第21話:断絶の深淵(クレーター・アビス)
■ 七日間の激走
アトラの市街地が、スチール・ストライダーの後方へと瞬く間に飛び去っていったあの日から、既に七日が経過していた。
街道はとっくに途切れ、今は道なき岩場を、鋼鉄の車輪が悲鳴を上げながら削り進んでいる。
車内に漂うのは、過熱した油の匂いと、ボルテクスが強制排出する赤黒い魔力の焦げた香り。そして、何日もまともな宿を取らずに走り続けてきた四人の、じっとりとした疲労の空気だ。
テオは運転席で、剥き出しのレバーから伝わるスチール・ストライダーの「脈動」を、指先の感覚だけで読み取っていた。
ボルテクスから伝わる微細な振動の周期。ゼンマイが解けるたびに変化するトルクの感触。車体が跳ねる瞬間に掌へ伝わる地面の硬度。
それらすべての物理的な情報を、エンジニアとしての経験と研ぎ澄まされた直感で統合し、テオは鋼鉄の獣を世界の最果てへと導いていた。
「……右、後輪の……ベアリング、……違和感が……あります。……ガネットさん、……あと一時間……持ちますか?」
「ふん、アタシを誰だと思ってんだい。ドワーフの打ち直した軸受が、たかだか七日の爆走でへこたれるもんか。……だが坊や、地面の『質』が変わってきやがった。さっきから鉄の上を走ってるみてぇに跳ねる」
ガネットが車体の底から響く、カン、カンという異常に高い金属音に耳を澄ませ、顔をしかめる。
テオにもそれは分かっていた。車輪から伝わる反発が、数時間前から異常さをものがたっていた。それは生物が住むための柔らかな「土」ではなく、世界の骨組みが剥き出しになった「基盤」を走っているような感覚だった。
■ 「重い」世界と、「漏れる」力
「……見て。空の色が、……変わっていくわ」
後部座席で、リネルが窓の外を呆然と見つめながら呟いた。
かつて聖騎士として仰ぎ見た空は、神の慈愛を象徴するような澄んだ青だった。けれど今、窓の外に広がるのは、薄汚れた鉛色と、不気味な暗紫色が混ざり合う、色彩の墓場のような空だ。
「……気持ち悪いわね。魔力の『流れ』が、ここでは感じない。……まるで、時間が凍りついたみたいに」
リネルの言う通り、ここでは「環境魔力」という概念が死んでいた。
この世界のどこにでもある、祈れば応えてくれるはずの神の息吹。それが、この不毛の荒野に入った途端、ぴたりと遮断されたのだ。
■ 違和感の正体
「……ルミナスさん。……なぜ、……そんなに……苦しそう、なんですか」
「……君には、……この泥のような重さが……わからないのかい……? 魔力が、……死んでいるんだ。……私を支える光がどこにも……」
ルミナスは青ざめた顔で、スチール・ストライダーの車体にしがみついている。
テオは、自分の右腕を不思議そうに見つめた。ボルテクスの隙間から、赤黒い魔力がシュルシュルと、まるで見えない傷口から血が流れるように「漏れ出して」いる。
「……僕は、……逆です。……体が、……怖いくらいに……軽い。……いつも僕を……押し込めていた……何かが、……ここでは……消えている……?」
テオが拳を握ると、それだけで指先からバチリと赤黒い火花が散った。
普段の世界では、テオが「1音」を放つとき、常に何かに邪魔をされているような、分厚い「抵抗」を感じていた。それが、彼の右腕を焼き切る熱の正体だと思っていた。
けれど、ここではその抵抗がない。
(……僕の魔力はみんなと、……何かが違うのか……? 出て行こうとする力が、……強すぎる……)
テオはひび割れた眼鏡を押し上げ、前方を見据えた。
外からの「押し返し」が消えた世界。それは、内側で膨張し続けるテオの魔力にとって、自分の皮膚さえも邪魔に思えるほどの、恐ろしいまでの「解放」だった。
