第27話 商店街の福引とわかばの確率論
俺はどこにでもいる高校2年生だ。
くじ運がない。
福引で当たったためしが、生まれてこのかた一度もない。
三角くじを引けば必ず白紙が出るし、ガチャを回せばダブる。
その程度の平凡な男だ。
4月の商店街は、やけに浮かれていた。
すずらん団地前商店街。
アーケードの天井からピンクの紙の桜がぶら下がっている。
本物の桜はもう半分散っているのに、ここの桜は一年じゅう満開だ。
色あせてすこし灰色がかった満開だけど。
その下に赤い幟が立っていた。
「春の大福引・開催中」
商店街で500円買い物をするごとに、福引券が1枚もらえる。
アーケードの真んなかに8角形のガラガラが据えてあった。
回すとなかから色のついた玉が転がり出てくる、あれだ。
俺は文月堂で文庫を1冊買った。
620円。
レジでひよりさんが福引券を1枚、ぴっとちぎってくれた。
「あ。あおばさん。福引、引いていってくださいね」
「……はい」
ひよりさんはいつもの革装の本を抱えたまま、ふっと笑った。
それだけで俺の春はだいたい満開になった。
色あせてもいない本物のやつが。
(……まあ、要するに本が読みたかったわけじゃないんだが)
文庫を買う口実も、もらった福引券も、ぜんぶひよりさんと一言かわすための入場料みたいなものだ。
我ながら安い男だと思う。
620円で満開になるんだから。
ガラガラの前にわかばがいた。
ためにゃんのメッセンジャーバッグを斜めがけにして、8角形のガラガラを下からじっと見上げている。
手にはためにゃんの電卓。
すっと目が細くなった。
「あおちゃん。それ、引いちゃだめ」
「なんで」
「期待値がマイナスだから」
……出た。
わかばは福引の景品表を指でさした。
模造紙に手書きの安っぽいやつだ。
一等、商店街共通商品券1万円ぶん。
二等、お米5キロ。
三等、にしくぼの焼き鳥セット。
末等、ポケットティッシュ。
『1万円』のところで、わかばの目が一瞬キラーンと光った。
光ってすぐ、もとのぼーっとした目に戻った。
守銭奴の本能と理性が、コンマ1秒だけせめぎ合ったらしい。
「いい? あおちゃん」
わかばは電卓をぺたぺたと叩いた。
「YEN」の文字が光る。
「一等が当たる確率は3000分の1。二等は300分の1。三等は30分の1。ぜんぶ計算して、一回引いてもらえる景品の平均はだいたい80円ぶん」
「八十円」
「でも、一回引くのに500円買い物しないといけない。500円はらって80円もどってくる。差し引き420円のマイナス」
「待て。買い物はどっちみちするだろ。福引はそのおまけで」
「ちがう」
わかばの目がさらに細くなった。
獲物を見つけたときの目だ。
「おまけだと思わせて、いらないものまで買わせるのが福引のしくみ。あおちゃん、さっきの本、ほんとに620円ぶん欲しかった?」
俺は口をつぐんだ。
欲しかったのは本じゃない。
620円のうち、本そのものの値打ちはたぶん100円ぶんもなかった。
残りはぜんぶ、ひよりさんの『ふっ』の代金だ。
それはわかばの言うとおりだった。
「福引は引くだけ損」
わかばはそう言いきった。
守銭奴の結論はいつだって、地獄みたいに正しい。
「つまりお前の理屈だと、この春の大福引ってのは、商店街が客から一回420円ずつ巻き上げる合法的な集集装置ってことか」
「うん」
「アーケードの紙の桜が、急に税務署の壁に見えてきたな」
「夢は期待値に入らないから」
名言だった。
10歳が福引のガラガラの前で、夢をきっぱり経費から外した。
俺の春がちょっとだけ色あせた。
――そのときだった。
ガラガラの列の先頭にいる三つ編みに、見おぼえがあった。
つむぎちゃんだった。
丸メガネ。三つ編みの先の赤いリボン。紺のプリーツスカート。
わかばの数すくない友達のひとりだ。
つむぎちゃんは福引券を何枚も握っていた。
1枚ちぎってガラガラを回す。
からからと乾いた音がして、白い玉がころんと出た。
末等。ポケットティッシュ。
商店街のおじさんがティッシュを1個わたす。
つむぎちゃんはそれを受けとって、またつぎの券を出す。
からから。白い玉。ティッシュ。
からから。白い玉。ティッシュ。
もう5回は引いていた。
手元のティッシュが5個に積み上がっている。
律儀に角をそろえて。
わかばがぼーっとそれを見ていた。
「つむぎちゃん、計算できないのかな」
「は?」
「期待値マイナス。5回引いてぜんぶ末等。2500円はらってティッシュ5個。やめたほうがいいのに」
わかばは本気でそう言っていた。
めずらしくわかばの分析がつめたかった。
いちばんの友達のことを、ただの不合理な消費者として勘定の対象に入れていた。
……でも、俺はひっかかった。
つむぎちゃんは学級委員だ。
前にわかばが言っていた。
