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すずらん団地五号棟 〜わかばとお小遣いと、時々ちくわ〜  作者: 夕凪 鏡介


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第10話「夏の終わりと、宿題の価格カルテル」

挿絵(By みてみん)


夏休みも、残り三日になった。


夕方の風に、少しだけ、秋の匂いが混じり始めている。商店街のスピーカーから流れる音楽も、いつのまにか、夏祭りの曲ではなくなっていた。セミの声が、心なしか、まばらだ。夏が、終わろうとしている。


そして、夏の終わりといえば、相場が決まっている。


宿題だ。


居間のこたつに、わかばの宿題が、山のように積まれていた。算数のドリル。漢字の書き取り。読書感想文。絵日記。自由研究。一学期ぶんの宿題が、まるごと、手つかずで残っている。


わかばは、その山を前に、こたつの上で、点になっていた。膝を抱えて、ぼーっと、宿題の山を眺めている。眺めるだけでは、一文字も、進まない。


山のてっぺんには、まっさらな絵日記帳が、開きもされずに載っていた。三十一日ぶんの空欄。一日も、書かれていない。夏の記録という名の、巨大な空白だ。一学期のあいだ、こいつが何をしていたかというと、もちろん、俺から金を巻き上げる仕事に、忙しかったわけだ。本業が、宿題を、圧迫していた。


「……おまえ、宿題、ぜんぜんやってないのか」


「うん」


「あと三日だぞ。終わるのか、それ」


「終わらない。たぶん」


あっさり、白旗を上げた。お金の計算のときは、あれほど鬼のように頭が回るくせに、こと宿題に関しては、完全に、戦意を喪失している。興味のないことには、一切のエネルギーを使わない。徹底した、省エネ主義者だ。


俺は、ふと、思いついた。


これは――商機ではないか?


自分でも、目の奥が、きらりと光るのが分かった。いつも、わかばが電卓を構えるときに浮かべる、あの「キラーン」。あれが、今、俺の顔に出ている気がした。(毎日見せられていると、こういうものは、伝染するらしい。)


いつもは、こいつに、一方的にむしり取られている。高所手当。レンタル料。回収業務。あらゆる名目で、俺の財布は薄くなってきた。だが、今回ばかりは、立場が逆だ。困っているのは、わかばのほうだ。困っている人間からは、対価を取れる。それが、こいつが俺に、嫌というほど教えてくれた、世の中の仕組みだった。


「わかば。その宿題、俺が手伝ってやろうか」


我ながら、悪い顔をしている自覚は、あった。だが、これは正当な取引だ。教わったことを、教えた本人に、返すだけ。需要のあるところに、対価が生まれる。困っている者から、しっかり頂く。こいつが、毎日、実演してくれた経済の理だ。


弟子が、師匠を、超える瞬間かもしれない。俺は、ひそかに、武者震いしていた。


「ただし、タダじゃない。一教科につき、百円。どうだ」


わかばは、ぼーっとした顔のまま、俺を見上げた。


そして、おもむろに、例の電卓を取り出した。液晶の横で、ためにゃんが、半分眠そうな目を、こちらに向けている。


来た、と思った。だが、今日は、こちらが請求する側だ。いつもの逆。電卓を構えるのは、俺の役目のはずだった。


わかばは、ぺた、ぺた、と、電卓を叩いた。


そして、液晶を、すっと、こちらに向けた。


『0』


「……なんだ、これ」


「あおちゃんの、手伝い。一教科、ゼロ円」


「いや、百円って言っただろ。なんで勝手にゼロにするんだ」


わかばは、ぼーっとした顔のまま、こたつの上に、一枚の紙を、すっと置いた。几帳面な定規の線。鉛筆の、丁寧な字。


『すずらん団地 五号棟 宿題お手伝い 協定価格表』

 兄による手伝い……一律、無料


「協定価格?」


「うん。きょうていかかく。みんなで、決めた、ねだん」


「みんなって、誰だ。この家に、おまえと俺しか、いないだろ」


わかばは、すっ、と目を細くした。困っているはずなのに、その目だけは、いつもの抜け目なさを、しっかり取り戻している。そして、もう一枚、紙を出した。


『協定参加者一覧』

 ・わかば

 ・ためにゃん


「ぬいぐるみ……じゃない、がま口を、頭数に入れるな!」


「ためにゃんも、賛成してる。兄の手伝いは、無料。それで、決まり」


「がま口に、議決権はない! 多数決が、成立してないだろ!」


「二対一。あおちゃんの、負け」


「だから、その二のうち一は、布製品だろうが!」


つまり、こうだ。


俺が「手伝いは有料だ」と値段をつけようとした、その瞬間、わかばは、自分とためにゃんで「価格協定」を結び、兄の手伝いの値段を、勝手に「無料」で固定してしまった。供給側の俺が、いくら値段をつり上げようとしても、買い手のカルテルが、価格を一円に張りつけて、動かさない。


買い手が、二人がかり――いや、一人と一匹がかりで、価格を、操作している。


これが、価格カルテル、というやつか。世の中では、企業が裏で結託して値段を吊り上げる、悪いやつだと聞いていた。だが、わが家では、逆方向に使われていた。買い叩くための、カルテル。しかも、参加者の半分は、がま口だ。


「不当だろ! 一匹は、ただのがま口じゃないか! そんな協定、無効だ!」


「あおちゃん。文句があるなら、公正取引委員会に、訴えて」


「小学四年生の口から、公正取引委員会、なんて言葉が出てくるな!」


なぜ、こいつは、自分が不利になりそうな単語まで、正確に知っているんだ。お金にまつわる言葉だけは、辞書よりも、詳しい。(学校の漢字テストより、経済ニュースのテロップのほうを、熱心に読んでいる節がある。)


