正体-3
「──あれ? 失敗しちゃいました?」
エミリアの不思議そうな声が、響く。
わたしの手を離した彼女は、こてんと首を傾げた。
その表情も、仕草もいつもと変わらない。
だからこそ、怖かった。
(どう、して……?)
ぎゅっと腕輪を握りしめる。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
気がつけば、弾けるような音とともに腕輪がまばゆい光を放ち、わたしを包み込んでいた。
その光を見たエミリアが、小さく「なるほど」と呟く。
「その腕輪のせいでしたか。どおりで気を失わないはずです」
薄く笑みを浮かべながら、エミリアは淡々と告げた。
「星夜祭のときといい、なかなかうまくいかないものですね」
「エミ、リア……」
「はい、なんでしょう?」
「どうして、わたしを攻撃したの……?」
震える声で、問いかける。
彼女はさっき、わたしに向かって魔法を放った。
いつもと変わらない、愛らしい笑みを浮かべたまま。
レインがかけてくれた防御魔法がなければ、きっとわたしは無事ではすまなかっただろう。
「やだなあ。そんな顔しないでくださいよ。まるで、私が虐めているみたいじゃないですか」
ため息混じりにそう言って、エミリアは肩をすくめた。
「私はね、ただ約束を守ってほしいだけです」
「……約束?」
「ええ。私の恋を応援する、協力してくれるって、そう言ってくれましたよね」
恐怖で震えるわたしをよそに、エミリアは楽しそうに声を弾ませる。
たしかに、そんな約束はした。だけど、それは彼女がレインのことを好きなのだと勘違いしていた頃の話で、いまの彼女の好きな人は──。
「あ、もしかして勘違いしちゃいました?」
そう言うなり、エミリアは軽くわたしの肩を押した。
力の入らない身体は、あっけなくベンチに倒れ込む。衝撃で、手からはお守りがあっけなく落ちた。
ころころと転がったそれを見つめていると、ぎしりとベンチが軋んだ。
「……エミリア、」
「たしかに私はアナスタシア様が好きだと言いました。でも、それはあなたのことじゃない。私が好きなのは、あなたの中にいる本来のアナスタシア様のことですよ」
エミリアの冷ややかな目が、わたしを静かに見下ろしている。
「なんで、って顔ですね」
エミリアはくすりと笑う。
「知っていて当然でしょう? 私の中にだって、彼女がいたのですから」
「彼女って、まさか……」
「はい。本来のエミリア・セラフィーネのことです。彼女の魂はたしかにここにありました」
そう言うと、エミリアは自身の胸のあたりに手を当てた。やはり、わたしと同様に本来のエミリアの魂も彼女の中にいるのか。
(……待って、いま「ここにあった」って言った?)
「……いまは、もういないの?」
「ええ。彼女の魂は消えてなくなりましたから」
──消えてなくなった?
目を見開き驚くわたしをよそに、エミリアは平然としている。まるで、どうでもいいことみたいに。
「ほら、はやく代わってくださいよ。あなたじゃなくて、アナスタシア様とお話がしたいのです」
「それは、できない」
「……どうしてですか?」
「ゲームをプレイしていたなら分かるでしょ。アナスタシアはラスボス悪女よ。そんな彼女を表に出すわけにはいかない」
あの日、対話したときにも痛いほどわかった。どこまでいっても、彼女は残忍で非道な悪女だ。許されるべき存在じゃない。
しかし、エミリアは首を傾げた。
「それの何がいけないのですか? 私は、そんなアナスタシア様だから好きになったのですよ」
「……え?」
「あの日、初めてアナスタシア様と出会った日、世界がきらきらと輝いて見えた。そして、あの方の全てを知れば知るほど、もっと好きになったのです」
「だから」と、エミリアは続ける。
「アナスタシア様がいらないというなら世界は滅びてもいいですし、彼女に傷つけられ、陥れられる人間がどれだけいようとも構いません」
喉からひゅっと息が漏れる。
「私は、心の底からそう思っています」
恐ろしさで、言葉が出てこない。
それを見透かしたように、彼女は笑った。
「……ふふ、その顔。あなたもどうせ理解できないって思うのでしょ? 彼女もそうでした」
そう言うと、わたしの首に手をかけたエミリアがぐっと力を込める。
「やめっ……」
「殺しはしませんよ。ただ、抵抗されると面倒なので、大人しくしていてくださいね」
どんどんと力を込められて、だんだんと息ができなくなっていく。
(この細腕のどこに、こんな力が……!)
涙でぼやける視界の中、きらりと腕輪が光るのが見えた。そうだ、防御魔法をかけられていたとしても、元の効果はなくなっていない。
(……ごめん、エミリア──)
次の瞬間、わたしはありったけの力を込めて、エミリアの身体を突き飛ばした。
「──きゃあっ?!」
「……ごほっ、けほ……!」
(苦しいけど、急がなきゃ……!)
派手に吹き飛んだ彼女は、しばらく立ち上がれないはずだ。まだ聞きたいことはあったが、とにかく、今は彼女から逃げないと。
そう思って駆け出した瞬間、ぐらりと視界が歪んだ。
(……なに、これ──?)
力が入らなくなり、思わずその場にへたり込むと、後ろから呑気な声が聞こえてくる。
「……いたたた、もーヒロインを突き飛ばすなんて、罰当たりすぎますよ」
そして一歩、また一歩と、こちらに近づく足音が聞こえてくる。逃げなきゃ、そう思うのに身体は動かなかった。
「ふふ、鬼ごっこはもうおしまいですか?」
その声に顔を上げると、わたしの前にエミリアが立っていた。
「な、んで……」
あんなに強く突き飛ばしたというのに、まるで効いちゃいない。それどころか、余裕たっぷりの表情まで浮かべている。
「ヒロインの身体ってね、頑丈にできているものなのですよ」
そんなわけあるものか、なんて反論する余裕はもうなかった。
ぐるぐると視界が歪み、気持ちが悪い。ちょっとでも気を抜けば、意識を失いそうだ。
「わた、しに……何をしたの……」
「ちょっとした保険ですよ。あなたが無防備で、本当に助かりました」
そう言うと、エミリアはわたしの前に水の入った瓶を見せた。
(……ああ、そういうこと。水に何かを盛られていたなんて。気をつけろって言われてたのに、本当に馬鹿だなあ……)
「それにしても、アナスタシア様って術だけでなく、薬も効きにくいんですね。なかなか効果が現れないから、焦りましたよ」
瓶をしまったエミリアが、わたしの前にしゃがみ込む。
「でも……そういうところ、解釈一致すぎます」
うっとりとした声色でそう呟いた彼女は、わたしの頬にそっと触れた。
その瞬間、嫌悪感が一気に押し寄せる。
(──怖い、気持ち悪い)
なんとか力を振り絞って彼女の手を振り払うと、くすくすと笑い声が響いた。
「もう、そんな顔しないでくださいよ。アナスタシア様の美貌が台無しじゃないですか」
「さわら、ないで……」
「安心してください、あなたはただ眠るだけ。そして、次に目を覚ましたとき──きっと素敵な世界になっていますよ」
思考がままならない。身体がいうことを聞かない。もう何もできなかった。
「おやすみなさい、偽物のアナスタシア様」
エミリアが祈るように両手を重ねる。
その瞬間、彼女の手にやけに見覚えのある杖が現れた。
(これは、エミリアのソウル魔法……)
ーーなにを、反転させるのか。
嫌な予感が脳裏をよぎる。けれど、もう遅い。
わたしの意識は真っ暗な闇の中へと落ちていった。




