第17話:棄却の聖域(ジャンク・サンクチュアリ)
■ 地図にない空白
アトラの市街地から数マイル離れた、深い森の境界。
そこには、かつて貴族の別邸だったと言われれば信じてしまいそうな、立派な石造りの屋敷が佇んでいた。だが、その周囲を埋め尽くしているのは、美しい庭園ではない。
錆びついた鉄骨、歪んだ巨大な歯車、ひび割れた得体の知れない魔石の残骸。それらが地層のように積み重なり、屋敷を侵食するように広がっている。
「……ひどい、……有様。……本当に、……ここ、ですか?」
テオがボロボロになった右腕を庇いながら、呆然と呟く。
ルミナスは、汚れるのを嫌うはずの指先で屋敷の門扉――もはや半分は瓦礫に埋もれている――を、愛おしそうに撫でた。
「ああ。教皇庁の公式地図を確認してみるといい。ここは『居住区域』でも『重要拠点』でもない。……ただの『廃棄物集積所』として登録されている。神の目には、ここはただのゴミ捨て場にしか映らないのさ」
ルミナスの口角が、皮肉げに上がる。
「かつて、アトラで『歩くバグ(変人)』と呼ばれた私の祖父が、私に遺した唯一の遺産だよ。他人が『神の恵みがないゴミ』だと捨てた不純物、欠陥品、規格外のガラクタ……彼はそれらをこの場所に集め、死ぬまで眺めていた。おかげでこの屋敷は、公的な記録から抹消された『空白地帯』になった」
背後の森からは、アトラを焼く火の手の音がまだ微かに聞こえてくる。
「……しばらくは、ここに滞在することを勧めるよ。追っ手の騎士たちは、神聖な地図に記されていない場所を歩くほど、想像力が豊かじゃないからね」
「……助かるよ、ナルシスト。……アタシの工房よりは、よっぽど安全そうだ」
ガネットが、まだショックの抜けない顔で屋敷の玄関を蹴るように開けた。
■ 塵の積もった真理
屋敷の内部は、静寂と埃、そして異様な雰囲気に包まれていた。
壁一面に貼られた、既存の魔法陣を解体したメモ。そして、棚に並ぶ名もなき素材。どれもが教本には載っていないバグ塊だ。
「……あ、……あぁ……」
テオは吸い寄せられるように、一つの実験台に歩み寄った。
そこには、小瓶に入った、真っ黒に濁った砂のような金属の破片があった。
「……これ、だ。……これ……」
テオが瓶を手に取った瞬間、指先が痺れるような錯覚を覚える。
その部分だけあまりにも「静か」だった。魔力を一切通さず、反射もせず、ただそこに物体として存在し続けている。
「……魔力を、……『無視』して、……存在してる……」
これだ。この素材でチャンバーを覆い、ボルトを鋳造すれば、深淵銀が叩き出す猛烈な爆圧を一滴も外に漏らさず、内側に閉じ込められる。フレームを内側から破壊していた「魔力の漏電(干渉)」を、物理的に遮断できる。
だが、テオの瞳に宿る陰りは消えなかった。
脳裏にこびりついているのは、クレメントが放った「音」だ。
(……これじゃ、……足りない)
素材を強くすれば、今の「1音」を連発することはできるだろう。だが、あのクレメントが見せた、世界そのものと同期するような圧倒的な「速度」と「精密さ」――魔法の真理に対して、テオのロジックはまだ何も届いていない。
「……足り、ない……。……ルミナス、さん。……これ、……どこで、……見つけたんですか?」
「おや、もう価値を見抜いたかい? さすが、祖父と同じ目をしてる」
ルミナスはメスを一本取り出し、それで天井を指し示した。
「それは祖父が、生涯執着していた『最深部のゴミ』さ。祖父は『神の塗り残した影』と呼んでいたかな。……アトラより遥か北、神に捨てられた大地――『断絶のクレーター』。神が世界を作る際、あまりに硬すぎて設計図に組み込めず、切り捨てたとされる原初の地層だ」
■ ロジックの断絶
テオは、小瓶の中のわずかな黒い欠片を見つめたまま、独り言のように呟いた。
「……これがあれば、……壊れずに、……撃てる。……でも、……それだけじゃ……あいつには、……勝てない」
クレメントの魔法は、テオが知る「物理」を超えた何かだった。
自分はまだ、神が設定した仕組みの外側から石を投げているに過ぎない。対してクレメントは、仕組みの管理者権限を一部与えられているかのように、世界そのものを味方につけていた。
「……魔法の、……真理。……あいつが言った、……『神の調べ』の、……正体……。……それを、……物理で、……解体しないと……僕は、……一生……あいつに、……触れることさえ、……できない」
悔しさに奥歯を噛み締める。だが、その瞳には諦めではなく、エンジニア特有の「未知への執着」が燃えていた。
「……でも、……この『影』があれば。……一撃に耐えるだけの……『土俵』には、……立てます。……死ぬ前に、……あいつの……ロジックを……盗み出す、……時間は……稼げる……」
ガネットが、巨大な槌をドンと床に置き、テオの肩を強く叩いた。
「いい顔だ、坊や! 負けを認めた上で、どうやってぶち壊すか考えてる。……そのための『器』、アタシがこのゴミ溜めから最高の素材を掘り出して、打ってやるよ」
「……ええ。神が捨てたゴミで、神の理を壊す。……これ以上の美学はないわね、テオ」
リネルが漆黒の刃を鞘に収め、闇の中で静かに笑った。
テオは、小瓶を胸に抱きしめる。
「……行きましょう。……断絶の、……クレーターへ。……神様が、……捨てた……真実を、……拾いに……」
暗い屋敷の中で、テオはそっと眼鏡を押し上げた。
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