店街のほうから自転車のベルも鳴った。
タイガかもしれなかった。
来年、わかばは6年生になる。
きっと新しい客と、新しい料金表と、新しい台帳をつくる。
学校もクラスも変わる。
外の世界はこれからもどんどん、こいつに触れてくる。
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でもひとつだけ、変わらないものがあった。
あおばの来年の不安とわかばの新しい料金表が、年間契約0円で相殺されていた。
来年もこの団地の5階で、兄は妹にぼったくられる。
料金は0円でも。
それだけは確率100パーセントだった。
永遠に3が続くよりずっと確かな数字だった。




