楓の香気 後編-愛の引き寄せ編
2話連続投稿しましたので、本日分は前話からお読み願います。
夕方になって梨壺北舎に女東宮様の側仕えである百合姫が参内して来ると、入れ替わりに楓尚侍の仕事は終わりとなる。やれやれ今日も疲れたと、重い唐衣裳を引き摺りながら女房達と共に自分の御殿である承香殿に戻る。その頃を見計らって、珍しく政務を終えた父の左大臣が楓尚侍の部屋を訪ねて来た。
実の親子であるため、身を隠す御簾を上げ、几帳などは置かず、直に対面して人払いをした。父親の様子から、重大な話がしたいようだった。
「こちらにお出でとは、珍しゅうございますね、父上」
「先程まで承香殿の女御様とそなたの事で相談していてな」
「ええ? 私の事? 姉上様と?」
思いも掛けない父親の言葉に楓尚侍は首を傾げた。
「女御様も妹のそなたの将来を案じておられる。直に新東宮様がお立ちになられると、ご退位される女東宮様はご降嫁される事は知っているな」
「ええ!! それは本当ですか?」
扇では抑えきれない程の驚きの声を上げた楓尚侍に、左大臣の方が身をビクッとさせて驚いた。
「そなた、あれほど身近にお仕えしていて知らなかったのか!?」
「全く! それで、お相手は誰なのですか? もしや以前ご求婚されていた大納言家の頭の弁様ですか?」
「いいや、違う。誘拐されていた新東宮様を救出した桂木の宰相殿だ。まあ、最も高貴な自分の同腹妹と結婚させるのは、お礼や褒美みたいなものだな」
頭の弁ではないと聞いて、楓尚侍は何故かホッとする。そして、桂木の宰相と聞いて、女東宮様の側仕えである百合姫を思いついた。月の天女にも例えられる後宮一の美姫だ。女東宮とは、主従の間柄を越えて、大変仲睦まじい。
百合姫は桂木の宰相の妹姫である。何故か毎晩一人で添い寝までして、あんなにもべたべた引っ付くほど献身的に仕えているのか、楓尚侍にも少しだけ合点がいった。何が何でも兄の宰相と結婚してもらいたかったのだ。おそらく百合姫は、兄の美点長所について、毎日のように女東宮に吹き込んでいたのだろう。実家の式部卿の宮家は、政略的にも有利になる新東宮と同腹の妹宮を兄妹でガッチリ囲い込んで逃がさないつもりなのだ。
「それでだ、私としては、そなたを新東宮様の尚侍としてお仕えさせてから、いずれ女御として昇格させたかった。だが、承香殿の女御様のお話では、あの新東宮様は以前から右大臣家の姫君ただお一人を深くご寵愛されているとか。美貌自慢の女房達が皆振られたと嘆いていた」
困ったものだといった風に左大臣はため息をついた。
楓尚侍もその話は後宮で嫌味として良く聞かされていたので、ウンウンと父親に同意する。でも内心、一途に右大臣家の姫を愛するその新東宮を憧れと共に尊敬している。女なら誰だってそんな風に殿方に想われたいものだと。
「更に、ご懐妊されている。私は、右大臣家の悪運強さで男皇子を生むような気がするのだ。占い師も全員そう言っている。そうなると未来の東宮はその男皇子だ。そなたの兄の娘、私の孫姫が入内することも既に決まっておる」
「そんな先まで……」
まだ生まれてもいない赤子について、後宮で出仕してはいたが既に政治的な動きは決まっている事に、若い尚侍は驚く。だが、それが貴族の政治というものだと、今更に強く実感した。
「そこでだ、そなたのこれまでの経歴(駆け落ち)の事を考えると、新東宮様に妻にと強くはお勧めできない。ならば、次の縁を探しても良いのではないかとな。私はそなたも幸せになってほしいと思っている」
「父上……。でも次の縁と言っても、私は気が進みません」
