第11話「茶髪の常連と、麦茶のサブスク料」
俺にも、一応、友達はいる。
そのことを、わざわざ強調しなければならないあたりが、すでに、少し悲しい。だが、事実だ。同じクラスのレンという男で、茶髪に、ベージュのフーディーを着た、軽いノリのやつだ。手には、いつも、スマホ。俺とは、漫画とゲームの趣味が合う。たまに、こうして、うちに遊びにくる。(こんな、エレベーターもない団地の五階まで、わざわざ階段を上ってきてくれる。それだけで、こいつは、得難い友人だと思う。)
その日も、レンは、うちのちゃぶ台で、だらだらと、ゲームをしていた。
「あー、暑い。あおば、なんか飲みもんない?」
「麦茶でいいか。冷蔵庫に、ポットで作ってある」
「さんきゅー。気が利くー」
俺は、台所に立って、コップに麦茶を注いだ。氷も入れてやる。我ながら、もてなしの心がある。友達というのは、こうして、気軽に飲み物を出し合える関係のことを言うのだ。そこに、お金なんて、関係ない。
居間のほうから、わかばが、ぼそりと、声をかけてきた。
「あおちゃん。お客さん?」
「ああ。レンだ。前にも、何回か来てるだろ」
「ふうん」
わかばは、それきり、黙った。だが、その「ふうん」の温度が、いつもと、少しちがった。何か、値踏みするような、響き。嫌な予感が、背中を、かすめた。
そう、思っていた。
コップを、レンの前に置いた、その瞬間だった。
すっ、と、横から、小さな手が伸びてきた。
わかばだった。いつの間にか、ちゃぶ台の脇に、正座している。手には、例の電卓。液晶の横に貼られた、ためにゃんのシールが、こちらを見ている。
「お客さま。麦茶、一杯、八十円」
レンの動きが、止まった。コップに伸ばしかけた手が、宙で、止まっている。
「……えっと。あおばの、妹ちゃん?」
「うん。会計、担当」
「会計?」
俺は、慌てて、間に入った。
「気にするな、レン。こいつの、いつもの遊びだ。麦茶くらい、タダだ。飲め飲め」
「タダじゃ、ない」
わかばは、ぼーっとした顔のまま、きっぱりと言った。
「あおちゃんは、家族。家族には、家庭内レートが、適用される。でも、レンさんは、外部の人。お客さま価格」
「お客さま価格?」
「うん。よそ様には、よそ様の、お値段」
俺は、頭を抱えた。
こいつは、家族と、客とで、料金体系を、分けていた。俺からむしり取るときは「家庭内レート」、外から来た客には「お客さま価格」。いつの間に、そんな二重価格を、整備していたんだ。商売の手口だけは、どんどん、本格的になっていく。(学校の授業で、ここまで実践的な経済を教えてくれたら、日本の未来も、少しは明るいだろうに。)
レンは、しかし、嫌な顔を、しなかった。むしろ、面白がるように、にやりと笑った。
「へえ。妹ちゃん、商売上手じゃん。いいよ、八十円。払う払う」
そう言って、財布から、百円玉を、取り出した。
「待て、レン。払うな。客から金を取る家が、どこにある」
「いいって。なんか、面白いし。妹ちゃんのこづかいに、なるなら」
レンは、軽い。こういう、細かいことを気にしない、おおらかな性格だ。だが、その、おおらかさが、一番危ない。こいつは、わかばという生き物の、恐ろしさを、まだ、知らない。一杯八十円が、どこへ向かうのかを。
わかばは、レンの百円玉を受け取り、二十円のおつりを、几帳面に、返した。そして、ぼーっとした顔のまま、ぽつりと、言った。
「レンさん。よく、来る?」
「ん? まあ、ちょくちょく来るかな。あおばと、ゲームするし」
「常連さん」
「常連?」
わかばの目が、すっ、と、細くなった。
来た、と思った。この目が出ると、長い。獲物を、見定める目だ。レンは、知らないうちに、わかばの「常連客」に、認定されていた。
わかばは、しばらく、レンを、じっと観察していた。来訪の頻度、飲む量、財布の厚み。新規顧客の、与信審査でもしているのか。小学四年生の視線とは思えない、値踏みの圧があった。
やがて、結論が出たらしい。
「常連さんには、お得な、プランが、あります」
わかばは、ちゃぶ台の上に、一枚の紙を、すっと滑らせた。几帳面な定規の線。鉛筆の、丁寧な字。
『すずらん団地 五号棟 麦茶サブスクリプション ご案内』
都度払い……一杯、八十円
月額プラン……五百円(飲み放題)
「サブスク?」
レンが、紙を、覗き込んだ。
「都度払いだと、一杯八十円。でも、月に七回以上来るなら、月額五百円の、飲み放題のほうが、お得」
「おお、ほんとだ。確かに、お得だな」
「待て、レン。乗るな。それは、罠だ」
俺は、必死で、止めた。サブスクリプションの恐ろしさを、こいつは、わかっていない。月額プランというのは、使わなくても、金が出ていく仕組みだ。一度入ったら、解約を忘れて、ずるずると、払い続ける。世の中の、あらゆる定額サービスが、その「忘れ」で、儲けている。
「いやいや、あおば。俺、わりと来るしさ。五百円で飲み放題なら、得じゃん」
「来ない月も、五百円取られるんだぞ。それが、サブスクだ」
「えー、でも、いらなくなったら、解約すればよくない?」