理屈はわからない。けれど、ここはテオの魔力にとって、初めて全力で走り抜けられる「何もない空洞」であることだけは確かだった。
■ 検問なき突破、神の不在
道中、いくつかの教皇庁の監視塔が見えたが、追っ手がスチール・ストライダーに追いつくことはなかった。
一度だけ、国境付近の検問所の兵士たちが道を塞ごうとした。
だが、時速50キロで突き進む鋼鉄の塊と、そこから噴き出す赤黒い魔力の炎を目にした彼らは、槍を構えることさえ忘れ、膝を突いた。
「……あ、……ありえない……! なんだ、あの不気味な魔法は……!?」
「詠唱もなしに……あんな巨大な質量を……。……まさか、……古代の……禁忌魔法か……ッ!?」
兵士たちの悲鳴が、遠ざかる轟音の中に消えていく。
彼らの貧弱な想像力では、このスチール・ストライダーが「ただの鉄の箱とゼンマイ」で動いているなどとは夢にも思えない。彼らに見えるのは、神の秩序を乱す、禍々しい「未知の加速魔法」だけだった。
「がはは! 見たかい、あの騎士たちのマヌケな面! 15音も唱える暇もありゃしないよ!」
リネルは、猛烈な速さで後方へ飛び去る景色に目を奪われ、恍惚とした表情で笑っていた。
教皇庁の聖騎士たちが、一生かけて祈っても到達できない「加速」。それを、テオは「ゴミ」と「物理」だけで、あっさりと凌駕してしまった。その事実が、彼女の中に新しい、そして歪んだ信仰を芽生えさせていた。
■ 終着点:断絶のクレーター
旅の八日目。スチール・ストライダーのメインゼンマイが限界を迎え、フライホイールの回転が弱まり始めたその時。
彼らの視界を遮るように、巨大な、あまりにも巨大な「世界の穴」が現れた。
それは、すり鉢状に深く、深く抉れたクレーターだった。
直径は数十キロ。底部は深い霧に包まれ、陽の光さえも吸い込まれるような深淵。
そこが、世界の終わりであり、神が「作りかけ」で放置したとされる呪われた場所――「断絶のクレーター」だ。
「……着いた、……みたいです。……ここ、だけ……いやに魔力が……薄い」
テオはスチール・ストライダーを止め、操縦席からゆっくりと降りた。
肌に刺さるような冷気が、そして風の吹き方の不自然さが、ここが「物理の純結晶」であることを伝えてくる。
テオは足元に転がっていた、黒光りする岩を拾い上げた。
そして、サイボーグ化した右腕で、渾身の力で握りつぶそうとする。
グッ、と赤黒い魔力がバレルから漏れ出す。しかし、岩は粉砕されるどころか、火花を散らすことさえなく、ただテオの指を無機質に弾き返した。
「……これ、だ。……この、……硬度。……これなら、……『真理』を……撃ち抜く……器に……なれる」
ガネットが車から降り、足元の岩を槌で叩いた。
キィィィィン、という、耳をつんざくような高い金属音が荒野に響き渡る。
「……たまげたねぇ。アタシが打った最高級の鋼よりも、こいつの方がずっと密度がたけぇ。……神様も、扱いきれなくて投げ出したって噂は、どうやら本当らしいよ。職人泣かせのガラクタだねぇ」
クレーターの底から立ち上る黒い霧が、彼らを拒絶するように、あるいは招くように渦巻いている。
神様が、あまりに硬すぎて設計図に書き込めなかった素材。
テオはひび割れた眼鏡を押し上げ、その深淵を見据えた。
「……行きましょう。……神様の、……設計ミスを……拾いに。……僕の、……魔力が……弾溢れてしまう、……前に」
夕闇の中、テオの右腕は赤黒い魔力を漏らし続けながら、静かに、そして激しく脈動を続けていた。
祈りの世界を物理でハックするための旅。その最深部が、今、不気味な口を開けて彼らを待っている。
次回は明日4/16の18:10
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