「そう言うな。実は、右大臣家から内々に打診があった。長男の妻にそなたを、とな。あの山吹の少将だ! ほら、年も近いし、宮中でも覚えめでたい美少年だぞ! ニコニコ笑顔で素直そうで可愛いじゃないか! 帝の姫宮の婿候補にすら上っている!」
大いに勧めたい気持ちは分かるが、父親の口から他家の息子について、『美少年だ』『可愛い』とは聞きたくなかった。妙な意味合いに聞こえてきそうで、怖い。それに駆け落ちして置き去りにされた時の事を想うと、どうしても男を信じる気になれない。あの純真そうなニコニコ笑顔の山吹の少将でもだ。
「なんとか、新東宮がお立ちになる前に決めたい。お前の主が男主に変わってしまうと、妻の一人とみられて婚儀も難しくなる。早めにしよう」
「お待ち下さい、父上! もう、山吹の少将様との婚儀は決定なのですか!」
「そうだ。何も問題無い、贅沢過ぎる相手だ。右大臣家とも強い絆が結べる。願ったり叶ったりだ。帝と女東宮に退出の願いを出しておく。婚儀のため、左大臣家に戻ることになるから、そなたも心して待ちなさい」
父の左大臣は、決定事項を上手く伝えられたと満足気に立ち去って行った。どうにも納得できない想いで唇を噛み、楓尚侍は父親の背を見送る。
「あ、あの尚侍様、お文が……」
父親と入れ替わるように、見習い女房として仕える女童が、その少女の腕よりも長く切られた大ぶり過ぎるほどに豪華な紅梅の枝を部屋に持ち込んだ。秘密にせよと命じられたのか、どこかコソコソとして辺りを伺うように怯えている。だが、こんな大き過ぎる派手な紅梅を隠せるはずがない。その少女の可哀想なほどの一生懸命さに、なんだか楓尚侍は微笑んでしまった。
沢山の紅い梅の花から春の始まりに相応しい上品な香りが辺りに漂い、楓尚侍を包み込むかのようだ。その枝には結ばれた文があった。その女童に下がるように命じ、人払いをしたまま楓尚侍はその文を開いた。
毎日のように読んでいた良く見知った手蹟で、『おめでとうございます』とだけ書かれていた。仮に仕える女房達がこの紅梅を見ても、世間一般的な何かのお祝いと思える。
だが、この季節に相応しい豪華な梅の枝は、間近に迫った『梅の花の宴』を催す右大臣家を示し、大ぶり過ぎるほどの枝は『欠け落ちていない(駆け落ちではない)』ことの嫌味にも取れた。更には先程の無理に隠そうとビクビクしていた少女の姿が自分だと言われているようにも見えて、思わず楓尚侍はホホホと寂しげに笑ってしまう。
さすが宮中一の情報通の大納言家らしく、もう楓尚侍と山吹の少将との婚儀について頭の弁は知ったらしい。
初めて政務書類以外の物を贈られたが、誰が見ても男女の間に送られる文には見えない嫌味だった。でもなぜか豪華すぎるだけに、楽しい嫌味の遣り取りの終わりを告げられたようで悲しくなり、思わずクシャリと顔が歪んでしまった。
一度目は親から盗み出されるように駆け落ちして失敗した。今度は貴族の姫によくある親の言いつけで婚儀を挙げる。相手の山吹の少将は美形の良い人で、名門の嫡男だ。確かに人も羨むお相手だ。だが、何か違うと楓尚侍は思った。
最初の恋人に役立たずと言われて屈辱と寂しさに涙した。それを跳ね返すように、出仕した後宮で懸命に働き、女東宮や帝に有能だと認められた。なのに結局、単なる貴族の妻に納まるのだ。何のために頑張ってきたのか分からず、せっかく努力したのにつまらないと思う。いや、がっかりだ。
情熱をぶつけるほど、何かをやってみたい! 駆け落ちを決心した時の様に! と心の奥で妖狐が吠えた。
「ねえ、楓尚侍。元気が無いようだけれど、大丈夫? あなたも夢見が悪くて眠れずにいるのかしら?」
「ご心配かけて申し訳ございません。大丈夫です」
