第8話:静寂の無双(クワイエット・キル)
フェルムの北方に位置する「黒鉄の峡谷」。
そこは、鉱石を食らう硬質の魔物「鋼食い(アイアン・イーター)」の巣窟となっていた。本来、この規模の掃討任務には魔導騎士団の一大隊が投入されるが、今回はリネルとアルベルト率いる精鋭部隊のみが選ばれた。
「――全軍、詠唱開始! 15音を揃えろ! 聖なる調べで、この岩の壁を穿つぞ!」
アルベルトの号令が峡谷に響き渡る。
数十人の騎士たちが一斉に、教典通りの美しい15音を紡ぎ出す。
『聖なる光よ、邪悪を払え』
戦場をオーロラ色の色の光が満たし、幾何学的な魔法陣が幾重にも重なる。放たれた光弾は次々と鋼食いたちに着弾し、派手な爆鳴音を上げた。
一見すれば、それは完璧な魔法攻撃だ。だが、リネルの目には、その光景が酷く「無駄だらけ」に映っていた。
(……光が散っている。……音が大きすぎる。……うるさい。……無駄に、広がりすぎている)
テオの馬小屋で「流量」と「伝導率」を学んだ今の彼女にとって、騎士団の誇る合唱魔法は、穴の開いたホースで必死に水を撒いているような、滑稽なまでの非効率に見えた。
「くっ……! 硬いな、この魔物共……! 第二波、急げ! 祈りを絶やすな!」
アルベルトの焦燥が混じった声。鋼食いたちは、その頑強な外殻に琥珀色の火花を散らしながらも、着実に騎士たちの防衛線を押しつぶそうとしていた。
その時、リネルが静かに一歩前へ出た。
「――下がって、アルベルト。私が抜くわ」
「リネル? 無茶だ、一人でこの数を――」
リネルは答えなかった。
彼女は、テオが「スマートにアプデ」してくれた聖剣を抜き放つ。以前のボルトだらけの無骨さは影を潜めたが、刀身の根元にはまだ、テオこだわりの「圧力調整弁」が黒ずんだ鉄の光を放っている。
(……テオ、教えて。……12音の流速を)
リネルの唇が、教義を裏切る「短縮された言葉」を刻む。
「『蒼き風よ、道を示せ』」
――。
爆発音はなかった。
代わりに、峡谷の空気を切り裂くような、極めて高い「キィィィィィィン」という共鳴音が響き渡る。
彼女の眼前に展開されたのは、アルベルトたちの琥珀色とは明らかに異なる、鋭利な毒液のようなダークブルーの魔法陣。
リネルが剣を振り下ろした瞬間、それは「攻撃」ではなく「物理現象」となった。
――シュンッ。
目にも止まらぬ速さで放たれた一閃。
削ぎ落とした分だけ、密度が上がる。
鋼食いの群れが、一瞬で「消失」した。
爆発もせず、火花も散らさず、ただ、通った軌跡にあった質量だけが、消えていた
「…………え?」
アルベルトの杖が、手元から滑り落ちた。
騎士たちが呆然と立ち尽くす中、リネルだけが、残心の姿勢のまま、自分の右腕を流れる「熱」を感じていた。
(……痺れが、心地いい……。……これが、テオの言った『正解』の重さなのね)
15音の甘い祈りに浸っていた頃には、決して届かなかった領域。
神の慈悲を期待せず、ただ自らの魔力を「質量」として叩き込む。
祈りは、もういらなかった。
■沈黙の帰還
任務は、リネルのたった数撃で終了した。
帰還する騎士たちの列には、勝利の歓喜はなかった。あるのは、異質なものへの言いようのない「恐怖」と「困惑」だ。
「リネル。……君の今の魔法、何だったんだ」
キャンプ地。アルベルトが、リネルを問い詰める。彼の瞳には、かつての幼馴染への親しみはもう微塵もなかった。
「……あんなに短い音数の風魔法で、あの威力が出るはずがない。そもそも君の磨き上げた雷ではなく、基本の風魔法では雷には劣るはず……君は、禁忌の魔法に手をだしたのか?……『神の調べ』を捨てたのか?」
「……結果は出たわ、アルベルト。……私はただ、効率を追求しただけ。……テオの技術は、私たちの『祈り』がいかにロスだらけだったかを教えてくれた。……複雑にしているだけよ。……本質から遠ざかっている」
「テオだと!? またあのガラクタ拾いの名か!」
アルベルトは地面を蹴った。
「あんな汚れ者の理屈を、誇り高きローゼンタール家の人間が口にするな! 君は、自分が何をしているか分かっているのか!? ……音を削るということは、神との契約を削るということだ。それに基本魔法を信仰心と共に磨き上げ、複合して成り立つ上位魔法こそ敬虔な信徒の証だ。魔法を『単なる暴力』に貶める、野蛮な行為なんだぞ!」
「……野蛮でも、救える命が増えるなら、私はそれを選ぶわ」
リネルは冷たく言い放ち、アルベルトに背を向けた。
かつての彼女なら、彼の正論に揺らいだかもしれない。
だが今の彼女の指先には、あの12音の「完璧な手応え」が刻まれている。
一度でも12音の流速を体感してしまえば、元のガバガバな15音の世界など、泥沼の中で踊っているようにしか感じられないのだ。
■深夜のピット(馬小屋)
リネルが深夜、テオの元を訪れるのは、もはや義務のようになっていた。
「……お、お疲れ様です……。……12音、う、うまく……いきましたか?」
テオはいつものように、オイルまみれで壱式のメンテナンスをしていた。
「ええ。驚くほどにね。……テオ、あなたが言った通りだわ。……騎士団の皆が15音で必死に戦っている中、私は……自分が神にでもなったかのような全能感を感じていた」
リネルは、少しだけ震える手で聖剣を差し出した。
「……でも、テオ。……12音でも、まだ足りない気がするの。……魔物を斬る瞬間、ほんのわずかに……魔力が『詰まる』感覚があったわ」
テオはひび割れた丸メガネを押し上げ、剣の調整弁を覗き込んだ。
「……あ、ああ。……それは、け、剣の地金が、あな、あなたの魔力の質に……追いついていない……せいです。……これ、これ以上、音を絞れば、け、け、剣の方が……先に爆発……します……」
テオは、自分の右腕のボルトを締め直しながら、リネルの目を真っ直ぐに見つめた。
「……リネルさん。……本気でそのさ、先を……見たいなら、……も、もうせ、『聖剣』の枠組みじゃ……無理だ。……ま、ま、魔力を流す……だけじゃなく、そ、そ、その爆発を……ぶつ、物理的に増幅させる……機構……」
テオは、机の上に広げた設計図の一角を指差した。
そこには、剣の柄に「薬室」と「引き金」が描かれた、異教の武器が記されていた。
「……それが、お、俺の理想……。……『魔導ブレードプロトタイプ』……。……こ、これを……作るには、ま、ま、街の外にある、……希少な耐魔圧鉱石が……必要です」
「……街の外……」
その時、馬小屋の周囲の空気が、ピリリと凍りついた。
監視の目だ。
アルベルトたち騎士団の保守派が、リネルの変貌の「証拠」を掴もうと、闇の中からこの場所を凝視していた。
リネルは、テオの横に腰を下ろし、彼のオイルで汚れた手の上に、自分の手をそっと重ねた。
「……行きましょう、テオ。……この狭い街の『規格』は、もう私たちのスピードには追いつけないわ」
さらなる高圧、さらなる加速、さらなる「真実」を求める、それは、もう止まらない共鳴だった。




