妹に、「何の取り柄もない役立たず!」と喚かれて〜悲しんでたら辺境伯が指に髪を巻きだしました。え?〜
「……え? し、知って?」
エマは、何を言われたのか理解できずに目を瞬いた。
ロビンはエマの腰をしっかり抱き留めたまま、今日の天気でも語るような軽さで繰り返した。
「君がウィンター伯爵令嬢のエマだってこと?」
「な、なな……!」
あれほど勇気を振り絞り、心臓が口から飛び出そうな思いで告白したというのに、ロビンは微塵も驚いていない。
「まぁ昨日からソワソワしっぱなしだったしね。いつ言ってくるのかと思ってたよ。何か言いたいことがあるんだね?」
エマはごくりと生唾を飲み込んだ。
「……あの、これを見ていただきたくて」
エマは、あの地下牢でとったメモを取り出した。
「なるほどね。ウィンター家の紋章を身につけさせ、わざわざ忠臣を名乗らせる。そして、俺を襲ったあとでこいつの死体だけが残れば、前伯爵に仕えていた者たちが、新しい領主である俺へ反乱を起こしたように見える」
「では、旧臣による襲撃ではなく……」
「旧臣の犯行に見せかけた、悪質な偽装だろうね」
ロビンが氷のように冷たい声で言い切る。
「勅書が届く前に俺を暗殺できれば、それでよし。失敗して捕まり、こうして死体になっても、ウィンター家の残党へ疑いを向けさせることができる。ついでに新領主による帳簿の調査も混乱させられる。本当によく考えられてるよ」
「そんな……」
「この情報は、本物のウィンター家の人間にしか分からない?」
「はい。あの人は、古い帳簿を読んで得た知識を暗記していただけです。おそらく、その指示を出したのは――」
その時だった。
扉をノックする音と、「ヘラ・ウィンター様、並びにエスター・ウィンター様がお待ちでいらっしゃいます」と侍従が改めて告げる声は焦りを含んでいる。そしてその向こうで、「早く通しなさい!」という金切り声が聞こえてきた。
エマはその声に震え上がった。
「君は帰りたくないんだよね?」
エマはコクコクとうなずいた。
「じゃ、あの面倒くさいお客様を追い返さないとねぇ」
ロビンがひょいっと扉へ視線を向ける。
先ほど来訪を告げた侍従は、まだ困惑した様子で開いた扉の前に立っていた。
「二人には、応接室で待ってもらって」
「しょ、承知いたしました。ですが――」
「エマ!」
侍従の言葉を遮り、ヒステリックな女の声が廊下から響いた。
次の瞬間、制止する使用人たちを強引に押し退け、ヘラが執務室へ飛び込んでくる。その後ろには、華やかな桃色のドレスをまとったエスターもぴったりとくっついていた。
同時に、ムワッとむせかえる香水の匂いに、ロビンは顔を顰めた。
「お初にお目にかかります、ロビン様。わたくしは、ヘラ・ウィンターと申します。そしてこちらは娘のエスターでございますわ。まだ十八歳ですの。おほほ……」
エスターの視線が、ロビンの腕の中にいるエマへ移った。床から離れた靴先を見て、目を丸くする。
「お姉様、本当にまだ浮いているのね……」
「エスター」
ヘラが低い声で遮る。
ほんの一瞬、ロビンの青い瞳が細くなった。
「あぁ! エマ! よかった……! 本当に生きていたのね!」
ヘラは今気づいたとばかりに、両腕を広げてエマへ駆け寄った。
半年前、「足を折ってでも連れ戻せ!」と狂ったように叫んでいた人物とは思えない、慈愛に満ちた母親の顔だった。
「お、お義母様……」
反射的にエマの身体が強張る。
だが、ヘラのわざとらしい手が触れるより早く、ロビンがエマを抱いたまま、くるりと一歩退いた。
「何をなさるのです、辺境伯様。その子は私の愛する娘ですわ」
「義理の、ね。」
ロビンは笑っていた。だが、青い瞳には少しの温度もない。
「それに、本人がものすごく嫌がってるみたいだけど」
「嫌がっているだなんて、とんでもない!」
ヘラとエスターは胸元へ手を当て、悲痛な顔を作った。
「この子は父親を亡くした悲しみで心を病み、葬儀の直後に突然姿を消したのです。私たちがこの半年間、どれほど心配して捜し続けたことか……!」
「お母様は毎晩、お姉様が無事に戻ってきますようにと祈っていたのよ。私だって、心配で眠れない夜が何度もあったわ!」