女東宮に呼ばれて梨壺北舎を訪問すると、楓尚侍のあまりの元気の無さに女東宮が心配してくれた。友人として親しくしたいという意向から、女東宮とは御簾越しではなく直に対面しているので、顔色の悪さを見られてしまったのだ。まさか結婚が嫌で悩んでいますとは言えず、ごにょごにょ誤魔化す。
「そう? 実は私、お忍びで右大臣邸に行く事になったの。悪いけど、私の不在を誤魔化してもらえる? 夢見が悪いと相談したら、しばらく場所替えして厄払いすることになったの。東宮が厄払いとは、世間的に聞こえが悪いから、内緒よ」
「畏まりました。……ひょっとして、また文遣いの童姿で行かれるのですか?」
「そうよ。百合姫が右大臣邸に遊びに行くお供の一人として、文遣いの童になるの。女東宮の姿では気軽に出歩けないもの」
この女東宮の妙な男装癖には困りものだと、側仕えの年寄り女房に良いのかと視線を送ると、二人は諦めたように小さく頷いた。今回は女東宮の兄宮様が許可されているのでしようがない、とヒソヒソ楓尚侍に囁く。
「わかりました。奥御簾内でお休みになられていることにしましょう。いつものように」
「お願いね」
翌日、文遣いの童姿になった女東宮は「百合姫とお出掛け!」と嬉しそうに後宮から牛車に乗って出発した。本当に厄払いが必要なほど夢見が悪いのかしら? この上なくお元気そうだけど、と楓尚侍は疑いの眼を向けつつも主を見送った。
それにしても、女東宮の行動力に楓尚侍はいつも畏れ入る。高貴な姫宮が身分低い文遣いの童になって顔も隠さず自由にうろつく。権力者の右大臣を味方にし、兄宮を守るためとはいえ帝の息子の親王を強引に蹴落として東宮位に就いた。更に左大臣に対する人質として自分を無理矢理に尚侍として召し出したり、やりたい放題だ。
まだ何か隠していそうな気もするが、怖い事を聞かされそうなので、楓尚侍は敢えて追求せずにいる。
ああいうのを情熱的に動いているって言うのよ。あなたにできる? 心の奥で妖狐が唆すように尾を振った気がした。
「尚侍様、本日の書類をお持ちしました」
楓尚侍が女東宮の梨壺北舎でぼんやりしていると、外御簾向こうから聞き慣れない公達の声がした。あら、頭の弁ではないのね、と楓尚侍は訝しんだ。頭の弁ではないなら、慎み深い高貴な姫君らしく、直接話をする訳にはいかない。急ぎ取り次ぎ役の女房を呼び寄せた。
「いつも書類をお持ち下さる頭の弁様はいかがされたか、と尚侍様はご心配されております」
取り次ぎ役の女房に尋ねさせると、文官の公達が深々と頭を下げて礼を取った。不興を買ったかもしれないと怯えているようだ。
「畏れ入ります。本日は体調が悪くお休みされると連絡がございました。いつもお気に懸けて下さる尚侍様には、大納言家ではなく頭の弁様ご自身のお邸で気ままに養生しているのでご安心を、と伝えるように言われております」
「……尚侍様は、ゆっくり養生してほしいと仰られております。では、その文箱をお預かり致します」
御簾の下から押し入れられた文箱を女房から手渡され、いつもの様に楓尚侍は書類を手に取り読み出した。だが中身はいつもと違う。まるで予め今日休む準備をしていたかのように、書類に不備が全く見当たらない。念のために何度も読んだが無かった。
(やっぱりいつもの不備は態とだったのね!)
これまで揶揄われた怒りに眉間にしわを寄せ口元をひくつかせながら読み進めると、紙束の真ん中ぐらいで手触りの違う紙が紛れているのに気付く。そこには謎の一言が頭の弁の手蹟で書かれていた。
『ご決心はつかれましたか』
(何の嫌味よ! 結婚を迷っている事に対してなの!? どうしろって言うのよ!)
