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ラスボス悪女に転生したので死亡エンド回避を目指していたのに、なぜか原作以上に詰んでいます  作者: 菱田もな
第三章

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正体-4



「着きましたよ」


 御者のその声で、わたしはぱちりと目を開ける。

 小窓から外を覗くと、もう屋敷の門が見えていた。


 ……どうやら随分と長い間、眠ってしまっていたようね。おかげで、全身が気だるく重い。重力に負けそうになるのをぐっと堪えて、わたしは立ち上がった。


 そして、馬車から降りると、見慣れた黒い髪が目に入る。あれは……


「──レイン!」

「おかえりなさいませ、アナスタシア様」


 出迎えてくれた彼の元へと駆け寄ろうとして、足がもつれた。危ない、転ぶ──そう思った瞬間、倒れ込みそうになる身体を、力強い手が支える。


「大丈夫ですか?」

「あ、ありがとう……!」


 顔を上げると、真っ赤な瞳と目が合った。

 その瞬間、彼の動きが一瞬だけ止まる。


「…………アナスタシア?」

「え、なに?」


 名前を呼ばれて、わたしは瞬きをした。しかし、彼はわたしの腕を掴んだまま、それ以上なにも言わない。


「レイン?」


 問いかけるが、返事はない。


「えーっと、その……腕、離してくれる……?」

「……ああ、失礼しました」


 そこでようやく手が離される。だけど、彼はどこか落ち着かない様子だ。

 

「ごめんね、履き慣れない靴だったから……」

「……履き慣れない?」

「うん。あと、馬車でずっと眠ちゃってて……ほら、寝起きの身体ってだるくて重いでしょ? それで、ついバランスを崩しちゃった」

「……ああ」

「え? 何か変だった?」

「いや……なんでもないですよ」


 そう言うが、納得している様子ではなかった。視線がずっと、わたしのどこかを確かめるように彷徨っている。


 一体、何が気になるというのだろう。

 長く眠っていたせいで身体は重いし、この靴も初めて履くものだ。


 わたしは何ひとつ、嘘なんてついていないのに。


「変なレイン」


 くすりと笑って、わたしは彼の腕を掴んだ。


「ほら、はやく行きましょう」

「行くってどこへ、ですか?」

「もう忘れたの? 無事に帰ってきたら、お茶を淹れてくれるって約束でしょ」


 途中、危ない瞬間もあったけど……わたしはちゃんと無事に帰ってきている。なのに、レインはわずかに目を見開いた。


「なに、その顔。ほら、怪我ひとつしてないでしょ?」


 だから早く、と。

 わたしは彼の手を引き、屋敷の中へと歩き出した。





「んー、いい匂い!」


 湯気を立てる紅茶をひと口飲むと、思わず声が漏れた。


「やっぱり、レインが淹れてくれるお茶は美味しいねぇ」


 カップを置いて、向かいを見る。

 いつもなら隣に座っている彼は、今日はそこから動こうとしない。


「ねえ、レインってば……聞いてる?」

「……ああ、うん」

「絶対に聞いてないでしょ。……もう、レインってばどうしちゃったの? 帰ってきたときから、ずっと怖い顔してるし……まさか、わたしがいない間に誰かに虐められた?」


 冗談混じりにそう言うが、彼は否定も肯定もしない。ただ、何かを確かめるようにわたしを見ているだけだ。


 もしかして……体調でも悪い?


 心配になって、彼の元へと向かう。見たところ熱はなさそうだが、それでも念のためにと、彼の額へ手を伸ばした。


 ──その瞬間だった。

 伸ばした手首を、強い力で掴まれる。


「レイン……?」


 驚いて目を見開くわたしを、彼は逃がさないように見つめていた。

 やがて、その真っ赤な瞳が細く鋭くなる。

 

「……やっぱり、違う」

「え?」

「君は俺がよく知るアナスタシアじゃない」


 突然のことで、声も出ない。だけど、彼は構わず言葉を続けた。


「その姿も声も、全部が同じに見えるけど、まったくの別人だ。君はアナスタシアじゃない」

「な、何を言ってるの……?」


 わたしが、アナスタシアじゃない?

