第15話:機巧の揺籃(マキナ・クレイドル)
■ 職人の要求
自由都市アトラ、最下層。
そこは地上の鉄煙さえ届かない、薬品の刺激臭と劣化したオイルの重い空気が沈殿する「深淵のピット」だ。工房『鉄の揺りかご』の暖簾をくぐると、ふいごが吐き出す熱風と共に、獲物を見つけた猛獣の如きガネットの視線が突き刺さった。
「……あ、……あ、……ガネットさん。……ただい、……ま……」
「挨拶はいい! 坊や、それだ。その腰に下げてる『壱式』と、リネルの剣。今すぐアタシに分解させな!」
ガネットは鼻息荒く、巨大なレンチを片手にテオへと詰め寄る。その迫力に押され、テオは反射的に腰の愛銃を隠すように一歩下がった。
「……だ、……ダメです。……これ、……僕の、……計算と試行錯誤の塊、……なんです。……か、……勝手に、弄らないで……」
「いいじゃないか、減るもんじゃないだろ! 職人に中身を隠すなんて、いい度胸だねぇ。……いいかい、素直にバラさせてくれたらさ……。後でアタシが、坊やに『いいこと』してやるからさ。ね?」
ガネットは低身長を活かしてテオの懐に潜り込むと、その豊かな双丘を押し当てるようにして、上目遣いでテオの顔を覗き込んだ。テオの顔は瞬時に沸騰したように赤くなり、激しく首を横に振る。
「……そ、……そういうの、……い、……いりません! ……だ、……ダメなものは、ダメ……ッ!!」
「けっ、ずいぶんと堅いねぇ……。なら、力ずくだよ!」
「……わっ!? ……ちょ、……ガネットさん、……そんな、……無理やり、……引っ張らないで……っ! ……あ、……あ、……ボルトが、……歪む……!!」
必死に抗議するテオだが、ドワーフの怪力には抗えない。万力に固定されようとする『壱式』を見て絶望の表情を浮かべるテオの横で、リネルが静かに口を開いた。
「テオ。……やらせてあげなさい」
「……リ、……リネルさんまで!? ……こ、……これ、……壊されたら……」
「壊れないわ。いざたなればあなたなら、直せるでしょう? ……それに、この変態鍛冶師に中身を見せないことには、『深淵銀』をどう加工すべきか、その指針も掴めるはずよ」
リネルは自らの魔導ブレードを、迷いなくガネットの作業台に置いた。その瞳には、テオの技術への絶対的な信頼と、その先にある「未知」への渇望が宿っている。
「……うう。……わ、……分かりました。……あ、……アライメントが、狂ったら……ガネットさんの、せい……ですからね……」
テオが観念して肩を落とすと、ガネットは「がはっ!」と豪快に笑い、熟練の手つきでネジを回し始めた。
■ 分業される魔法陣
ガネットの手によって、『壱式』がバラバラに解体されていく。
最初は面白がっていたガネットの表情が、部品が剥き出しになるにつれて、みるみるうちに強張っていった。
「……おい、坊や。……これ、どういうことだい」
彼女が指し示したのは、バレルの内側に刻まれた、極小の刻印だった。
「……魔法陣を、……『分業』させてるのか……?」
「……はい。……バレルに『効果』を。……弾丸に『装飾』を。……僕の詠唱が『属性』と『魔力』を。……物理的に、……4つが、……揃った瞬間、……魔法として、成立、します……」
ガネットの背中に嫌な汗が流れる。
通常の魔導具は、あくまで魔力を増幅させるもの。だがテオのそれは、コンマ1ミリの狂い、コンマ1秒のズレも許されない「魔法を作るもの」だった。神への祈りなど一滴も混じっていない、徹底的な論理の残骸。
「……なんてこった。……あたしは今まで、杖や剣を打ってたつもりだったが……。……あんたが作ってたのは、……魔法自体じゃないか……!!」