不意に、自分の思うままにならない現状と、姿の見えない頭の弁の嫌味でグズグズ悩んでいた心から熱い力が湧き上がった。ぐしゃりとふざけた文を握り潰し、力強くスクッと楓尚侍は立ち上がった。
「な、尚侍様、いかがされました!?」
強い怒りでか謎の力を周囲に漂わせて立ち上がった尚侍にただならぬ迫力を感じて、後方にずり下がった女房が恐る恐る問う。
「今日、紅葉の中将の兄上は参内されているわよね!」
「も、もちろん。そのように伺っています。頭の弁様のように、特に体調が悪いとは聞いておりません」
「そう、では行くわ!」
顔を隠す様に扇を大きく広げるや、楓尚侍は一人で外廊下の簀子へと外御簾を掻い潜って飛び出した。すると見知らぬ三十代ぐらいの女房が低く伏して出迎える。いつの間にここに来ていたのか分からない。何者かと訝しむ。
「お祝いをお贈りした主に命じられ、お待ちしておりました」
「お祝い?」
まだ右大臣家との婚儀の話は正式に広まってはいないため、お祝いを贈って来たのはただ一人、頭の弁だけだった。
「案内せよ」
「どうぞ、こちらへ」
見知らぬ女房に先導されて、楓尚侍は後宮をズイズイと躊躇う事無く重い唐衣裳の袴を掴んで進んだ。慌てて後ろから側仕え女房が付き従って来る。やがて先導女房は、とある立派な造りの牛車へと楓尚侍一行を案内した。「この牛車のご家紋は大納言家の……」と後ろから女房が扇で越しにヒソヒソと語るが、全く気にせず楓尚侍は乗り込んだ。
最初は兄の牛車を勝手に拝借しようかと思っていたが、楓尚侍の行動を先読みしていた頭の弁が、万が一の危険も無いように先導女房やら牛車をしっかり用意してくれていたのだ。
ゴトゴトと牛車は進み、楓尚侍も自らの意志で前に進んだ。楓尚侍にもう迷いはない。あの人は待っていてくれているのだ。ならば、自分があちらに行こうと。
「なによ、やっぱりピンピンしているではないの。体調が悪くてお休みしているのではなくて?」
連れて行かれた上品且つ豪華な邸の外廊下を案内されるままに進んで、御簾をくぐった先には、嬉しそうににこやかに微笑みつつ、気楽な直衣姿で座していた頭の弁がいた。数冊の書物に囲まれ、布団すら敷いていないので、本当に仮病らしい。ムカッときて口元がひきつった。
「ご心配、ありがとうございます、楓の君。こうして一人お待ちしていて良かった。やはりあなたは来てくれた」
いつも平常心の塊のような表情しか見た事が無かった楓尚侍は、こんなにも嬉しそうな頭の弁を見たことが無い。自分ばかりが激情のままに動き、重大な決心をしたような気がして、腹が立ち、顔が熱くなってくる。
「何嬉しそうに微笑んでいるの! 私は待たせた覚えは無いわ! あなたが勝手に!」
「でもあなたは選んだ、私に会いに行く事を。私が見込んだ通り、あなたは何もできない単なる美しいだけの姫君とは違う。自分で動ける人だ。私の興味を引き、競わずにはいられない、優れた姫君だ」
「もう、どうしてくれるのよ、あなたのために女東宮様の政務を放ってきてしまったわ! 勝手よ、男はいつでも自分勝手だわ! 謝って! いつものように謝ってよ!」
言いたいことを言える相手に会い、寂しかった想いをぶつけるかのように大声で怒鳴る。更には自分を捨てて去った駆け落ち相手への恨みつらみまで分まで八つ当たりした。あまりの取り乱しように、美貌で名高い楓尚侍の顔は既に涙で化粧がぐちゃぐちゃだ。
「大変申し訳ございません」
初めて真摯な心からの謝罪の言葉を聞いた。それが自分を捨てた恋人からの謝罪の様にも思えて、また大粒の涙があふれ出た。
「ああ、本当に悪かった、私の楓の君。おいで、いや、私の側に来ておくれ」
いつの間にやら吸い寄せられるように楓尚侍は頭の弁の腕の中に飛び込んでいて、その広い胸に泣いて縋っていた。ようやく待ち続けていた胸に抱き寄せられたような気がする。大きく繊細な文官の手が、優しく何度も艶やかな楓尚侍の髪を撫でて、黙って慰め続けてくれた。その間、ひたすらこれまでの悔しさを流し出す様にオイオイと泣いてしまった。