 そんなことあるわけない。だって、もしそうなら、わたしは一体誰だというのか。


「わ、たし……私は、アナスタシアだよ?」

「……」

「ねえ、レイン……どうしちゃったの……?」


 その瞬間、手首を掴んでいる力が強くなる。痛みに顔を顰めるが、彼はわたしの手を離さない。


「っ、」


 いつもはまるで宝物に触れるかのような優しい手つきのくせに……まったく、跡でも残ったらどうするつもりなのかしら。


「おまえは誰だ。……アナスタシアを、彼女をどこへやった」

 

 あの子にはしないであろう乱暴で低く冷たい言葉に、敵意がむき出しの視線。

 それらすべてを見て、私は悟った。


 ──これ以上、彼を出すのは無理だ、と。

 まったく、察しがいいというのも厄介なものね。


「……つまらないの」


 小さく呟くと同時に、勢いよく彼の胸を押した。バランスを崩した男は、その場に倒れ込む。


 そのまま男の上に跨ると、面白いぐらいに見開いた目が、私を見つめていた。


 ふふふ、間抜けな顔。彼女にだって、押し倒されたことぐらいあるでしょうに。


 私はゆっくりと、彼の首元へと指先を滑らせる。わずかに身じろぎをしたのを感じて、低く告げた。


「大人しくしてくれないと、貴方の大切な彼女が傷ついちゃうかも」


 その言葉で、抵抗がぴたりと止まる。


「あはははっ、本当にあの子が大切なのねぇ」


 されるがままの身体を見下ろしながら、私は息を吐く。


「たしかに私は、貴方のよく知るアナスタシアじゃない」

「……っ」

「でもね」


 指先で、彼の顎に触れる。


「私が誰かなんて、おかしな話だと思わない?」

「……なに、いって」

「私こそが、アナスタシア・リヴィエールだというのに」


 そう。この名前も、この身体も全部。私のものだった。それを突然に現れて、奪っていったのは、あの子の方だ。


 そしていま、私は奪われていたものを取り返した。ただ、それだけのこと。

 

「だから、貴方はもうあの子には会えない」

「……は、」


 唖然と私を見上げる男。


 きっと、こんな日が来るなんて思いもしなかったのだろう。いつまでもあの日々が続くと、そう思っていたに違いない。……なんて愚かで滑稽なのかしら。


「だって、あの子はもうすぐ消えてなくなるのだから」


 そう言って、あの子が天使のようだと褒めてくれた笑みを浮かべてみせる。

 

 ああ、可哀想で可愛い私の従僕。

 これからは、あの子の分も、私がたくさん壊してあげよう。


 そして、あの子が、もっともっと深い絶望の闇へと堕ちていけるように、と。

 私は彼の頬に手を寄せて、ぐっと顔を近づけた。


「なに、して……」

「その目、気に入らないわ」

「……は?」

「私、赤色って大嫌いなの」


 赤色が大嫌い、昔から。だから、忌々しいぐらいに真っ赤なその瞳を見ていると、嫌な気分になる。


「それに顔も女の子みたいだし……」

「……っ」

「本当、趣味が悪くて嫌になっちゃう」


 小馬鹿にするように言うと、目の前の顔がわずかに歪む。きっと、大好きなあの子のことを悪く言われて、腹が立っているのだろう。


 だけど、彼は賢い。私の機嫌を損ねるとどうなるか分かっているからこそ、黙って大人しくしている。


 まあ、そんな姿を見せられると、もっとひどいことをしたくなってしまうのだけど。



「……いい」


 そんなことを考えていると、彼が静かに私の手に触れた。


「この目が、気に入らないなら潰せばいい。顔が気に入らないなら変えればいい。他にも全部、俺のことは好きにして構わないから」

「まあ」

「だから、彼女には……彼女だけには何もしないでくれ」


 懇願するように、瞳が揺れている。

 あの子を通して見ていた彼は、いつも余裕たっぷりだったのに。


 今は弱々しく、ただ私に縋っている。


「……ふふ」


 私は小さく笑った。


「素敵ね」


 そんなにあの子が大切だなんて、少し妬けちゃうかも。……なんて、決して口には出さないけど。


「いいわ。貴方のその健気さに免じて、あの子には手を出さないであげる」


 どのみち私が手を出さなくとも、あの子の魂は闇の中に堕ちたままでしょうし。


「だけど、口でいうのは簡単なこと。行動で示してもらわないと」


 試すように言うと、彼はわずかに息を呑む。そして、自身の胸ポケットからナイフを取り出した。


「あら、随分と物騒なものを持ち歩いているのね」


 内心では呆れながらも、これから先の展開に胸が高鳴る。そんな私を、彼は鋭く睨みつけていた。


「……約束、守れよ」

「ええ、もちろん」


 そう言って、にっこりと微笑む。


 すると、次の瞬間。

 彼は自身の右目に向かって、何の躊躇いもなくナイフを振り下ろした。



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