第27話:空域の制圧(エア・ロジスティクス)
◾️隔離パッチ
アトラの朝は、不気味なほどの「静寂」に包まれていた。
昨日まで鳴り響いていた商人の呼び声も、荷馬車の車輪が石畳を叩く音も消え、ただ冷たい風が吹き抜けている。
「……終わったわ。完全に『詰み』よ」
モニカはギルドから届いた書状を震える手で投げ捨てた。
教皇庁が発動した、対アトラ経済隔離パッチ。アトラを「聖域汚染地帯」と指定し、半径百キロ圏内の全物流を強制停止させる非道な兵糧攻めだ。
「全ての街道に教会の直属騎士団が配置された。許可証のない者は殺され、物資は没収される。アトラへ向かおうとする商人は、その瞬間に教会の『敵』と見なされる……。テオ、分かる? この街は今、世界から切り離された『孤島』になったのよ」
素材がなければ、テオの工学もただの空論に変わる。食料が尽きれば、この街の熱気も数週間で灰になる。
絶望を隠そうともしないモニカの横で、テオは相変わらず、煤に汚れた右手の指先を神経質に動かしていた。
「……三ヶ月。……馬車で……物資を……運ぶには、……それだけの……時間が……かかる。……モニカさんは……そう……言いましたね」
「そうよ! でも今はその道すら閉じられたの。もう、どうしようもないわ!」
「……いいえ。……道が閉じられたなら、……『引かれていない場所』を通ればいい。……平面で考えるから……詰まるんです。……上が空いてますよ」
テオが、工房の奥にかけられた巨大な黒い布を剥ぎ取った。
◾️鉄の鳥の産声
そこに現れたのは、これまでの世界の常識を真っ向から否定する「異形」だった。
軽銀を叩き出して作られた、流線型の胴体。左右に大きく突き出した、風を切り裂くための鋭い翼。そして機首には、魔力回路が幾重にも刻まれた、巨大な四枚のプロペラ。
「テオ……これは……なに?……」
「……魔導飛行機。……重力というシステムから……離脱しましょう……。」
テオが機体の心臓部に高密度バッテリーを繋ぐ。
瞬間、工房全体が魔力圧に包まれた。
「ガネットさん。……翼の……剛性は?」
「当たり前だい! 坊やの設計図通り、アタシが魂込めて叩き出した軽合金だよ。折れるもんなら折ってみな!」
ガネットが、鼻息荒く機体の翼を叩く。
「リネルさん。……風魔法の……固定は?」
「……ええ。テオのバッテリーから供給される魔力を、翼の上下で『圧力差』として固定したわ。いつでも飛べる……この子が空を切り裂く瞬間が、待ち遠しくて死にそう……」
リネルが、恍惚とした表情で機体の機首を撫でる。
テオが、詠唱と共に魔力を供給する。
グオオオォォォォン!!
