第20話:鋼鉄の胎動(メカニカル・レボリューション)
■ 禁断の「馬なし馬車」
アトラから「断絶のクレーター」までは、馬車を飛ばしても数十日はかかる距離にある。
屋敷の庭で地図を広げていたリネルが、険しい表情で北の空を見上げた。その指先は、かつての主君を裏切った決意と、まだ見ぬ明日への不安で僅かに震えて見えた。
「……テオ。アトラにいた騎士団が、私たちの行方を追っているはずです。街道を馬車で進めば、目立ちすぎてすぐに検問に引っかかる。かといって、徒歩で険しい山道を抜けるには、かなり時間がかかってしまうわ」
リネルの指摘はもっともだった。時間は自分たちの味方ではない。テオの右腕は『ボルテクス』で応急処置を済ませたとはいえ、クレメントらという「真理」に再び相対するには、何としても「神の塗り残した影」を手に入れ、兵装を作り直す必要があった。
「……移動、……手段。……何か、……もっと……速い、ものが……必要だ。神様の……作った、馬の……脚よりも、……ずっと」
テオの呟きを聞いたルミナスが、ハーブティーのカップを指先で優雅に回しながら、不敵に口角を上げた。
「それなら、あそこの『開かずの納屋』を覗いてみるといい。祖父が晩年、世間の嘲笑を浴びながら、取り憑かれたように何かを叩き続けていた場所だ。……美学の欠片もない巨大な鉄の箱が、埃を被っているはずだよ」
ルミナスが指差したのは、中庭の隅にひっそりと佇む、枯れた蔦に覆われた頑強な石造りの納屋だった。
テオとガネットがその重い木の扉を、錆びついた蝶番を鳴らしながら押し開けると、そこには馬車を二回りほど大きくし、さらに重厚な鋼鉄の板で装甲を施したような「奇妙な巨躯」が鎮座していた。
「……なんだい、こりゃあ。馬を繋ぐ軛もありゃしない。ドワーフの目から見ても、ただの鉄の棺桶にしか見えないねぇ」
ガネットが鼻を鳴らし、煤けた鉄板を蹴飛ばす。だが、テオの目は、その「棺桶」の奥底に隠された機能美を瞬時に見抜いていた。
車体の下には、木製ではなく鋼鉄のスポークで支えられた、巨大な四つの車輪。そして後部には、複雑に組み合わされた「巨大なゼンマイ」と、重量級の鉄の円盤――フライホイールが、冷たい輝きを放っていた。
■ 「慣性」という未知の動力
テオは目を輝かせて、その鉄の箱の内部構造を、皮を剥ぐように観察していった。
驚くべきことに、そこには魔法陣が、ただの一つも描かれていなかった。
代わりにあったのは、緻密に計算された「歯車の森」と、力を蓄えるために幾重にも巻かれた、巨大な螺旋状のバネだ。
「……おじいさん。……あなたは、……馬の力の、代わりに……『蓄積された運動』を……使おうとしたんですね。神様の……奇跡じゃ、なくて……物理的な……蓄圧を」
「ちくせき……なんだって? 坊や、もっとドワーフに分かりやすい言葉で話しな」
ガネットが眉をひそめ、テオの肩を叩く。
テオは説明する代わりに、車体後部で圧倒的な質量感を持って鎮座するフライホイールを指差した。
「……ガネット、さん。……重い、ものを……一度、……全力で回せば……しばらく、……止まりません。……それを、……この、……バネの力で……維持し、増幅する。……魔力を、……『現象』に変えるんじゃなくて……『回る力』として、……この鉄の箱に……閉じ込めるんです」
それはルミナスの祖父が遺した「慣性駆動」のプロトタイプだった。
しかし、未完成なのは明らかだった。バネを巻き上げ、巨大なフライホイールを初動させるための力が、人間の腕力では到底足りないのだ。おじいさんは、物理の入口に立ちながらも、それを動かすための「点」のエネルギーを持っていなかった。
「……ここを、……僕が……受け継ぎます。……ボルテクスの、……圧力を……この、……バネを巻くための……『加速器』に……転用します」
「がはは! 面白そうじゃないか! 魔法を直接ぶっ放すんじゃなく、鉄を回すための道具にするってワケだね。よし、アタシがこの錆びついた歯車を全部、最高級の油で磨いて叩き直してやるよ!」
■ 鋼鉄の胎動
屋敷の庭で、前代未聞の技術革命の作業が始まった。
ガネットが巨大な槌を振り下ろすたびに、歪んだ鋼鉄のフレームが強制的に修正され、本来の剛性を取り戻していく。リネルは油に塗れながらも成人男性数人がかりでも動かせないような重い動力パーツを運び、ルミナスは「美しくない作業だ」と悪態をつきながらも、外科医の精密さで細いボルトを規定のトルクで締め上げていった。
テオは新しく組み上げた『ボルテクス』を車体後部の入力クランクに魔力を送れるように接続した。
今までの魔法は、撃ち出した瞬間に四散し、消えてしまう儚いエネルギーだった。
けれど今、テオがやろうとしているのは、魔法という暴力的な衝撃を、回転という「円」の運動に変換し、機械の内部に「蓄積」させること。それは魔法という概念を、ただの燃料へと貶める行為だった。
「……黒き炎……ッ!」
今回は攻撃ではない。魔法を燃料とするための6音魔法。
赤黒い火花が激しく散り、ボルテクスの冷却フィンが悲鳴のような排気音を鳴らす。
螺旋を描いた魔力の圧力が、入力軸を出力を落としたといえども凄まじいトルクで叩きつけた。
ギギギギギ……と、巨大な主ゼンマイが、千切れる寸前の金属音を立てて巻き上げられていく。
通常なら金属疲労で破断するような負荷だが、ガネットが打ち直したドワーフ製の特殊鋼が、テオの赤黒い魔力を「物理的な圧力」として強引に蓄え込んでいく。
「……フライホイール、……回転数、上昇。……循環、……開始……」
シュオオオオオオン……!
