私からすべてを奪った義母たちへ。言い逃れできない証拠が揃いましたので、あとは容赦ない断罪をお楽しみください
「はぁっ、はぁっ……! タウンハウスの、ヘラ夫人の私室の裏金庫から……たった今、回収してきました……!」
「シリル!!」
その場にいた全員が驚いて振り返る。
「こちらが裏帳簿。そして、こちらが帝都から送られてきた表帳簿です!」
シリルは汗を拭いながら、王陛下が座る玉座へ続く階段の上に、ドンッ、ドンッと二つの帳簿の束を並べた。
「この表の帳簿には、用途不明の大量の油、人件費の請求はあるものの、その用途の詳細と領収書が一切書かれていない!」
姿を消していたシリルが、決定的な証拠を持って帰還したのだ。
エマはロビンに支えられて、ドンッと置かれた裏帳簿と表帳簿の束の前に座った。
そして表帳簿に自分がつけた付箋のページを開き、次に裏帳簿をペラペラとめくり、ぴたりと止まるとそのページを並べた。
振り返ってシリルを見つめ頷くと、シリルがその上に、エマの父、ウィンター伯のサインが書かれた書類をそっと置いた。
『この鉱山を、川の汚染が防げる技術が確立されるまで、無期限で封鎖する。バーナビー・ウィンター』
エマは、その文字を見つめ、ぐっと瞳に力を込めた。
ーーお父様、見ていて…
「私たちは、鉱山へ直接出向き、発掘すると領民の飲み水が汚染してしまうという調査結果を見つけたわ。それがこれよ」
エマは、愛おしげに父の筆跡をたどり、そしてヘラを睨みつけた。
「お義母様。あなたは、お父様が領民の飲み水と川を守るために閉鎖した鉱山を、ご自分の利益のために無理やり復活させようとしていたのね」
「っ……!」
「この裏帳簿には、お父様が亡くなる前から、あなたが密かに採掘用の油や資材を大量に発注し、人を雇って裏で活動していた記録が残っています。私たち、ウィンター領の鉱山事務所の古い帳簿と照らし合わせて、全部確認したんですから!」
エマの毅然とした声が、広間に響き渡る。
「お父様は、『冬を歌い、民に春を』というウィンター家の標語の通り、領民の生活を何よりも大切にしていた。だから、環境を破壊する鉱山再開を絶対に許さなかった。……それが気に入らなかったから、邪魔になったお父様を、その禁書で作った毒で殺したのね!」
すべてを論理的に、そして完璧に暴き出したエマの推理に、国王は感嘆の息を漏らした。
「ブラックウッド辺境伯よ。この複雑な裏帳簿を、誰がそこまで読み解いたのだ?」
「俺の、優秀な婚約者です」
ロビンが、誇らしげにエマの肩を抱き寄せて答える。
ヘラはもう、一言も言い返すことができなかった。足から完全に力が抜け、その場にがっくりと崩れ落ちる。エスターもまた、カエサルの剣の下でガタガタと震えながら泣き崩れていた。
エマは、膝をつく義母を見下ろした。胸の奥で、ずっと押さえ込んでいた悲しみと怒りが、熱いマグマのように込み上げてくる。
「私のお父様を……! 優しいお父様を、返して! 返してよっ……!!」
ポロポロと、大粒の涙がエマの瞳からこぼれ落ちた。涙の筋が、煤で汚れたエマの頬を洗い流し、幾筋もの線を作っていく。最後の叫びは、悲痛な嗚咽とともに、静まり返った大広間へと悲しく響き渡った。
「このっ……小娘があぁぁっ!!」
すべてを失ったと悟ったヘラが、発狂したように叫び、隠し持っていた護身用の短剣を抜き放ってエマへと飛びかかった。カエサルが動くよりも、衛兵が止めるよりも早い、一瞬の凶行。
――だが、ドンッ! という鈍い音とともに、ヘラの身体は床へ無惨に押さえつけられていた。
「が、あ……っ!?」