ガネットは恐怖を飲み込むように笑い、深淵銀の塊を火床に放り込んだ。
「面白いじゃないか。……だったら、アタシが打つのはただの筒じゃねえ。……あんたの魔力を圧縮して完璧に弾丸へと伝える、特別なパーツにしてやるよ!!」
■ 鉄の神域と、ナルシストの乱入
それからの数日間、工房は不気味な青い炎に包まれた。
ガネットは深淵銀を叩き、捩り、引き伸ばしていく。テオの魔導バレル用に圧力を閉じ込めるための「薬室」、さらに武器全体の剛性を支えるための「芯」が形作られた。
作業が一段落した台の上には、加工の際に出た深淵銀の小さな破片がいくつか残されていた。ガネットはそれを愛おしそうに布で包む。
「……あ、……あの、……ガネットさん。……その余り……」
「これはアタシの『手間賃』だよ。アタシは魔力が高い方じゃないから、武器に使うつもりはない。だがね……今後のために持っておくのさ。……そうだね、例えば、あの変態外科医のメスの芯にでも使ってやれば、もっとマシな切り口になるかもね」
ガネットが冗談めかして言ったその時、工房の扉が、芝居がかった手つきで開け放たれた。
「――フッ。聞こえてしまったよ。私の美しさに、ふさわしい贈り物の話がね」
現れたのは、磨き上げられた白衣を羽織り、自らの髪を弄ぶルミナスだった。偶然を装っているが、その目は期待でギラギラとしている。
「ルミナス!? あんた、仕事はどうしたんだい」
「休息だよ。美しすぎる私の手が、一時的な静寂を求めたのさ。……それよりガネット。今、言ったね? この私の至高の執刀を、その黒い銀で改造しようと。当然だ。世界で唯一の最高傑作――テオ君の右腕を作り出した私への報酬としては、妥当すぎる提案だよ」
ルミナスはテオやリネルを完全に無視し、鏡を見るようにガネットの前に立った。
「……あ、……あ……、ルミナスさん。……な、……ナルシスト、……極まって……ませんか。……それ、……偶然……装って、……盗み聞き……してましたよね」
「テオ君、それは褒め言葉として受け取っておこう。私の耳は、美に関する情報だけを磁石のように吸い寄せてしまうのさ。さあ、ガネット! 今すぐ私のメスの芯をその銀に替えたまえ。神さえも嫉妬するような鋭利な一線を、私の手足として!」
■ 利害の契約
自分勝手な理屈を並べ立てるルミナスを、ガネットは呆れ顔で一蹴しようとしたが、テオはふと思った。
ルミナスのメスの硬度が上がれば、今後の自分の身体のメンテナンス――ひいてはさらなる改造も、より精密に行えるはずだ。
「……いいですよ、……ガネットさん。……ルミナスさんの、……メスの芯も、……作ってあげて……ください。……どうせ、……僕も、……また、……お世話に……なるでしょうし……」
「がは! 坊やがそう言うなら仕方ないね。……よし、変態医者! 最高の切れ味にしてやるから、鏡でものぞいて待ってな!」
ひとしきり騒いだ後、ガネットは真剣な顔でテオとリネルを向き直った。
「さて、道具は揃った。……だがね、アタシはこの『最高傑作』を、ただあんたらに渡してハイさよなら、なんてするつもりはないよ」
「……え、……ガネット、さん?」
「アタシは職人だ。自分の打った鉄が、神の理屈をどうブチ壊すのか、この目で見届ける権利がある。……それに、あんたのその無茶な設計だ。アタシが現場で調整しなけりゃ、三日と持たずにゴミ屑になっちまうよ」
ガネットの言葉に、ルミナスも深く頷く。
「フッ、珍しくこの短足鍛冶師と意見が合ったね。テオ君、君の右腕は私の『半身』も同然だ。それが粗悪な環境で錆びつくのは耐えられない。……何より、君の変異していく肉体を記録し、私の医学を神の領域へ引き上げるためには、君の傍にいるのが最も効率的だ」
