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第9話:決別の1音(シングル・バースト)

深夜の馬小屋ピット。ランタンの灯火が、分解された魔動パーツの金属面に鈍く反射している。

 リネルは、テオが「アプデ」を施した聖剣を膝に置き、自分の右手をじっと見つめていた。昼間の峡谷での戦果――12音がもたらした、あの静かな破壊の感触が、今も指先の奥底にくすぶっている。

「……テオ。ふと思い出したの。昔、父に聞いた『勇者様』の物語を」

 テオは作業の手を止めず、ピンセットで繊細な魔石の欠片を調整している。

「……ゆ、勇者……? ……おとぎ話……ですか」

「ええ。でも、父はこう言っていたわ。勇者様が振るう剣は、光り輝くことなどなかった。ただ一瞬、世界に『一線の亀裂』が入る。気づいた時には、どんな強大な魔王の喉元も、音もなく断たれていた……と」

 リネルは自嘲気味に微笑んだ。

「幼い私は、それを『神の奇跡』だと思っていた。でも今日、あなたの12音を放った時、分かってしまったの。……あの一撃は、祈りの結晶じゃない。……徹底的に『ロス』を削ぎ落とした、物理的な正解だったんだわ。……私が今日感じたのは、あの物語の勇者様が見ていた景色そのものだった」

 テオはひび割れた丸メガネを指で直し、顔を上げた。

「……そ、それは……勇者様が……最高の……エ、エンジニアだったって……ことかも……しれませんね」

 冗談のつもりだろうが、テオの目は笑っていない。

 リネルは、その言葉の裏にある「歪み」に、ついに触れてしまった。

「……ねえ、テオ。もし、12音や10音のほうが効率的に力を出せるとしたら。……なぜ神様は、私たち人間に、わざわざあんな『ガバガバな15音の詠唱』を教典として与えたのかしら?」

 夜の馬小屋に、刺すような沈黙が流れた。テオの作業台にある、使い古された「魔導教典」にリネルの視線が落ちる。

「教典には『15音こそが神と対話するための唯一の礼儀』だと書かれているわ。でも、あなたの理論で言えば、15音は単に『1/15にまで圧力を分散させるための安全弁』でしかない……。……神は、私たちに本当の力を……『牙』を与えないように、あえて非効率な設定を強いているんじゃないかしら」

「……リ、リネルさん。……そ、その先は……」

「ええ、分かっているわ。これ以上は、信仰への反逆。……でも、私の身体が覚えてしまったの。15音の甘い祈りよりも、12音の冷徹な重圧のほうが、ずっと『正しい』ということを」

■思考停止の正義

 その時。馬小屋の扉が、乱暴に蹴破られた。

「――そこまでだ、異端の徒共ッ!!」

 現れたのは、白銀の鎧に身を包んだアルベルトだった。だが、その胸元には普段の騎士団の紋章ではなく、教皇直下組織の証である「真理の眼」の黄金の紋章が掲げられていた。

「アルベルト……? その紋章、教皇直下の特命を受けたというの?」

「そうだリネル! 貴公は毒されている。そのドブネズミのような男が、神聖なる魔法の理を弄んでいるのだぞ! 15音を削る? 効率だと? ――笑わせるな! 教皇猊下の言葉は神の言葉と同義。猊下が『15音で祈れ』と仰るなら、それに理由などいらぬ! それを疑うこと自体が悪魔の所業だ!」

 アルベルトの瞳には、かつての知性はなく、狂信的な忠誠心と、ドロドロとした嫉妬だけが渦巻いていた。

「リネル……私は君を救いに来た。君のような高潔な女性が、こんな油臭い男と夜な夜な顔を突き合わせ、あろうことか『詠唱の省略』などという卑俗な会話を交わす……。そんな光景、万死に値するッ!」

「アルベルト、聞きなさい! 彼は世界の不合理を暴いているだけよ! 私たちが信じてきた魔法は、もっと――」

「黙れッ! 理由など聞く耳持たぬ! 猊下よりこの異端者の抹殺許可は下りている! ……魔導軍団、展開! 位置座標合成魔法マルチ・レイヤー・シンセシス――放てッ!!」

 アルベルトの絶叫と共に、馬小屋の周囲を囲んでいた数十人の魔導騎士が一斉に杖を掲げた。

 