エマを庇うように立ち塞がったロビンが、エマを抱き抱えたままにヘラの首元を容赦なく踏みつけていたのだ。その青い瞳には、帝国最強の特殊部隊で『死神』と恐れられた、絶対零度の殺気が渦巻いている。
「俺が大人しくお前の脅迫に従ったのは、エマの命が人質に取られていたからだ。……だが、俺の腕の中に彼女が戻った今、お前を生かしておく理由は一ミリもない」
ギリ、と首を踏み砕かんばかりに力が込められる。カエサルの剣幕など比にならない、本物の死の気配に、ヘラは白目を剥いて恐怖に痙攣した。
「エマ……」
汚物を払うようにヘラから足を退けると、ロビンは、限界を迎えて崩れ落ちそうになったエマの身体を力強く抱きしめた。さっきまでの冷酷な死神の顔は嘘のように消え、ただ愛しい女を慈しむ男の顔になっている。
エマはロビンの軍礼服に顔を埋め、子どものように声を上げて泣いた。ロビンは何も言わず、大きな手で彼女の背中を、不格好になった短い髪を、何度も何度も優しく撫でた。
「……捕縛せよ」
国王の静かで、圧倒的な威厳に満ちた声がホールに響いた。衛兵たちが一斉に動き出し、抗う気力すら失ってへたり込むヘラとエスターを捕らえ、王宮の地下牢へと引きずっていく。
静寂を取り戻した広間で、老魔術師が禁書をめくりながら、興奮したように大きく頷いた。
「間違いありません。この魔獣の血を使った呪薬……本と調合の残滓があれば、逆算して解呪薬を作ることができますぞ!」
「本当ですか……!?」
エマが涙を拭って顔を上げる。その瞬間、極限の緊張状態から解き放たれたせいだろうか。エマの足から、ふっと糸が切れたように力が抜けた。
「っ……!」
「っと、危ない」
倒れそうになった身体を、ロビンの逞しい腕が素早く抱き止める。
「ロビンさん……」
「ああ。もう頑張らなくていいよ」
耳元で優しく囁くと、ロビンはそのままエマの身体をひょいと軽々と抱き上げた。そして彼女を腕の中へしっかりと抱き込んだまま、玉座の国王へ恭しく一礼する。
「国王陛下。彼女は一連の事件の被害者であり、最大の功労者です。まずは休ませてやってもよろしいでしょうか」
「うむ。無理もない。下がりなさい」
「御意に」
ロビンはエマを抱えたまま踵を返し、大広間の扉へ向かって歩き出した。周囲の貴族たちから、ぱち、ぱちと拍手が起こる。やがてそれは広間全体を包み込む、割れんばかりの喝采へと変わった。
ボロボロのドレス。煤に汚れた頬。無惨に短く切り刻まれた髪。それでも最後まで諦めず、自ら証拠を持ってここまで辿り着いた誇り高き少女を、誰もが心からの拍手で称えていた。
エマはロビンの腕の中で、呆然とその光景を見つめた。こんなふうに、たくさんの人から認めてもらえる日が来るなんて思わなかった。父も母も失い、家も名前も奪われ、自分にはもう何も残っていないと思っていた。
けれど――。
「あ!」
突然、エマがピクッと身体を跳ねさせた。ロビンがすぐさま顔を覗き込む。
「どうしたの。どこか痛む?」
「いえ、そうじゃなくて……」
エマは恐る恐る、頭上を見上げた。大広間の遥か高い天井。そこには、先ほどロビンが肘鉄で豪快に粉砕した巨大なガラス窓が、ぽっかりと大穴を開けている。
「あの……あのガラス代の弁償って……ロビンさん持ちってことで、大丈夫でしょうか?」
「……は?」
ロビンがピタリと足を止めた。
「だ、だって! 私はただ窓枠にしがみついていただけなのに、そこにドカンって肘鉄を入れて粉々にしたのはロビンさんですよねぇ!?」
「いや、お前が魔物みたいな格好でしがみついてるから、救出のために――」
「魔物じゃありません!」
「じゃあムササビ」
「もっと嫌です!! とにかく、弁償するのはロビンさんです!」