「……あ、……あ……。……つまり……」
「「アタシ(私)も行くよ(よ)。」」
テオは困惑してリネルを見た。だが、リネルはすでにこの「開発チーム」の有用性を計算し終えていた。
「いいんじゃないかしら。武器の摩耗を直すハンマーと、肉体の歪みを直すメス。……それらが揃っているのは、極めて合理的よ。……テオ、私たちだけでは、この世界の『矛盾』は突破できないわ」
「……リ、……リネルさんまで。……でも、……皆さんを、……危険に……」
「勘違いしないで、テオ君。君を守るんじゃない。私は、私の美学を守るために行くのさ」
「そうだよ、坊や! あんたのその異世界の『設計図』、全部アタシに吐き出させるまでは、死なせやしないからね!」
誰も「正義」のためになど動いていない。ただ、自分の理想を叶えるために、テオという「バグ」を必要としている。
「……あ、……あ、……分かりました。……僕も、……一人では、……この世界を、……ハックしきれない……。……協力、……してください。……その代わり、……僕の、……ロジックの、……すべて……見せますから」
■ 異端たちの行進
翌朝、アトラの最下層から地上へ向かうスロープを、四人の影が歩いていた。
先頭を行くのは、漆黒の外装を纏った右腕を隠すようにマントを羽織ったテオ。その隣には、かつての聖騎士の面影を残しながらも、その瞳に底冷えするような光を宿したリネル。
後ろからは、身の丈ほどもある巨大な槌を担いで鼻歌を歌うガネットと、白衣を翻しながら、すれ違う不潔な住人たちに嫌悪の眼差しを向けるルミナスが続く。
アトラの住人たちは、荒事には慣れている。だが、この四人が放つ異質な「圧力」には、誰もが足を止めた。
「おい、見ろよ……ありゃあ、ガネットの姐さんじゃないか。工房を閉めてどこへ行くんだ?」
「隣の男……あのルミナスだろ。最下層の死神が、なんであんなガキと一緒に……」
ざわめきが波のように広がるが、四人は意に介さない。
テオは、新しく換装された右腕の感触を確かめていた。深淵銀の芯が一本通ったことで、腕の重量バランスは劇的に変化している。一歩歩くごとに、関節の魔導合金が微かな駆動音を立てた。
(……密度、……良好。……この、……腕なら、……いける……)
アトラを抜け、廃坑へと向かう荒野に出た。
空は低く、神が定めた灰色の雲が垂れ込めている。リネルが、腰に下げた新しい剣の柄をそっと撫でた。
「テオ。……世界は、あんなに静かなのにね」
「……ええ。……でも、……あの静けさは、……神様が、……僕たちの、……出力を……抑え込んでいる、……証拠です」
「そうね。……だから、壊しましょう。私たちが、この世界で一番『正しい』ことを証明するために」
ルミナスが美しく整えられた爪を眺めながら、退屈そうに付け加えた。
「あぁ、早くしたまえ。この荒野の風は、私の肌には少々刺激が強すぎる。最高の執刀結果を見せてくれるんだろう? テオ君」
「がはは! 期待してるよ、坊や! アタシが打った鉄が、どれだけ神様を泣かせるか、特等席で見せてもらうからね!」
四人の目的はバラバラだ。
だが、彼らが見据える先には、共通の「壁」がある。
神の設計図。聖典。詠唱。それらすべてを物理で、ロジックで、医学で、技術で粉砕するための「第一歩」が、今、踏み出された。
「……テストラン、……開始します。……目標、……廃坑の、……最奥……」
テオがひび割れた丸メガネを直すと、右腕のレールが、戦いを求めてカチリと音を立てた。
神の理が、音を立てて崩れ始める。
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