工房の空気が爆ぜた。
四枚のプロペラが、肉眼では捉えきれない速度で回転を始める。
高密度バッテリーから汲み出された膨大なエネルギーが、風魔法と同期し、巨大な鉄の塊を軽々と地面から浮かせた。
それは、数千年の間、人類を地に縛り付けてきた「重力」という名の神の戒律を、工学という名の暴力で引き千切った瞬間だった。
◾️理解崩壊
アトラ北方、第三関所。
そこでは教会の聖騎士たちが、誇らしげに道を塞いでいた。
「ハハハ! 見ろ、今日もアトラへの商人は現れん。飢えて這いつくばる異端者どもの姿が目に浮かぶようだな!」
「全くだ。空を飛ぶ鳥以外、アトラへ入ることはできん。これぞ神が定めた絶対の封鎖……」
その時だった。
はるか上空から、聴いたこともないような「咆哮」が降り注いだ。
「な、なんだ!? 雷か!?」
騎士たちが慌てて空を見上げる。
雲を割り、まばゆい日の光を背負って現れたのは、巨大な「影」だった。
白銀の翼を広げ、風を切り裂き、教会の弓矢も届かない高度を悠々と進む、鉄の怪物。
「あ、ありえん……。なんだあの巨大な鳥は……。金属の光沢があるぞ!?」
「鳥ではない! 中に人が……人が乗っているぞ!!」
騎士の一人が腰を抜かし、剣を落とした。
神学では、空を飛ぶのは神の使いか、魔物だけだと定義されている。
だが、今自分たちの頭上を通り過ぎていったのは、紛れもなく「人の造ったもの」だった。
「い、異端者だ!!異端を墜とせ!」
「無駄です! 奴らの高度は、我々の魔法の射程を遥かに超えている! あんな……あんな高さ、神の領域だぞ……!」
それは、教会の権威が「高度の差」という物理法則によって粉砕された、最初の瞬間だった。
◾️狂った「高度」の密談
高度3000メートル。
雲海を見下ろすキャビンの中で、モニカはガタガタと震えながら、窓の外の景色を凝視していた。
(……道がない。関所がない。崖も、森も、国境も。……全部、ただの『線』にしか見えない)
彼女の脳内で、これまでの商売の常識が音を立てて崩れていく。
「物流」とは、道を歩くことだと思っていた。だがテオは、その「道」という概念そのものを、非効率なコストとして削除したのだ。
「……テオ。これ、気づいていないかもしれないけど……」
モニカが、掠れた声で呟く。
「これはただの乗り物じゃないわ。……世界中のレジスタンスや、野心に燃える小国が、国家予算を投げ打ってでも欲しがる『死の技術』よ。教会と喧嘩どころか……これひとつで、世界のパワーバランスが書き換わるわ……。一体、これをいくらで売るつもり?」
モニカの計算高い問いに、テオは計器類を調整しながら、淡々と答えた。
「……売る? ……いえ、……これはただの……物流のための……試作機です。……それよりリネルさん。……窓から身を……乗り出さないでください」
「……テオ。ここから飛び降りながら斬撃を放てば、地上のすべてを跡形もなく破壊できそうね。……ああ、想像しただけで脳が溶けそう……」
リネルが、法悦の表情で地面を見下ろしている。テオは溜息もつかずに言った。
「……今のままでは、……魔導ブレードも……リネルさんの体も……衝撃に耐えられません。……改造が必要ですね」
その一言で、リネルの瞳に歓喜の火が灯る。
それを見ていたルミナスが、鼻血を拭いながら身を乗り出した。
「テオ。……人間に翼を移植したとしても耐久値の問題で詰まっていたが……。腕の機能と翼を同化させ、このバッテリーを直結して膨大な魔力を噴射すれば……人は自力で音速を超えて飛べるんじゃないか?」
「……そのためには……腕としての機能と……翼としての機能を……両立する技術が必要です。……それにこのバッテリーを……もっと……小型化しないといけないですね」
モニカは、確信した。
この人たち、自分たちが何を作っているのか、そして世界をどう変えてしまうのか、全く興味がないのだ。
(……あはは、最高。最高にイカれてるわ。商売どころか、これはもう神との全面戦争じゃない。……いいわ、私がこの『最凶の軍事力』に、世界が絶望するような値段をつけてあげる!)
アトラ航空。
それは、地上という不自由を捨てた、狂人たちの進軍だった。
◾️信仰の死角
地上。
聖騎士たちが右往左往する喧騒の中、一人の男が立ち尽くしていた。
アルベルトだ。
彼の胸に埋め込まれた聖遺物が、見たこともない「高度」から降り注ぐ魔圧に反応し、不気味な熱を発している。
「……テオ。……君はついに、……地に足をつけるという……人間らしさも……捨てたのか……」
アルベルトの瞳に、濁った黄金の光が宿る。
彼は泥にまみれた右手を空へ伸ばし、握りつぶした。
「……堕としてあげよう。……その……傲慢な……翼を……」
工学の進化が空を拓き、信仰の自壊がそれを追う。
アトラを照らす無色の光に、血塗られた黄金の影が、一歩ずつ迫っていた。
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