後部の巨大な鉄の円盤が、目に見えないほどの高速で回転を始めた。
その高周波の振動が車体全体を、そして地面を震わせ、鉄の箱がまるで冬眠から目覚めた巨大な獣のように、低く唸り出す。
「……なんだ、この音は……。まるで大地そのものが怒っているみたいだわ」
リネルが、未知の振動に頬を紅潮させながら呟く。全身に伝わる微細な震え。理解を遥かに超えた「物理の脈動」が、彼女の信仰を、そして理性を心地よく削り取っていく。
■ 命名:スチール・ストライダー
やがて、旅立ちの準備は整った。
馬を繋ぐ必要のない、神の教典にも、歴史のどこにも載っていない、世界初の「自走機械」。
テオは運転席――御者台ではなく、レバーとペダルが並ぶ操縦席に深く座り、メインレバーを握りしめた。
「……試作、一号。……起動」
「ちょいとお待ちよ、坊や! 弍式の時も言っただろう? そんな色気のない名前じゃ、鉄の神様がヘソを曲げて、途中で止まっちまうよ」
ガネットが車体の側面を力強くバンバンと叩き、夕陽を弾く無骨な装甲を見回した。ドワーフの誇りが込められたその表面は、もはやただのガラクタではなく、新しい時代の皮膚のように鈍く輝いていた。
「大地を蹴り、風を切り裂き、神様が決めた足の遅さをあざ笑う鉄の足……そうさね、こいつの名前は……『スチール・ストライダー(Steel Strider)』だよ!」
「……スチール、……ストライダー……。……鋼鉄の、……放浪者」
テオがクラッチペダルを踏み込み、重厚なレバーを一段押し下げた。
内部で巨大な歯車が噛み合い、蓄えられたゼンマイの復元力と、フライホイールの膨大な慣性エネルギーが、四つの鋼鉄の車輪へと一気に伝達される。
ドォォォォォンッ!
馬車では絶対にありえない、内臓を揺さぶるような加速。
スチール・ストライダーは、中庭の砂利を爆風のように弾き飛ばし、咆哮を上げて走り出した。
「なっ、……!? 速い、速すぎるよ! 美しくない、こんなの速度の暴力だ!」
ルミナスが叫び、いつもの余裕をかなぐり捨てて、必死に車体の手すりにしがみつく。
時速にして40キロ、50キロ。馬の全力疾走を遥かに凌駕する速度が、屋敷の石畳を噛み潰していく。
もう、祈りの言葉を口にする必要はない。ただ、そこにある物理法則が、自分たちを運んでいく。
「……これが、……技術。……神様の、……手のひらを……飛び出す……ための、……『速度』……」
リネルは、猛烈な速さで後方へ飛び去る景色に目を奪われ、恍惚とした表情で笑っていた。
教皇庁の聖騎士たちが、一生かけて祈っても到達できない「加速」。
それを、テオは「ゴミ」と「物理」だけで、あっさりと凌駕してしまったのだ。
「……行きましょう。……断絶の、……クレーターへ。……この、……ストライダーで……神様の、……世界を、……置き去りにします」
森の闇を切り裂き、背後へ赤黒い魔力の余熱を撒き散らしながら、鋼鉄の獣は闇夜を疾走する。
神の教典が支配する古い世界に、今、取り返しのつかない「技術革命」の轍が、深く、深く刻まれた。
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