「……今それ言う!?」
しんみりと感動的な空気に包まれていた広間が、一瞬にして妙な沈黙に包まれた。次の瞬間。
「ぶっ……はははははっ!!」
玉座から、国王の大爆笑が響き渡った。それにつられるように、周囲の貴族たちからも堪えきれないような笑い声がさざ波のように広がる。
「いやぁ、素晴らしい! これほどの危機を乗り越えた直後に、王宮の修理費を心配するとは!」
国王はひとしきり笑ったあと、愉快そうに髭を撫でた。
「さすがは先代ウィンター伯の娘よ。実に肝が据わっておる」
「え……?」
そして国王は姿勢を正すと、ホールによく通る声で朗々と宣言した。
「エマ・ウィンター」
エマの身体がぴくりと強張る。
「これだけの知性と胆力、そして領民を思う心があれば、領地を任せても何ら心配あるまい」
広間が静まり返った。
「本日をもって、ウィンター伯領のブラックウッド家預かりを解除する。正式な相続権および領主権を――エマ・ウィンター、そなたに返還する!」
「……え」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「わ、私に……?」
「ああ」
ロビンの声が、すぐそばで聞こえた。エマがおそるおそる顔を上げる。
ロビンは、泣きそうなほど優しい顔をしていた。その大きな手が、無惨に切られ、それでも美しく揺れるエマの短い髪をそっと撫でる。
「よかったな、エマ」
「……っ」
その一言で、せき止めていた涙が再び込み上げた。
領地が戻ってきた。父が命懸けで守ろうとした土地が。母と暮らしたあの温かい家が。奪われた『ウィンター』の名前が。全部――戻ってきた。
「お父様……」
ぽろりと涙が落ちる。ロビンは何も言わず、その涙を親指でそっと拭った。そして、少しだけ困ったように笑う。
「ほら。領主様のご帰還だ」
エマは泣きながら、それでも嬉しそうに笑った。
「……はい」
けれど、ロビンはすぐには歩き出さなかった。じっと、食い入るようにエマを見つめている。
「……ロビンさん」
エマはそっと腕を伸ばし、彼の頬に触れた。
「私、帰ってきましたよ」
「……うん」
「ちゃんと、ロビンさんのところまで」
その瞬間。ロビンの大人の余裕に満ちた表情が、くしゃりと崩れた。
「……それ、反則だよ」
「え?」
掠れた甘い声が落ちた次の瞬間、エマの後頭部へ大きな手が添えられた。
「ロビ――」
呼び終わるより先に、熱い唇が重なった。驚いて見開かれたエマの瞳が、ゆっくりと閉じられていく。
激しいものではなかった。ただ、確かめるような、ひどく甘くて優しいキスだった。
ここにいる。生きている。もう絶対に離さない。
そんなロビンの切実な思いが、その一度の口づけから痛いほど伝わってきた。広間にいた貴族たちが息を呑み、やがて誰かが祝福の拍手を始める。けれど二人には、もうそんな音は何も聞こえていなかった。
やがて、ロビンが名残惜しそうに唇を離す。額が触れそうな距離で、甘く熱を帯びた青い瞳がエマを見つめていた。
「……おかえり、エマ」
エマは限界まで真っ赤になった頬のまま、それでも満面の笑みを浮かべた。
「……ただいま、ロビンさん」
再び、大きな拍手と歓声が巻き起こる。ロビンは照れ隠しのようにエマを抱き直すと、今度こそ大広間の出口へ向かって力強い足取りで歩き出した。
二人は笑っていた。
奪われた家も。父の名誉も。自分自身の未来も。全部、自分の手で取り戻した。
そして最後に待っていたのは――帰る『場所』ではなく。
自分の帰りを心から待ってくれている、大切な『人』だった。
あぁ、やっと断罪まで辿り着きました!あとはご褒美回が少しだけ続きます〜




