10.5話「虚無ガチャと、全12種コンプ作戦」
夏休みも、残りわずかという、午後だった。
セミの声に、少しだけ、力がなくなってきている。商店街のアーケードの下を、わかばが、俺の手を引いて、ずんずん歩いていく。普段は省エネで、自分から動くことなど滅多にないこいつが、今日は、妙に、足取りが速い。
連れていかれたのは、商店街の角にある、古いおもちゃ屋だった。「まるやま」と、色の褪せた看板が出ている。その店頭に、一台の、ガチャガチャの機械が、ぽつんと置いてあった。
機械の本体に、黒い太字で、こう書いてある。
『虚無』
「……おい。なんだ、この、不穏な二文字は」
ガチャの機械に「虚無」と書いてある光景を、俺は、生まれて初めて見た。普通、こういう機械には、目に痛いほどカラフルなキャラクターが、これでもかと描かれているものだ。なのに、この機械には、墨で書いたような「虚無」の二文字だけが、でん、と鎮座している。(誰だ、こんな悟りきったネーミングを、子ども向けのおもちゃに付けたのは。)
機械の上には、手書きのポスターが、貼ってあった。
『集めれば、たぶん、なにかある。』
「たぶんって、なんだ。たぶんって。集めても、なにもないかもしれないってことだろ、それ」
わかばは、俺のツッコミを、まるごと無視して、機械を、じっと見上げていた。
その目が、いつもの、お金の匂いを嗅ぎつけたときとは、少し、ちがう。もっと、こう――信仰に近い、何かだった。
「あおちゃん。これ、ためにゃんの、ガチャ」
わかばは、おもむろに、肩から提げていた小さな手提げを開けた。中から出てきたのは、小箱だった。蓋を開けると、中に、平たい石が、行儀よく、十一個、並んでいる。
石、だった。
どう見ても、川原に落ちている、ただの石だ。五百円玉くらいの大きさで、平たくて、灰色。その表面に、ためにゃんやら、見覚えのない動物やらの顔が、雑に、印刷されている。
「……これ、何だ」
「ためにゃんの、石フィギュア。もう、十一種類、集めた」
俺は、その中から、一個、つまみ上げた。
ずしり、と、手に重みが来た。妙に、重い。石なのだから、当たり前なのだが、その当たり前の重さが、なんだか、こたえた。フィギュアという言葉から想像される、軽やかなプラスチックの感触は、どこにもない。これは、ただの、石だ。
「わかば。落ち着いて聞け。これ、ただの石だぞ」
「ちがう。ためにゃんの、石」
「いや、石だ。顔が、印刷されてるだけの、石だ。河原で拾ってきても、たぶん、誰も気づかない」
「ちがう。公式の、石」
会話が、成立しない。
こいつの中では、これは「ためにゃんの石フィギュア」であって、断じて、ただの石ではないらしい。顔が印刷されているという、その一点だけで、ただの石が、公式グッズに昇格している。印刷代ぶんだけ、付加価値がついた、ということか。商売としては、悪魔的に、上手い。(顔を刷るだけで、河原の石が、公式グッズに化ける。錬金術より、たちが悪い。)
「で、これ、一個いくらなんだ」
「百円」
「石ころが、百円?」
「うん。一回、百円」
俺は、めまいがした。
つまり、こうだ。この機械に百円を入れると、河原の石に、ためにゃんの顔を印刷したものが、一個出てくる。それが、十二種類ある。わかばは、すでに、十一種類を、集めている。
ということは、最低でも、千百円。いや、ダブりも出ているはずだから、もっとだ。
「おまえ……これに、いくら使った」
わかばは、答えなかった。代わりに、手提げから、ためにゃんのがま口を、取り出した。
振ってみせる。
かしゃ、と、心もとない音が、した。トマト色の本体に、金の留め金。あの、夏のはじめには、小銭で口がぱんぱんに膨らんで、留め金が閉まりきらないほどだった。それが今、振ると、数枚ぶんの、軽い音しか、しない。守銭奴ネコの腹も、すっかり、しぼんでいた。
「あと、一種類。シークレットの、ためにゃん。金ピカの。それだけ、出ない」
わかばは、ぼそりと言った。
「封入率、一パーセント。百回に、一回」
「百回って、一万円だぞ。石ころに、一万円」
「ためにゃんに、一万円」
訂正された。