しばらくして、ヒックヒックと息を乱しながらもようやく楓尚侍は涙が治まった。慰めてくれた男を赤い涙目でジロリと睨み上げる。
「も、もう、こんな事をしては、あなたは身分高き妻を得ることは許されません。私が、後宮を飛び出して、大納言家の牛車に飛び乗ってしまった事は、家人達が見ていたから、既に噂になっているわ」
「妻をもらえないのは、私の方なのかい?」
普通ならもう夫を得られなくなったと騒ぐのは姫君の方なのに、態と世間一般と逆を言う気の強さがまた頭の弁の興味を引く。
「そうよ! せ、世間知らずね、あなたは! 私の醜聞は、昔の駆け落ち騒ぎで既に落ちているもの……。だから、責任を取って、あなたを私の夫にしてあげます。感謝しなさい」
涙に濡れて真っ赤な目と顔で、負けまいと精一杯の強がりを見せる姫に魅せられずにはいられない。頭の弁は思わず笑みを浮かべてその紅い顔を見つめてしまう。
「そうか、私を夫に迎えてくれるのか。良かったよ、責任取ってもらえて。こんな騒ぎを起こされては、もうどこの姫君にも振り向いてもらえそうにないからな」
「大丈夫、ちゃんと養うわ。だって私は帝と東宮様の覚えめでたき尚侍なんだから」
クスクス笑って、頭の弁は面白くて愛しい姫君をギュッと抱き締めた。尚侍も、全くもって素直じゃないし可愛くもない、普段は社交的な笑みしか浮かべない、愛しい楽しい公達を捕まえたとばかりに抱きついてあげた。
右大臣家で騒ぎを乗り越えて、百合姫と共に梨壺北舎戻った女東宮は、楓尚侍が突然飛び出して行って姿を消したと聞き、驚きの声を上げた。
「ええ!? あの上品な楓尚侍が! どうなっているの?」
女東宮の側仕えの老女房二人が困った様に、しどろもどろ説明する。
「突然、大納言家の牛車に飛び乗って、後宮を出て行ってしまったらしいのです」
「左大臣様や兄君達が大納言家に押しかけて問い詰めたところ、どうも頭の弁様のお邸に、お二人きりでおられるようで……」
几帳の陰で女東宮と百合姫は、つまりそれはと、視線をチラリと交わし合う。
「頭の弁様がお体を悪くしたと聞いて、尚侍様は酷く動揺され、その……」
「言いにくいのですが、『押しかけ妻』をされたと言う事らしくて……」
老女房二人の言葉に女東宮は耳を疑った。
もう、その日中に口の軽い家人や女房達の間で、楓尚侍の噂話は広がってしまった。赤っ恥で真っ赤に染まった楓のような姫と言われていた。だが、今や『駆け落ち姫』から『押しかけ妻』へと、楓尚侍の醜聞の内容が書き換わってしまった。
後日、大納言家の牛車で楓尚侍は再び後宮に参内した。今更の醜聞なのでもう噂なんてどうでもよいと言う不遜な態度だ。この噂のせいで、父親の左大臣もどうしようも無くなり、正式に二人の仲を認め、右大臣家に謝罪を入れたという。
落ち着いたとある日の朝、女東宮は晴れやかな顔で梨壺北舎に現れた楓尚侍に、人妻となった今後はどうするのかと尋ねた。
「お許しいただけるのなら、出仕を続けたいのです。私が夫を養いたいので」
「はあ? (文官で出世頭の)頭の弁を養う? 大納言家の長男の?」
「はい。女の意地でございます。姫だって、殿方に負けてはいられませんので」
その回答に噴き出して笑った女東宮は、出仕を続けることを許した。女東宮だって親王を強引に蹴落としてその座を掴み取ったからだ。更に後日、新東宮からも仕事への情熱を認められ、改めて新東宮付きの尚侍を任命された。
「ほーほっほっほっほ!」
月に向かってある女御が喜びの声を上げていた。内心ずっと懸念していた最大の恋敵が他の公達と結婚し、苦労せずして消えたので、嬉しくて堪らなかった。実はこれまで、どうやって排除しようか密かに悩んでいたのだ。
「月を見て、いつも何がそんなに楽しいのか分からないが、女御がご機嫌で良かった」
新東宮もいつもの様に、愉快な妻をそっと抱き締めた。
終わり。
変な人達ばかりです。