『つむぎちゃんは、まちがえるのがこわい子』だと。
ピアノの発表会のときもそうだった。
本番前に指がふるえて、わかばが『緊張ほぐし手数料』を取って隣にいてやった。
あの子は計算ができない子じゃない。
むしろできすぎて、いつも正解の側にいなきゃいけない子だ。
「わかば。あいつ、計算ができないんじゃなくて、計算できる上でわざと引いてるんじゃないか」
わかばがこっちを見た。
それからもう一度、つむぎちゃんを見た。
ぼーっとした目の奥のほうがすこし動いた。
歯車がかみ合いなおす音が聞こえた気がした。
つむぎちゃんはまたガラガラを回した。
白い玉。ティッシュ。6個目。
つむぎちゃんはハズレるたびにちょっと笑っていた。
くやしそうでも、かなしそうでもなかった。
なんだか息をはいたみたいなほっとした顔だった。
当たらないことに安心しているみたいな顔だった。
わかばがぽつりと言った。
「……つむぎちゃんは、当てたいんじゃない」
「え」
「はずれたいんだ」
俺はわかばの横顔を見た。
「つむぎちゃんはいつも正解しないとだめな子。学級委員。テスト。ピアノ。発表会。ぜんぶ、まちがえちゃいけない場所。ずっとつかれてる」
わかばはつむぎちゃんの6個のティッシュを見た。
「福引ははずれてもだれにもおこられない。お金はらって堂々とまちがえられる。ハズレても『残念でした』って、おじさんがやさしく言ってくれる。つむぎちゃんはそれを買ってる」
……刺された。
今年何回目かも、もう数えていない。
10歳の妹に胸の真んなかをまっすぐ撃ち抜かれるのは。
つむぎちゃんが買っていたのは、商品券でも、米でも、焼き鳥でも、ティッシュでもなかった。
『まちがえてもいい時間』を一回500円で買っていたのだ。
学級委員が唯一堂々とハズレられる場所で。
「期待値はマイナス」
わかばが言った。
「でも、わたしの計算まちがってた」
「お前が?」
「うん。景品四つだと思ってた。一等、二等、三等、末等。でもつむぎちゃんの表には五つ目があった。わたしの電卓に入ってない景品が」
わかばが自分の計算をまちがいと認めた。
たぶん生まれて初めて見た。
電卓のYENの光が、すこしばつが悪そうに見えた。
わかばはためにゃんのバッグに電卓をしまった。
それからぐらぐらの石フィギュアを1個ポケットから出して、ぎゅっと握った。
商売モードオフの合図だ。
わかばはつむぎちゃんのとなりにすっと並んだ。
「わかばちゃん。福引、引くの?」
「ううん。わたしは引かない。期待値マイナスだから」
「……だよね」
つむぎちゃんがちょっとわらった。
さびしそうな笑い方だった。
きっと、こう言われるのには慣れている。
正しいことを言われるのには慣れている。
「でも、つむぎちゃんが引くのここで見てる」
つむぎちゃんがわかばを見た。
丸メガネの奥の目がすこしまるくなった。
「……見てて、たのしい?」
「ううん。ぜんぜんたのしくない」
わかばはぼーっと言った。
「でも、ひとりではずれるより、ふたりではずれるほうがいい。そういうのは期待値に入ってないけど」
つむぎちゃんはしばらく黙っていた。
メガネの奥がちょっとぬれて光った気がした。
それから福引券をもう1枚ちぎった。
ガラガラを回した。
からから。白い玉。ポケットティッシュ。7個目。
つむぎちゃんはそれをわかばにわたした。
「はい。これ、わかばちゃんのぶん。さっき計算してくれたお礼」
わかばはティッシュを両手で受けとった。
ためにゃんの顔が印刷されたいちばん安いやつだ。
守銭奴が、期待値マイナスの福引から出たティッシュを、虚無ガチャの石フィギュアとおなじ手つきで両手で受けとっていた。
俺もひよりさんにもらった券で、一回だけ引いた。
からから。白い玉. ポケットティッシュ。
ハズレだった。
やっぱりくじ運はない。
それでもわりと平気だった。
となりで小五がふたり、そろってハズレを宝物にしているのを見たあとだと、ハズレがそんなに悪いものに思えなくなる。
ティッシュをポケットに入れて俺はすこし笑った。
帰り道。
わかばはためにゃんのティッシュを、メッセンジャーバッグのいちばん奥のポケットにしまっていた。
石フィギュアとおなじ場所だった。
値段のつかないものをしまう場所。
「あおちゃん」
「ん」
わかばはぼーっとアーケードの天井を見上げた。
色あせた紙の桜がエアコンの風にかさかさ揺れていた。
「福引の景品、五つ目は値段ついてない。だから期待値に入れられない。でもたぶん、いちばん高い」
俺はなにも言えなかった。
つむぎの7個目のティッシュとわかばの確率論が、ハズレ一回で相殺されていた。
だがその一回のハズレがつむぎに渡していたのは、ティッシュなんかじゃなかった。
まちがえてもだれもおこらない、春の午後だった。