解約。さらりと、レンは言った。だが、俺には、わかっていた。この家のサブスクに、そんな簡単な出口が、用意されているはずがない。
「わかば。これ、解約って、できるのか」
「できる。解約手数料、五百円」
「一か月ぶんと、同じじゃねえか」
抜けるのにも、ひと月ぶん。入っても、出ても、五百円。どこかで聞いた仕組みだ。この子の商売は、どの扉を開けても、最後は、同じ金額が請求されるように、できている。
サブスクリプションというのは、人間の「もったいない」という心理を、的確に突いてくる仕組みだ。月額を払っている以上、元を取らなければ、損をした気分になる。だから、たいして飲みたくもない麦茶を、わざわざ飲みに来る。来れば来るほど、わかばの家に、足が向く。客を、定期的に通わせる、巧妙な罠だ。
気づけば、レンは、我が家の常連であると同時に、わかばの安定収入源に、なっている。
「あー……まあ、でも、来るっしょ。たぶん」
レンは、笑いながら、月額プランの欄を、指さした。
「妹ちゃん、これで。月額プラン、入るわ」
わかばの目の奥に、明かりが、灯った。お金の匂いを嗅ぎつけたときの、あのキラーンだ。家族の俺だけでなく、ついに、外部からも、継続的に収入を得る仕組みを、手に入れた瞬間だった。新規顧客の、サブスク契約。守銭奴にとって、これ以上の獲物は、ない。
「ありがとう、ございます。契約成立」
わかばは、ぺこり、と頭を下げた。そして、レンから、五百円玉を受け取ると、それを、大事そうに、しまった。
「では、レンさん。さっそく、一杯、どうぞ」
「お、サンキュー。飲み放題だもんな」
レンは、上機嫌で、麦茶を、ぐいっと飲んだ。
「ぷはー。うまい。やっぱ、夏は麦茶だな。あおばんち、麦茶うまいよなー。なんか、得した気分」
得した気分、と本人は言う。だが、五百円を払って、目の前の一杯。この一杯を、八十円の都度払いで七回ぶん飲むには、あと六回、この坂を上って、五階まで来なければならない。元を取るのが、そもそも、ひと苦労なのだ。
俺は、その光景を、横で、ただ、見ていた。
哀れな子羊が、一匹、我が家の経済圏に、迷い込んできた。そして、自分から、首輪を、つけてもらった。本人は、得をした顔で、麦茶を飲んでいる。月に七回以上来れば得、という、その「七回」のハードルが、どれだけ高いか、まだ気づいていない。
それにしても、と、俺は思う。さっきまで、ただ遊びに来た友達だったレンが、わかばの一言で「お客さま」になり、「常連」になり、ついに「契約者」になった。たった、麦茶一杯のあいだの、出来事だ。人間関係を、片端から、契約関係に変換していく。この子の手にかかると、友情ですら、見込み客の名簿に、書き換えられる。
だが、まあ、いい。レンは、楽しそうだ。わかばも、儲かって、満足そうだ。被害者の顔を、している人間が、一人もいない。これは、これで、平和なのかもしれない。
そう、思いかけた。
レンが、二杯目の麦茶を、注ごうとして、ポットを傾けた。
「あれ。もう、空っぽだ」
ポットは、空に、なっていた。さっき、俺がレンに注いだのと、わかばが客に出したぶんで、今日のぶんは、もう、終わりらしい。
「わかば。麦茶、もうないぞ。作り足すか?」
わかばは、ぼーっとした顔のまま、首を、横に振った。
そして、また、一枚の紙を、すっと、出した。
『※麦茶の在庫がなくなり次第、本日の提供を終了します。翌日分は、翌日の補充をお待ちください。』
「飲み放題、なんじゃないのか?」
レンが、きょとんと、した。
わかばは、こくり、とうなずいて、言った。
「飲み放題。でも、ある分だけ。ない麦茶は、飲めない」
「いや、それじゃ、ただの、品切れだろ」
「飲み放題と、品切れは、両立する」
名言のように言い切ったが、字面だけ取り出せば、ただの、屁理屈だ。
「あおちゃん」
「なんだ」
「麦茶、明日のぶん、作っておいて。お客さまが、来るから」
「なんで、俺が、おまえの商売の、仕込みをするんだ」
「家族割。あおちゃんは、特別に、無料で、手伝える」
「それ、ぜんぜん、割引じゃないだろ。タダ働きだろ」
わかばは、聞いていなかった。すでに、ためにゃんのシールが貼られた電卓を取り出して、今日の売上を、ぺた、ぺた、と、集計し始めている。
レンは、五百円を払って、まだ、一杯しか、飲んでいない。
その、一杯しか飲んでいない常連客の顔を見て、俺は、ようやく、安心した。よかった。レンも、ちゃんと、我が家の被害者に、なった。一人だけ得をするなんて、この家では、許されない。
帰り際、レンは、玄関で、にかっと笑って、言った。
「妹ちゃん、おもしれー。あおば、いい妹いるじゃん。また来るわ」
また来る、と、こいつは言った。月額プランの、元を取るために。わかばの思惑どおり、常連は、また、この五階の坂を、上ってくる。
ドアが閉まったあと、わかばが、ぼそりと、つぶやいた。
「いいお客さま」
友達を、客と呼ぶな、とは、もう、言わなかった。言ったところで、こいつの辞書では、たぶん、同じ意味なのだ。
平和とは、こういうものだ。
第十一話 了




