第19話 「祖父の年賀状と、宛名書き代行」
俺はどこにでもいる高校一年生だ。
特技もない。取り柄もない。
最近、家の十歳児が、2駅向こうの祖父母の家に毎週通うようになった。
その付き添いをさせられている兄である。
先々週、わかばは祖母に「『ときめき★恋』の話、来週、聞きに来る」と言った。
月500円で。
だから今週も、その続きを聞きに行くのだと思っていた。
12月の、よく晴れた日曜だった。
電車を降りると、改札の風が、首の後ろに冷たかった。
住宅街を歩く。
じいちゃんの家の庭の椿は、寒さですこし縮こまっていた。
玄関を開けると、いつもなら下駄をつっかけて出てくるじいちゃんが、出てこなかった。
「あれ。じいちゃんは?」
奥からばあちゃんが顔を出した。
今日のばあちゃんは、堂々と『ときめき★恋』を抱えていた。
先々週、隠すのをやめたらしい。
「あらまあ、いらっしゃい。お爺ちゃんはね、奥で、唸っとるよ」
「唸ってる?」
「年賀状。毎年この時期は、ああやって唸るの」
硝子戸は、内側が白く曇っていた。
座敷の隅で、火鉢が、ぱち、と鳴った。
居間の奥の座卓の前に、じいちゃんがいた。
老眼鏡をかけて、年賀状の束を前に、うんうん、と唸っている。
手元には古い住所録。
ページの角が、丸くなっていた。
すでに書き終えた年賀状が、2枚。
だが、宛名の字が震えていた。
「様」の字が、半分にじんでいる。
「じいちゃん。なにしてるの」
「おう、来たか。年賀状よ。これがな、近ごろ、手がいかんのだ」
じいちゃんは右手を、ひらひら、と振ってみせた。
たしかに、すこし震えていた。
歳を取ると、まず手の先から来るらしい。
わかばはじいちゃんの隣に座った。
住所録を、じっと見た。
すっ、と目が細くなった。
獲物を見つけたとき、わかばがするあの目だった。
「じいちゃん。宛名書き代行」
「は?」
「宛名、わたしが書く。1枚、10円」
じいちゃんは老眼鏡の奥で、目を、ぱちくり、とさせた。
それから、にやり、と笑った。
千円札を渡すときの、あのドヤ顔の、親戚みたいな顔だった。
「ほーれ。なら、1枚、100円で、どうじゃ」
「だめ」
「200円でも、ええぞ」
「だめ。10円」
「なんでじゃ。じいちゃんは、もっと払いたいんじゃ」
「払いすぎると、じいちゃんが来年もたくさん書く。手が、もっと疲れる。だから、10円」
じいちゃんは、むう、と黙った。
俺は感心した。
こいつは客の体力を、絶妙に読む。
じいちゃんに大金を払わせて、来年むりに年賀状を増やされたら、本末転倒だ。
だから、あえて安くする。
守銭奴のくせに、こういうところだけ、妙に正しい。
わかばはためにゃんの電卓を、座卓の脇に置いた。
今日はそれを叩かなかった。
代わりに、筆ペンを握った。
じいちゃんが住所録を開いた。
1ページ目から、名前が並んでいた。
だが、その半分くらいに、赤い線が引かれていた。
横一文字に、すっ、と。
「じいちゃん。この赤い線、なに」
じいちゃんはしばらく、住所録を見ていた。
「ああ。それはな。もう、おらん人たちじゃ」
「おらん?」
「亡くなった。引っ越して、わからんようになった。そういう人らに、線を引いとる」
わかばは赤い線を、指でなぞった。
じいちゃんは、ひとつずつ教えてくれた。
「これは、囲碁仲間の田中さん。3年前にな」
「うん」
「これは、昔の職場の上司。去年の暮れに」
「うん」
「これは……これは、わしの兄貴じゃ」
じいちゃんの指が、その名前の上で、すこし止まった。