「位置座標合成……!? アルベルト、周辺の住人もろとも彼を殺す気!? 殺生を禁じる神の言葉はどこへ行ったの!」

「猊下の勅命こそが神の言葉だ!! ――死ね、異端者ッ!!」

 上空には、数十人の「15音」を一点の座標に無理やり重ね合わせた、巨大な魔法陣が重なり始めた。それはオーロラのような七色の輝きを放ち、拠点一つを消滅させるほどの絶対的な質量エネルギーへと膨れ上がっていく。

■1音の決別バースト

「……や、やはり……。……きょ、きょ、教科書の外は、……こ、言葉じゃなくて、……暴力で……潰される……仕組み……」

 テオは、怯えるどころか、どこか冷めた目でその光景を見ていた。

 彼は静かに、『壱式』を右肩の鉄板にパチンと固定し、ボルトを限界まで締め上げた。

「……り、リネルさん。……あ、アルベルトさんの……い、い、言う通りかも……しれません。……お、俺のやってることは、……この……世界の正義バグを……あばくこと……ですから」

 テオはひび割れた丸メガネを指で直し、リネルに向けて、かつてないほど穏やかに微笑んだ。

「……な、仲良くしてくれたのに、……ごめん……ね。……壱式これも……、……1音では……たぶん……壊れるから……」

「テオ!? 駄目よ、そんなことしたらあなたの身体が――」

「……どいて……ください。……フルパワーを……み、見せてあげます」

 テオは一人、馬小屋の外へと踏み出した。

 上空には、教皇庁が誇る「絶対的な正義」の輝きが、今まさに放たれようとしていた。

 テオは右腕を、空へ向けた。足を踏み固めいつも以上に腰を落とした。

 バレルが「キィィィィィィン!!」と限界を告げる悲鳴を上げる。

「『!』」

 ――ズ、ゥゥゥゥゥゥゥンッ!!

 爆鳴音すらなかった。

 それは、世界がずれた。

 制御は、なかった。すべてが、そのまま出た。

 白銀の光線は、空を覆っていたオーロラ色の魔法陣を、まるで薄い紙のように貫通した。

 数十人の魔導師が積み上げた「合成魔法」は、テオの放ったたった一音の「物理的正解」の前に、ただのノイズとなって霧散した。

「……なっ……!? 合成魔法が……書き換えられた……だと……!? バカな、あいつは何を唱えたんだ!? 音が……聞こえなかったぞ!?」

 アルベルトが腰を抜かし、泥の中に膝をつく。

 テオの右肩、右腕のフレーム、壱式のバレルからは、真っ赤な高熱と共に黒い煙が上がり、ボルトが数本、耐えきれずに弾け飛んでいた。

「……はぁ、……はぁ。……せ、せっかく……過ごしやすかったのに。……も、もう……ここにはいられないかな」

 テオは焼け付く右腕を抱え、呆然とするリネルを振り返ることなく、必要最小限の工具をリュックに詰め始めた。

 

「……な、仲良くしてくれて、……あ、ありがとう……リネルさん……。……さようなら」

 テオはそれだけを言い残し、夜の森へと姿を消そうとした。

■共犯の誓い

 地面には、魔法を霧散させられた衝撃で失神した魔導師たちが転がっている。

 その中で一人、アルベルトだけが「ありえない、ありえない」と虚空を見つめて震えていた。

 リネルは、そんな彼を、そして彼が守ろうとした「嘘に満ちた世界」を一瞥した。

 

 (……あの一撃。……父が語った勇者様よりも、ずっと残酷で、ずっと美しい『正解』だった)

 リネルは、テオが「スマートにアプデ」してくれた自らの聖剣を強く握りしめた。

 

 教皇の言葉が神の言葉? 15音こそが唯一の正解?

 そんな空虚な言葉よりも、テオが示した「1音の真実」のほうが、今の彼女には何倍も信頼できた。

 

「――待って、テオ!」

 森の入り口で、リネルは叫んだ。

 テオが驚いたように足を止める。

「……い、一緒に行く……なんて……い、言わないでください。……お、俺はもう、……街の外でも……追われる異端です」

「望むところよ。私はもう、15音の甘い祈りの中では戦えないわ。あなたの言う『5音の牙』。そして、その先にある『魔導ブレード』。それを完成させるまで、わたしは『共犯者』になる」

 リネルは、聖騎士の身分を証明するマントを脱ぎ捨て、泥の中に投げ捨てた。

 

「……リネルさん。……こ、後悔しても……しりませんよ」

「ええ。最高のセッティングを期待しているわ。……整備士テオ

 二人は、フェルムの街の明かりを背に、未知なる素材と、さらなる「高圧の世界」を求めて、夜の闇へと駆け出した。

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