俺は、こたつに、突っ伏した。


立場が逆転したと思った。今回こそ、俺が、対価を取れると思った。だが、こいつは、追い詰められてなお、こちらに一円も払わせない仕組みを、一瞬で組み上げた。困っているくせに、財布だけは、絶対に、開かない。


なんかもう、いいや。


無料でいい。どうせ、放っておいたら、こいつの宿題は終わらない。終わらなければ、夏休み明け、先生に叱られて、しょんぼり帰ってくる。その顔を見るのは、なんだか、寝覚めが悪い。


兄として、最低限の、なんというか――情けだ。これは、情けだ。断じて、甘やかしでは、ない。


「……分かったよ。手伝ってやる。タダで」


「ありがとう」


わかばは、ぼーっとした顔のまま、ぺこり、と頭を下げた。


俺たちは、宿題の山に、取りかかった。


算数のドリルは、わかばが解き、俺が丸つけをした。意外と、計算は、速い。さすが、毎日電卓を叩いているだけのことはある。お金の計算で鍛えた暗算力が、こんなところで、役に立っていた。


漢字の書き取りは、苦戦した。わかばは「円」と「銭」と「貯」だけは、やたら綺麗に書けるのに、それ以外の漢字は、壊滅的だった。語彙が、完全に、お金に偏っている。


「あおちゃん。『収』って、どう書くんだっけ」


「『回収』の収だろ。おまえ、回収業務とか言ってたくせに、書けないのか」


「使うのと、書くのは、別」


「せめて、自分の商売道具の漢字くらい、覚えろ」


言いながら、俺は、お手本を書いてやった。わかばは、それを、舌をちょっと出しながら、一画ずつ、なぞっていく。こういうときだけは、普通の、小学四年生に見えた。


読書感想文は、俺が、聞き役になった。わかばが、読んだ本の話を、ぼそぼそと語る。それを、俺が、文章の形に整えてやる。


本は、例の『なんにもいらない くまさん』だった。「くまさんは、なんにも、いらないのに、すごい」と、わかばは言った。「わたしには、ぜったい、むり」とも。自分のことは、よく分かっているらしい。俺は、その正直すぎる感想を、そのまま書くわけにもいかず、当たり障りのない文章に、こっそり、直しておいた。


絵日記は、夏の思い出を、描くらしい。


わかばは、クレヨンを握って、しばらく、考え込んでいた。


そして、画用紙に、ゆっくりと、絵を描き始めた。


団地の、五階。こたつ。その上に、電卓と、がま口。そして、こたつを挟んで、向かい合う、二人の人物。


水色のツインテールの、女の子。


その向かいに、黒髪の、高校生。


俺だった。


「……これ、夏の思い出か」


「うん。あおちゃんと、いっぱい、お金の、やり取り、した。たのしかった」


俺は、何も、言えなくなった。


こいつにとって、この夏の思い出は、俺から金をむしり取ったことだったらしい。高所手当も、レンタル料も、罪滅ぼしプランも、ぜんぶ、こいつの中では、楽しい思い出に、なっていた。


他の家の子は、たぶん、海とか、花火とか、もっとそれらしいものを、絵日記に描くのだろう。プールで泳いだ、とか。だが、わかばの夏は、こたつと、電卓と、兄の財布で、できていた。それが、こいつにとっての、夏だった。少し、というか、かなり、変わっている。


ふざけるな、と思った。こっちは、財布が、ずっと薄かった。


だが、その絵日記の、こたつを挟んだ二人の顔は、どちらも、にこにこと、笑っていた。俺の記憶では、俺は、毎回、苦い顔をしていたはずだ。なのに、わかばの絵の中の俺は、笑っている。


そういうことに、しておいてやろう。


夏休み、最終日。


わかばの宿題は、ぎりぎり、すべて、終わった。俺の丸つけと、聞き役と、代筆で、なんとか、間に合った。一円にも、ならなかった。むしろ、丸つけのしすぎで、赤ペンを一本、使い切った。出費だ。(手伝った側が、赤字で終わる。この家の経済は、どこまでも、俺に厳しい。)


最後の一冊を閉じたとき、わかばは、ぼーっとした顔のまま、「終わった」と、ぽつり、つぶやいた。その声が、ほんの少しだけ、ほっとしているように、聞こえた。気のせいかもしれない。だが、まあ、そういうことに、しておく。


それでも、まあ、悪くない夏だった、と思う。


そう思いながら、自分の部屋に戻ると、机の上に、電卓が、置いてあった。


液晶に、数字が、浮かんでいる。


『3000』


その横に、わかばの、几帳面な字のメモ。


『夏休みの宿題、手伝ってくれてありがとう。お礼です。あおちゃんの口座に、振り込んでおきました。』


俺は、嬉しくなった。


こいつにも、ちゃんと、感謝の心が、あったのだ。三千円。子どものお小遣いとしては、大金だ。それを、俺のために、振り込んでくれた。やはり、家族とは、いいものだ。なんだかんだ言って、こいつは、兄思いの――。


胸が、じんと、温かくなった。そのとき、メモの、いちばん下の、小さな字に、気づいた。


『※わかばPay。現金には、戻せません。』


そういえば、あの通貨は、とっくに廃止したはずだった。なのに、お礼のときだけ、ちゃっかり復活している。


夏は、終わった。だが、わが家の搾取に、終わりは、ないらしい。


             第十話 了

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