第29話「わかばの誕生日と、はじめての赤字」
俺はどこにでもいる高校2年生だ。
妹の誕生日が苦手だ。
何を贈っても「これ、いくら?」と聞かれて、原価を当てられる。
その程度の報われない兄だ。
わかばの誕生日は5月の終わりにある。
今年もその日が来た。
朝、ちゃぶ台の上に母さんがケーキの箱を置いていた。
父さんは「わかばー、誕生日おめでとう」と、まだ眠そうな顔で言った。
わかばはためにゃんの電卓を片手に、ぼーっとケーキの箱を見ていた。
「ホールケーキ。4等分。一人分の原価、たぶん180円」
「お前、自分の誕生日ケーキの原価、出すな」
わかばの「YEN」がぺたと光った。
誕生日の朝から、こいつの脳内レジは稼働していた。
……今年も平常運転だった。
わかばは毎年、自分の誕生日を『年に1度の、純粋な収入日』と呼んでいた。
なぜなら、誕生日はもらう一方だからだ。
プレゼント。お祝い。ケーキ。じいちゃんの臨時ボーナス。
わかばの台帳の5月の終わりのページは、毎年収入の数字でいっぱいになる。
守銭奴にとって誕生日は、お盆と正月とボーナス日がいっぺんに来る日だった。
「あおちゃん」
「ん」
「あおちゃんのプレゼントは?」
わかばはすっと目を細めた。
獲物を見つけた目ではなく、これは『請求』の目だった。
「……まだ決めてない」
「現金でもいい」
「誕生日に妹に現金をせびられる兄が、どこにいる」
「ここにいる」
わかばは自分を指さした。
理屈の上ではたしかにここにいた。
俺はその日、バイト代の残りを握りしめて商店街に出た。
毎年、わかばのプレゼントは難航する。
おもちゃは『すぐ飽きる』と却下。
文房具は『ためにゃんのがある』と却下。
お菓子は『賞味期限という名の減価償却が早い』と却下。
去年は結局、図書カードにした。
『換金性が高い』という理由で、唯一わかばが満点をつけた贈り物だった。
商店街を歩いていると、まるやまの店先で足が止まった。
虚無ガチャ。一回100円。
わかばがずっと集めている、ためにゃんの石フィギュア。全12種。
その横に新しい貼り紙があった。
「第二弾。全12種。本日より」
俺は貼り紙をしばらく見ていた。
わかばは第一弾を去年コンプリートした。
最後の金ピカは、通りすがりの小学生が一発で当ててわかばに譲ってくれた。
わかばはそれを『自分で出したかった』と、めずらしくぼやいていた。
(……第二弾なら自分で出せる)
俺は財布の中を見た。
バイト代の残り、3000円。
ガチャ一回100円。
30回回せる。
第二弾、全12種。だがダブる。ダブりまくる。
確率を考えれば、12種を3000円で揃えるのはたぶん無理だ。
わかばなら期待値を計算して、『やめたほうがいい』と言うだろう。
俺はやめなかった。
30回回した。
手のひらに石がごろごろ溜まった。
ダブりだらけだった。
同じ顔のためにゃんが5個。つかうくんが4個。
3000円が石くれの山に変わった。
12種は揃わなかった。
揃ったのは9種だった。
(……3000円で9種。赤字だ。完全に赤字だ)
わかばの計算ならこれはお買い物の『失敗』だった。
期待値マイナス。回収不能。投資の失敗。
でも俺は、その石の山を袋に入れて持って帰った。
家に帰ると、わかばがちゃぶ台で誕生日の台帳をつけていた。
今年の収入がもう何行も並んでいた。
「あおちゃん、おかえり。プレゼントは?」
俺は石の入った袋をちゃぶ台にどさっと置いた。
わかばが袋の中をのぞいた。
しばらく動かなかった。
「……第二弾」
「ああ。9種。揃わなかった。ダブりだらけだ」
わかばは石を一個ずつちゃぶ台に並べた。
9種類。ダブりもぜんぶ並べた。
全部で30個。
わかばの指が止まった。
「あおちゃん. これ、3000円ぶん」