わかばは、財布から、百円玉を、一枚、取り出した。そして、機械の投入口に、ちゃり、と、入れる。つまみを、ぐるりと、回した。
がこん、と、カプセルが、落ちてきた。
わかばは、それを、両手で、大事そうに拾い上げ、蓋を開けた。中から、平たい石が、ころりと出てくる。
その石には、何も、印刷されていなかった。
ただの、白い石だった。
「……あ」
わかばの動きが、止まった。
「あおちゃん。これ……『???』」
「は?」
「十二種類のうち、いちばん下。顔が、ない。ただの、白い石。公式の、表記は……『ためにゃん科の、新種』」
俺は、思わず、その白い石を、覗き込んだ。
確かに、何も、印刷されていない。ためにゃんも、仲間も、いない。ただ、つるりとした、白い石。それを、おもちゃ屋は「ためにゃん科の新種」と、言い張っているらしい。新種と言えば聞こえはいいが、要するに、印刷を忘れた不良品を、レア風に偽装しているだけだ。
「いちばん、いらないやつ。なのに、よく、出る」
わかばの目が、すっ、と、細くなった。
その目には、もう、信仰の光はなかった。代わりにあったのは、何か、深い、虚無を覗き込む者の、静かな絶望だった。十歳の子どもが、こんな目をしていいのか。
わかばは、もう一枚、百円玉を入れた。回す。がこん。蓋を開ける。
白い石だった。
二個目の、白い石。
「……また、新種」
「新種、増えすぎだろ」
わかばは、無言で、もう一枚、百円玉を入れた。回す。がこん。
今度は、何かの顔が、印刷されていた。おにぎりを抱えた、垂れ耳の犬。
「つかうくん……ダブり」
すでに持っている種類だった。三百円を使って、収穫は、白い石が二個と、ダブりが一個。手元には、何も、増えていない。正確には、白い石という名の、新種が、二個、増えた。
俺は、その光景を、横で、ただ、見ていた。
考えてみてほしい。百円を入れて、出てくるのは、石だ。それも、半分くらいの確率で、顔すら印刷されていない、白い石。価値は、ゼロ。百円払って価値ゼロを受け取るのだから、差し引き、マイナス百円。期待値は、底なしに沈んでいる。
これを、ギャンブルと呼ぶには、夢がなさすぎる。賭場なら、たまには、当たる。だが、ここで当たっても、出てくるのは、顔の印刷された石だ。当たっても、石。外れても、石。勝っても負けても、最後に残るのは、ずしりと重い、河原の石ころの山。(負けても石が増えるぶん、本物の賭博より、物理的に重い。)
虚無に、金を払っている。
これほど、その看板が、正確に、商品を言い表している店も、ない。誇大広告の正反対だ。「虚無」と書いて、本当に、虚無を売っている。誠実すぎて、もはや、罪だ。
だが、奇妙なことに、わかばは、止まらなかった。
普段のこいつは、一円にも、執念深い。俺からは一円残らず取り立てるくせに、自分の財布からは、絶対に、無駄金を出さない。その守銭奴が、ここでは、湯水のように、百円玉を、虚無に、捧げている。
ためにゃんは、わかばの、聖域だった。
金にシビアなこいつが、唯一、損得勘定を投げ捨てる場所。お小遣いが、虚無に変わっていくのを、本人も、たぶん、わかっている。わかっていて、止められない。これは、もう、収集ではない。信仰だ。
「あおちゃん」
わかばが、四枚目の百円玉を握りしめて、ぽつりと言った。
「最後の一個、出るまで、回す」
「やめとけ。金が、なくなるぞ」
「でも、あと、一個」
「その『あと一個』が、いちばん高くつくんだ。世の中の、賭け事ってのは、ぜんぶ、そうやって……」
俺の説教を、わかばは、聞いていなかった。
ちょうど、そのとき。
横から、別の小学生が、ひょっこり、現れた。知らない、男の子だ。日に焼けて、半袖から出た腕が、まっ黒に光っている。いかにも、夏を、外で遊び倒した、健康な子どもだった。
男の子は、ポケットから、無造作に、百円玉を一枚取り出すと、機械に入れ、つまみを、がちゃりと回した。
一回だけ。
がこん、と、カプセルが落ちる。男の子は、それを拾い、蓋を開けた。
ぴかり、と、何かが、光った。
金色だった。
金箔で、ぜんぶ、塗られた石。その表面に、ためにゃんの顔。半分眠そうな目が、金色に、輝いている。