赤い線の引かれていない名前は、もう10個もなかった。
わかばはその10個に満たない名前を、ひとつずつ、ていねいに書いていった。
震えのない、まっすぐな字で。
「様」の字も、きれいにはらった。
最後に、1つ名前が残った。
赤い線は引かれていない。
だが、その横に小さく、鉛筆で「?」と書いてあった。
「じいちゃん。この、はてなマーク、なに」
じいちゃんはその名前を見た。
「ああ。これはな。戦友の、佐久間じゃ」
「せんゆう?」
「若いころ、いっしょに苦労した友達よ。もう、何十年も会うとらん」
「赤い線、引かないの?」
「引けんのよ」
じいちゃんは湯呑みを、ひとくちすすった。
「毎年、年賀状を出しとる。佐久間の最後の住所に。じゃが、返事は来ん」
「うん」
「ただな。戻っても来んのじゃ。宛先不明で戻ってきたら、ああ、もうおらんのやな、とわかる。じゃが、戻ってこん。ということは、まだ、あの住所におるのかもしれん」
わかばはじっと、その名前を見ていた。
「だから、赤い線、引けないの?」
「引いてしまうとな。佐久間が、ほんとうにおらんようになる、気がしてな」
わかばは筆ペンを握り直した。
佐久間さんの名前を書いた。
いちばん、ていねいに書いた。
それから、じいちゃんを見た。
「じいちゃん。この1枚だけ、料金がちがう」
「ん?」
「100円」
「ほかは、10円なのに?」
「うん。この1枚は、特別」
「なんでじゃ」
わかばはぼーっとした顔で言った。
「ほへの年賀状は、届く。この1枚は、届くか、わからん。届くか、わからん年賀状を書くのが、いちばんむずかしい仕事。だから、100円」
じいちゃんはしばらく、わかばの顔を見ていた。
それから、ふところから財布を出した。
震える手で100円玉を1枚つまんで、わかばの手のひらに置いた。
いつもの千円札の、ドヤ顔はなかった。
代わりに、すこし泣きそうな笑い方をしていた。
「ありがとうな、わかば」
「うん」
そこへ、ばあちゃんがお茶を運んできた。
『ときめき★恋』を、小脇に抱えたままで。
「あらまあ。お爺ちゃん、年賀状、終わった?」
「おう。わかばに、手伝うてもろた」
「よかったねえ」
ばあちゃんは、にこにこ、しながら、じいちゃんの隣に座った。
それから、じいちゃんの肩にひざ掛けを、ぽん、と置いた。
じいちゃんは、されるがままに、なっていた。
同じ座卓に、夫婦が並ぶのを、俺は、たぶんはじめて見た。
帰り道、わかばはためにゃんの電卓を、ぺた、と1回叩いた。
「YEN」が光った。
今日の売上は、宛名書き代行が、ぜんぶで180円。
だが、わかばの顔は、いつもの誇らしげな顔ではなかった。
「あおちゃん」
「ん」
「じいちゃんの年賀状は、読まれるための年賀状じゃない」
「うん」
「届く年賀状は、安い。届かないかもしれない年賀状が、いちばん、高い」
「……」
「いちばん高い年賀状は、いちばん返事が来ないやつ」
……刺された。今年もまた。
帰りの電車の中で、わかばはためにゃんの石フィギュアをポケットから取り出して、座席の膝に乗せていた。
商売モードオフの合図だった。
たぶん来年も、じいちゃんの宛名を、本気で書きに行くつもりらしかった。
夕方の駅に着いた。
改札を出ると、商店街の方角から5時のチャイムが鳴った。
今年、最後のほうのチャイムだった。
その180円の半分以上が、まだ、どこかへ向かう1枚ぶんだった。
祖父の年賀状と、孫の宛名書き代行が、180円のレートで取引されていた。
――第十九話 了