「ああ」
「9種で3000円。一種あたり333円。虚無ガチャの一回100円より高い」
「だろうな」
「赤字」
「ああ。赤字だ」
わかばはぼーっと石の山を見ていた。
それからぽつりと言った。
「なんでやめなかったの」
俺はすこし考えた。
それから本当のことを言った。
「お前が去年、自分で出したかったって言ってたから」
わかばが顔を上げた。
「金ピカ、人にもらったやつだったろ。お前、めずらしく悔しそうだった」
「……」
「だから今年は、お前が自分で回す前に俺が回しといた。お前が最初の一個をダブりからじゃなく、新品の山から始められるように」
わかばはしばらく何も言わなかった。
石を並べたその手が、すこしだけ震えていた。
俺はコーラのキャップを開けかけてやめた。
なんとなく今は、炭酸の音を立てる場面じゃない気がした。
「あおちゃん」
「ん」
「これ、3000円の赤字」
「ああ」
「でも、わたしの台帳につけられない」
「なんで」
わかばはためにゃんの電卓を手にとった。
「YEN」を光らせた。
それから画面をじっと見た。
「電卓に入る数字じゃない」
わかばの電卓は金額を入れる道具だった。
3000円も9種も入る。
だが『兄が妹の去年の悔しさを覚えていた』は入らなかった。
桁が足りないんじゃない。そもそもそういうボタンがない。
……刺された。
今年何回目か、もう数えていない。
だが今日のはいつもと向きが逆だった。
いつもはわかばが俺を刺す。
今日は俺が刺したらしかった。
妹に一本取った日を、俺はたぶん一生覚えている。
わかばはためにゃんのメッセンジャーバッグから、自分の貯金箱を出してきた。
ためにゃんの顔のぬいぐるみ財布。
中には誕生日にもらったお金がもう入っていた。
わかばはそこから、3000円を数えて出した。
「あおちゃん。はい」
「いらない」
「ガチャ代。返す」
「いらないって」
「もらったら赤字、消える」
わかばはぼーっとした顔のまま、3000円を差し出していた。
俺はその手を押し戻した。
「赤字は消すな」
「なんで」
「お前さ、今までいろんなやつからお金を取ってきたよな」
「うん」
「でも本当は、取った額よりずっと多く相手に返してただろ。去年の大晦日、母さんにそれを言われてた」
わかばのぼーっとした目がすこし揺れた。
「お前のはずっと黒字に見える赤字だった。今日のはその逆だ。赤字に見える黒字だ」
「……」
「だから消すな。お前の台帳のいちばん下に、消さないで置いとけ」
わかばは3000円をゆっくり貯金箱に戻した。
それからためにゃんの電卓をぺたと置いた。
商売モードオフの合図だった。
わかばは九種の石を両手ですくった。
そしていちばん上に乗っていたためにゃんの石を一個だけ、俺の手に乗せた。
「あおちゃん。これ、あげる」
「いいのか。お前のコレクションだろ」
「うん。はじめての赤字。半分こ」
俺はその石を見た。
川原の石にためにゃんの顔が雑に印刷されているだけの、100円のやつだった。
でもそれはたぶん、俺が今までもらったどんな誕生日プレゼントよりも重かった。
石なんだから当たり前なんだけど、そういう重さじゃなかった。
夜、ケーキを4等分して食べた。
わかばは自分のぶんのいちごを、なぜか俺の皿に乗せた。
「いちご、原価高いだろ。いいのか」
「うん。今日は赤字の日だから」
わかばはぼーっといちごを見送っていた。
それからちょっとだけ笑った。
守銭奴がいちばん高い原価のものを手放す顔だった。
わかばの誕生日の収入と兄のはじめての赤字は、どうやっても相殺されなかった。
プラスとマイナスが釣り合わなかったんじゃない。
そもそもちがう通貨だった。
片方は円で、片方は名前のついていない別の何かでできていた。