シークレット。封入率、一パーセントの、金ピカのためにゃん。
わかばが、握っていた百円玉を、落とした。ちゃり、と、地面で、音がした。
一発だった。男の子は、たった一回、百円を入れただけで、わかばが何千円積んでも出なかった、最後の一個を、引き当てた。
わかばは、固まったまま、その金色の石を、見つめていた。表情は、いつもの、ぼーっとした顔だった。だが、その顔の奥が、音もなく、崩れていくのが、横にいる俺には、わかった。
男の子は、金ピカの石を、しげしげと眺めて、それから、つまらなそうに、言った。
「あ、これ、いらないや」
そして、わかばのほうを見て、無造作に、その石を、差し出した。
「お姉ちゃん、ためにゃん好きなの? あげる」
わかばの手のひらに、金色の石が、ぽとりと、乗った。
男の子は、もう、こちらに興味をなくしたように、たたっと、走り去っていった。日に焼けた背中が、アーケードの向こうに、消えていく。
後には、俺と、わかばと、金ピカのためにゃんが、残された。
全十二種、コンプリート、達成だった。
わかばは、金色の石を、手のひらに乗せたまま、しばらく、動かなかった。
俺は、ほっとした。よかった。これで、最後の一個が、手に入った。何千円ぶんかは知らないが、こいつの夏の執念が、ようやく、報われた。そう、思った。
だが、わかばの目に、光は、灯らなかった。
いつも、お金が絡むと、きらりと光る、あの目。料金表を出すときの、生き生きとした目。それが、今は、どこにもなかった。手のひらの上の、金ピカのためにゃんを見つめる目は、ただ、しずかに、しおれていた。
「……ほしかったの、これだろ。よかったじゃないか」
俺が言うと、わかばは、首を、ゆっくり、横に振った。
「ちがう」
「ちがうって……コンプ、できたんだぞ」
「自分で、出したかった」
ぽつり、と、言った。
その一言で、俺は、ようやく、気づいた。
こいつは、十二種類の石が、欲しかったんじゃ、なかった。金色の石が、欲しかったんじゃ、なかった。自分の手で、百円玉を入れて、自分の手で、つまみを回して、自分の手で、それを、引き当てる。その、一連の過程が、欲しかったのだ。
集めていたのは、石じゃない。回した手の、記憶だった。
人からもらった金ピカは、最後の枠こそ埋めてくれる。だが、その枠に、わかばの夏の時間は、入っていない。誰かが引き当てた、ずしりと重いだけの石。それは、わかばにとって、ただの石以下の、何かだった。
皮肉な話だ。「集めれば、たぶん、なにかある」という、あのいい加減なコピー。あれは、案外、正しかった。集めた先にあったのは、金色の石ではなく、こいつの、こんな顔だった。
帰り道。
わかばは、ずっと、黙っていた。手提げの中で、十二個の石が、歩くたびに、ごとごとと、重い音を立てている。その音だけが、夕方の商店街に、響いていた。
途中で、わかばが、ふと、足を止めた。
そして、手提げから、一枚の、チラシを取り出した。さっき、まるやまの店頭で、もらってきたものらしい。
『新シリーズ予告! ためにゃん科の新種・全12種、近日登場!』
そのチラシの、いちばん上。新シリーズの、一番として、堂々と描かれていたのは――
何も印刷されていない、白い石だった。
あの、最ハズレ。よく出る、顔のない石。それが、新シリーズでは、晴れて、ナンバーワンの、レギュラーキャラに、昇格していた。
わかばの目が、すっ、と、細くなった。
その目の奥に、ゆっくりと、あの光が、戻ってくるのが、わかった。お金と、ためにゃんが、同時に絡んだときの、あの「キラーン」だ。さっきまで、しおれていた瞳に、もう、次の戦いを見据える、執念の火が、灯り始めている。
「あおちゃん。次の、シリーズ……」
「待て。言うな。聞きたくない」
俺は、それ以上、何も聞かずに、ポケットから、コーラを取り出した。さっき、自販機で買って、ぬるくなりかけていたやつだ。
ぷしゅ、と、栓を開ける。
気の抜けかけた、甘い炭酸が、喉を、通っていく。
わが家の夏は、終わった。だが、こいつの虚無への旅は、まだ、始まったばかり、らしい。
第十・五話 了