「……嘘」
エマの口から、微かな声がこぼれた。
胸の奥で、何かがガタガタと震えている。怖い。今すぐロビンの腕から逃げ出し、誰にも見つからない天井の裏へ隠れてしまいたい。
それでもエマは、ロビンの黒い軍服をぎゅっと握り締め、ヘラを真っ直ぐに見返した。
「嘘よ! お義母様は、私を心配して捜していたんじゃありません。私はまだ結婚なんてしないと言っているのに、男爵のもとへ無理矢理連れて行こうとしたんです」
「男爵……? なんの話だ?」
怪訝な顔をするロビンを他所に、ヘラは引きつった笑顔を浮かべる。
「な、何を言っているの?」
「か、カエサル・ヴェイン様のことです!」
エマの告発に、ロビンの目が丸くなった。
「は? カエサル・ヴェイン!? 君、あのカエサルなんかと婚約してたわけ!?」
「い、今はそれは置いといてください!」
エマはこの男は何を言い出すんだとばかりに、ロビンを見上げた。
「いや置いとけないでしょ。あの男は帝都じゃタラシで有名なんだよ? しかも『まだ結婚なんて』ってことはいずれするつもりだったわけ? 君ねぇ、あいつがどんなヤバい奴か知ってて――」
「ちょ、変なふうに切り取らないでくださいっ! 結婚自体まだするつもりないってだけで! か、カエサル様とは会ったことも……」
そこまで言いかけた時にヘラは意地悪く笑うと、素早く表情を作り替えた。
「まあ……! やっぱりロビン様には内緒にしていたのね。駄目よ、婚約していることを隠して近づくだなんて」
ヘラがしたり顔でこう付け加えた。
「なんて悪い子なのかしら?」
ドスの効いた低い声だった。しかしそれにも怯まず、エマは言い返した。
「ちっ、違います! 内緒にしてたわけじゃ! そもそもその婚約は私は了承してません! だから帰りません!!」
「本人は、こう言ってるけど?」
ロビンはエマを抱いたまま、ヘラへ問いかけた。
「これはウィンター伯爵家の問題ですわ!」
「今そのウィンター領を預かるのは、俺だけどね」
ヘラの顔がぴくりと引きつった。
たまらず、それまで泣く演技を続けていたエスターが声を荒げる。
「お姉様が辺境伯夫人だなんて無理です! 何の取り柄もない役立たずなのよ!」
「エスター……」
役立たず。何度も浴びせられてきた言葉に、エマの肩が小さく震えた。
ロビンはそれに気づき、腰を抱く腕へ静かに力を込める。
「何の取り柄もない、ねぇ」
青い瞳が、机の上へ整然と積まれた帳簿へ向けられた。
「彼女は、財務院の人間が見落としていた鉱山輸送費の不自然さを、報告書を一度見ただけで見つけたよ」
ヘラの頬から、血の気が引いた。
「それに俺の執務室と、数か月分のぐちゃぐちゃだった書類を、たった一日で完璧に整理してくれた。パン屋では帳簿と仕入れを任され、毎朝何十人もの客を一人で捌いていたし?」
「それは……」
「少なくとも、半年間も帳簿を提出できなかった人たちよりは、よっぽど有能なんじゃない?」
ロビンは穏やかに笑っている。しかし、その低い声には一切の反論を許さない絶対的な冷たさがあった。
エスターが血相を変えてエマへ詰め寄る。
「嘘よ! お姉様なんかが、私より褒められるなんて……! 嘘ついて騙しているに決まってますわ!!」
「やめてください!」
エマが言い返すと、エスターの表情が一変した。
「お姉様のくせに、私へ逆らうの!?」
エスターの手が大きく振り上げられる。エマは反射的にギュッと目を閉じた。
けれど、いつまで待っても頬に痛みは走らない。
恐る恐る目を開けると――エスターの手首を、ロビンが片手で軽々と掴んでいた。
「俺の婚約者に、何しようとしてるの?」
「ち、違います! 私はただ――」
「前にも、こうやって彼女を殴った?」
気怠げな笑みが、ロビンの顔から完全に消え去っていた。
ロビンの青い瞳が、凍りつくほど冷酷な光を放つ。殺気すら混じったその視線に射抜かれ、ロビンが手を放すと同時に、エスターはよろめきながら母親のもとへ逃げ帰った。
「ご、誤解ですわ、辺境伯様!」
ヘラが慌てて二人の間へ入る。
