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第7話:12の調律(トゥエルブ・チューン)

フェルムの街を包む夕闇は、聖騎士リネル・ローゼンタールにとって、別の顔へと着替えるための合図だった。

 白銀の鎧を脱ぎ捨て、地味な旅装に身を包んで街の外れへと急ぐ。向かう先は、高潔な騎士団の誰もが眉をひそめる、あの油臭い馬小屋――テオの「ピット」だ。

「……ま、待ってました。……リネル……さん。……ア、アライメント(軸合わせ)の……準備できてます」

 テオは、煤けたランタンの下で、使い込まれたレンチを弄んでいた。彼の周囲には、分解された『壱式』のパーツと、リネルの愛剣である『聖刻剣』が並んでいる。

 

 リネルはこの数日間、吸い寄せられるようにここへ通っていた。

 アルベルトたち騎士団の仲間と語る「神の加護」や「騎士の誉れ」といった言葉が、今の彼女には酷く空虚に響く。それよりも、この不器用な少年が語る「流量」や「圧力」という冷徹な数字のほうが、今の彼女の右腕に残る痺れには、ずっと誠実な回答を与えてくれるのだ。

「……テオ。今日はどうするの?」

「……え、ええ。……でも、剣は……もう限界です。……次は、魔力……。……あ、あなたの……魔力の出力を弄る……ひつ、必要があります」

 テオは、ひび割れた丸メガネを押し上げ、リネルの目の前に座り込んだ。

 

「……リ、リネルさん。……15音は、穴が15個開いた……バケ、バケツです。……安全だけど、あ、あつ、圧力が足りない。」

 

「……3音……削って。……12音に……チューニング……して……ください」

 リネルの心臓が、跳ねるように脈打った。

 15音から3音を削る。それは単なる時間の短縮ではない。教団が「神への完全な誓い」と定めた聖句から、3つの言葉を「無駄」として切り捨てる行為だ。

「……正気なの? 3音も削れば、それはもう『聖なる調べ』ではなくなってしまう。……それは、ただの……」

「……ただの仕組み……です」

 テオは、彼女の言葉を遮るように言い切った。

「……神に……とど、届かなくても、……刃先には届く。そ、その3音分、……圧力を高めて、ばく、ばく、爆発させる。……そうすれば、……も、もっと……つ、強くなれる……」

 リネルは唇を噛んだ。

 恐ろしい。この少年の言う通りに自分の「祈り」を削ぎ落としていけば、いつか自分は、神を忘れた「ただの屠殺機械」になってしまうのではないか。

 だが、その恐怖を塗りつぶすように、あのダークブルーの魔法陣が放った、一切のロスがない切断の快感が脳裏をよぎる。

「……わかったわ。やってみましょう。……12音、あなたの言う『効率』を私に見せて」

試走テストラン

 馬小屋の裏手。廃材が積み上がった広場で、リネルは聖剣を構えた。

 テオは数歩下がって、自作の「魔力検知器」を握りしめている。

「『轟雷よ、敵を切り裂け』……」

 リネルは、15音の聖句のうち、3音――神を称える3音を、意図的に飲み込んだ。

 瞬間、彼女の身体を流れる魔力が、テオこだわりの圧力調節弁で行き場を失って逆流しようと暴れ始めた。

「…………っ!?」

「……こ、こらえて! ……そこで……押し流す! ……バルブを……開けろ!!」

 テオの怒号に近い指示。

 リネルは歯を食いしばり、暴れる魔力の奔流を、無理やり押し込んだ。

 

 (――キィィィィィィン!!)

 ボルト締めの剣が、かつてない高周波の悲鳴を上げた。

 目の前に展開されたのは、以前よりもさらに色が濃く、鋭利な刃物のような光沢を放つダークブルーの魔法陣。

 

 振り下ろされた一撃は、標的として置かれた巨大な岩を、音もなく真っ二つに割った。

だが、その直後。刀身が、ほんの一瞬だけ――“遅れて”震えた。

(……今の、何……?)

 爆発も、火花も、ない。

 ただ、絶対的な「切断」の結果だけが、そこに転がっていた。

しかし割れた岩の断面が、わずかに“歪んで”いる。完全な平滑ではない。どこか、噛み合っていない。

しかし割れた岩の断面は、わずかに波打っていた。

「……あ、ああ……」

 リネルは、自分の右腕を見つめた。

さっきの違和感が、喉元までせり上がる。だが切り捨てた。

 痺れはない。

 その代わりに、右腕全体が熱い蒸気に満たされているような、異様な充足感があった。15音で唱えていた頃の「ふわふわとした万能感」とは違う。自分の全魔力が。凝縮したのを感じた。

「……約1.3倍。……圧力プレッシャーあが、上がってます。……成功だ。……許容範囲です。」

 テオは淡々と、検知器の数値を読み上げた。

「……リ、リネルさん。……い、今ので、わか、わかりましたか? ……あなたが今まで……さ、捧げてきた、そ、その3音分の……い、『祈り』は、……ただの……伝導ロスだったって……ことです」

 リネルは、膝から崩れ落ちそうになった。

 自分が幼い頃から、血の滲むような修行を重ねて磨き上げてきた「祈り」が、この少年からすれば、エネルギーを減衰させるだけの「ゴミ(ロス)」でしかなかった。

 絶望するべきだった。

 だが、リネルの頬は、自分でも制御できないほどに紅潮していた。

「……テオ。……すごいわ。……これなら、もっと……もっと……」

「……い、言った……でしょう。……これは、……底なしだ」

 二人は、月明かりの下で見つめ合った。

 一人は、自らの信仰を削り、剥き出しの真実ロジックに触れた聖騎士。

 一人は、その背徳的な進化を、冷徹なエンジニアとして支える少年。

 二人の間には、もはや身分も性別も超えた、危険な共犯関係が出来上がりつつあった。


■アルベルトの疑惑

 数日後、騎士団の演習場。

 リネルは、模擬戦の中で、無意識のうちに「12音」のチューニングを隠して参戦していた。

「……はあッ!!」

 短すぎる一閃。

 対峙していた騎士の盾が、まるで薄い紙のように切り裂かれ、その衝撃波だけで相手が場外まで吹き飛んだ。

「リネル、君……今の、何だ?」

 演習場に、不穏な静寂が広がる。

 駆け寄ってきたアルベルトの瞳には、かつての尊敬ではなく、理解不能なものへの「恐怖」が宿っていた。

「……威力が、以前と違いすぎる。……それに、詠唱だ。君、今、最後の言葉を省かなかったか? ……そんなことは、騎士団の教義では許されないはずだ」

「……ただの、技術的な調整よ、アルベルト。……戦場では、美しさよりも……結果が大事でしょう?」

 リネルの返答は、あまりにもドライで、あまりにもテオのようだった。

 アルベルトは、彼女の腰に差された、異形のアプデ(改造)が施された剣を見つめる。

「……その、汚れた剣のせいか。……リネル、君は毒されている。……あのガラクタ拾いに、何かおぞましい術をかけられているのではないか?」

「……心外ね、アルベルト。私は……ただ、本当の魔法の使い方を知っただけよ」

 リネルは、かつての幼馴染を冷たく突き放し、背を向けた。

 

 彼女には分かっていた。

 この12音という「禁断の果実」を一度口にしてしまった以上、自分はもう、15音の甘い祈りの世界には戻れない。

 

 そして、自分の知らないところで、アルベルトの嫉妬と騎士団の保守的な正義感が、あの静かな馬小屋へ向けられていた。

演習場の空気が、わずかに冷えた。

誰も声に出さないまま、距離だけが広がっていく。

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