「エスターは、姉との再会に少し興奮してしまっただけなのです。本当は心優しく、教養もある立派な娘で――」
「興味ないかな」
「まだ何も申し上げておりませんわ!」
「聞かなくても興味ないよ。帰って」
あまりにも素っ気なく、虫でも払うように言い切られ、エスターの顔が屈辱で真っ赤になった。
それでもヘラは引き下がらない。引きつった笑顔を保ちながら、震える声で続ける。
「……ブラックウッド家とウィンター家が結びつくことは、互いの領地にとっても有益ですわ。もし正式な婚姻をお考えでしたら、エマのような欠陥品よりも、エスターの方が――」
「いらない。俺が欲しいのはエマだから。妹の方は、そっちで何とかしてくれる?」
偽物の婚約者を守るための方便だ。
そう分かっているのに、「欲しい」という言葉だけが胸の奥へ落ちて、心臓が大きく跳ねた。
「……ですが、その子とあなたの婚約は成立しませんわ!」
ヘラの声が、切り裂くように鋭くなった。
「なぜ?」
ロビンの声が一段低くなり、ヘラは思わず怯んだが負けじと言い返した。
「あなたの父親が、生前に許可した正式な縁談よ。お相手はカエサル・ヴェイン男爵。もう相手先の承諾だってもらってるんだから!」
「う、嘘です! 私を愛してくれていたお父様が、そんなことを許すはずがありません!」
「あなたが知らなかっただけよ。さぁ帰るわよ!!」
ヘラの口元へ、醜く勝ち誇った笑みが浮かぶ。
「か、帰りません!!!」
エマが叫んだ、そのときだった。
「衛兵。この二人をお送りして。今後、エマの許可なく城内へ通さないように」
「なっ……! 辺境伯様!」
ロビンが冷たく言い放ち、ヘラが声を上げた。が、すでに衛兵たちが両脇へ立っている。
「私たちは家族ですのよ!」
「お姉様のせいよ!」
二人は口々に不満を言いながらも衛兵たちに連れ出され、バタン、と重い扉が閉まる。
足音が完全に遠ざかった途端、エマの全身からどっと力が抜けた。
「わっ」
身体がふわりと持ち上がる。
ロビンは慣れた様子で腰を引き寄せ、エマをすっぽりと胸元へ抱き込んだ。
「大丈夫?」
「は、はい……」
答えた声がひどく震えた。
ずっと強く握っていたロビンの軍服は、すっかり皺になっている。
「お父様は、本当に私をあの方へ嫁がせようとしていたのでしょうか」
「君の父親は、娘になんの確認もなく婚約を決める人なのかい?」
「! いえ! お父様はそんなことはなさいません! 婚約のことなんて一言も……」
「じゃ、あいつらの嘘だ。言った言わないの世界に、物証なんてないしね」
それでもエマの不安は消えない。
「でも、でもでも男爵が……カエサル様がもしこっちに来てしまったら……」
「来るかもね。でも君は行きたくないんでしょ?」
「はい」
「なら、追い返す。それだけだよ」
エマはそこまで言われて黙り込んだ。本当に大丈夫だろうか・・・もっと遠くへ逃げたほうがいいのでは?というかそうしなければロビンさんやシリルさんに迷惑をかけるのでは…考えれば考えるほど、早く出なくてはいけない考えに至る。
その時、エマは自分の髪に違和感を覚えた。くんっと引っ張られる感覚に視線を上げると、ロビンがエマの髪をその長い指にくるくると巻き付けていたのだ。
「あ、ああああの、ロビン様?」
「んー?」
「そ、それは私の髪です」
「え? 知ってるよ? 見ればわかる。ただ綺麗だなって思って」
至近距離でそんなことを言われて、エマはボンッと顔を赤らめた。
そこへ、それまで黙って、エマの手帳と帳簿を見比べていたシリルが、静かに近づいてきた。
「お戯れのところ、申し訳ありません」
「戯れてません!」
シリルは深々と溜め息を吐く。
「お二人とも、何も解決してないってことはお忘れなきようお願いしますよ? 黒幕も、解呪法も、ウィンター領の不正も、まだ何一つ解決しておりません。しかもヘラ様にバレたことで、王都に報告もいくでしょうし」
エマはごくりと喉を鳴らした。
「分かってるよ。一つずつ片づける」
そう言った声は、低く、冷たさをはらんでいた。
ロビンはふうとため息をつくと、エマの髪をそっと握り直し、前を見据えたのだった。




