心の答え合わせをしませんか〜素敵な夜と頬へキス〜
「放っておいてください!」
エマは休憩室を飛び出し、王宮の長い廊下を小走りで進んだ。
足枷がガシャン、ガシャンと重たい音を立てる。涙で視界が滲み、うまく前が見えない。
「待てって! 走ったらまた怪我するぞ!?」
背後から追いかけてきたロビンにぐいっと腕を引かれ、そのまま廊下の壁際に押し付けられて退路を断たれた。
「離してください! どうせまた、肝心なことは何も言ってくれないんでしょう!?」
「それは……っ」
「私をカエサル様のところへ行かせようとしたのも、私が邪魔になったからですか!? あの時、カエサル様が『ノエル』という人の名前を出した途端、ロビンさんは急に私を突き放しましたよね?!」
エマは、溜め込んでいた想いを堰を切ったようにぶつけた。もう、傷つくのを恐れて逃げるのはやめようと決めたのだ。
「ずっとノエルさんのことが忘れられないなら、帰りを待っているなら……どうして私に『好きだ』なんて言ったんですか! どうして、キスなんか……っ!」
ボロボロと涙をこぼすエマを前にして、ロビンは目を丸くして固まっていた。
怒られると思っていたエマは、拍子抜けしてしゃくり上げる。
「な、なんですか……」
「いや……ちょっと待って。ノエルのこと、忘れられない女性か何かだと思ってるの?」
「そ、それ以外に何があると言うんですか! だって、隣のお部屋もそのままにしてあって……っ」
ロビンが困ったように、そして少しだけ嬉しそうに眉を下げた。
「エマ、嫉妬……してるの?」
「は、はぁああ!?」
あまりにもな言い分に、エマは渾身の力を込めてロビンを睨み上げ、唇を尖らせた。
「それはわざとやってるのか?」
「……何のことです?」
「その可愛い唇のことだよ」
「なっ、何言ってるんですか! こんな時に!」
エマはもう知らない、と言うようにプイッと背を向けた。
「怒ってる?」
体を後ろからピッタリと密着させたロビンが顔を覗き込んできて、エマは眉を寄せた。
「は、離れてください! い、いま私たちは喧嘩をしているのですよ!?」
「こんな可愛い喧嘩なら、毎日だってしたいよ」
絶対にわざとだ。話を逸らそうとしているに違いない。
「やめてください! さ、触らないで!」
「……あー。それは、今はやめてくれ」
「え?」
「君に『触るな』って言われるの、思ってたより堪える」
「話を逸らさないで!」
「わかってる。聞いてくれ。エマ、今から言うことは、本当のことだ。いいね?」
ロビンが困ったように、そして少しだけ愛おしそうに眉を下げた。エマは覚悟を決めるかのようにごくりと喉を鳴らした。ロビンは一度深く呼吸をし、そしてこう言った。
「ノエルは俺の甥っ子で、隣は兄嫁であるマリア様の部屋です。」
あまりの予想外すぎる真実に、エマはパチパチと瞬きを繰り返した。
「……は?」
「だから、ノエルは俺の甥っ子で、隣の部屋もあいつの母親が元々使っていた部屋だ。……勘違いしてたのか?」
「う、嘘です! 嘘をつかないでください! そういうことなら普通に言ってくれたらよかったんですよ!それに……いくらでも後から作れる言い訳じゃありませんかっ!」
頭がパニックを起こしたエマは、顔を真っ赤にしてブンブンと首を振った。大人の男の巧妙なごまかしだと信じ込み、信じまいと必死になるエマを見て、ロビンが少しだけ楽しそうに喉を鳴らす。
「エマ、そんなに嫉妬してくれてたの?」
「は、はぁああ!? だ、誰が嫉妬なんか……!」
「だって、あんなに切なそうな顔で『どうして私に好きだなんて言ったんですか』って……」
「な!そ、それは!!……って、話を逸らさないでっ!」
エマが真っ赤になって怒ると、ロビンは「わかってる、聞いてくれ」と優しく微笑み、すっとさらに距離を詰めてきた。エマは逃げるように背を向けたが、ロビンは離れない。
「事件が終わったら、きちんと話そうと思っていたんだ」
体を後ろからピタリと密着させたロビンが、ひょいとエマの横から顔を覗き込んでくる。
「確か今日も、来てるはずだ。ノエルというのは俺の甥っ子で、いつかあの領地を……」
と、その時だった。
「おじさまー!!」
パタパタパタ! と、廊下の奥から軽い足音が駆けてきた。
見れば、小さな子ども用の夜会服を着た、六歳くらいの可愛らしい男の子が、満面の笑みでロビンの足元へ飛びついてきたのだ。
「おっ。元気だったか、ノエル。お前ちょうどいいところに来たなぁ」
ロビンはいつもの気怠さなど微塵も見せず、顔を綻ばせてその子を軽々と抱き上げた。
エマは、ポカンと口を開けた。
ロビンの腕の中でキャッキャと笑う男の子。彼を呼んだ名前は、確かに。
「あの……ロビンさん? この、可愛らしい天使は……?」
「だから、ノエル。俺の亡くなった兄貴の子ども。つまり、甥っ子」
ロビンはエマを見て、悪戯っぽく、けれどひどく優しい顔で笑った。
「ノエル、挨拶して。エマちゃんだよ」
「はじめまして、エマちゃん!」
「は、はじめまして……」
ドカンッ!!!
エマの頭の中で、何かが大爆発を起こした。
(私……っ、私、この六歳の男の子相手に、元カノだと思い込んで嫉妬して泣き喚いていたの!?)
顔から火が出るどころの話ではない。恥ずかしさで今すぐ足枷を外して、成層圏まで飛んでいってしまいたかった。
「あー、私そのー、急用を思い出しました……あーそうだそうだ、確かあっちに私の好物がゴニョゴニョ」
両手で真っ赤な顔を覆って逃げ出そうとするエマを、ロビンが空いている片手で勝ち誇った顔で捕まえた。
そこへ、落ち着いたドレスを着た上品な女性が歩み寄ってきた。
「ノエル、走ったら駄目と言ったでしょう。……ごめんなさいね、ロビン。それと……あなたが、エマさんね?」
「は、はい!」
「エマ、俺の義姉の、マリア様だ」
エマは慌てて姿勢を正した。この美しい女性が、あの部屋の持ち主だったのだ。
「おじさま! 僕、大きくなったでしょう!? もっと大きくなったら、おじさまみたいにかっこいい陸軍大尉になるんだ!」
ノエルはそう言って、ロビンにピッと敬礼してみせた。
するとロビンは困ったように笑い、彼の頭を撫でた。
「何を言っているんだ。お前は将来、ブラックウッド領地の領主になるんだぞ?」
そしてマリアの方へ向き直ると、「姉上。領地はしっかり守っておりますので、どうかご安心を」と微笑んだ。
「……まぁ。ロビンったら」
マリアは困ったように眉を下げた。
「あの領地は、もうあなたのものよ。いつまで自分を『スペア』だと思っているの? ノエルが成人したって、あなたからすべてを奪うような真似はさせません。あなたは立派な辺境伯よ」
「いえ、国王陛下からもそのように承っておりますので。それに兄上の遺言でもありますから。」
ロビンは静かに、けれど頑なにそう答えた。
マリアは小さく息を吐き、ノエルの手を引いて「また後でね」と微笑み、会場の方へと戻っていった。
静かになった廊下で、ロビンはエマを見つめ、ぽつりと語り始めた。
「……親父が死んで、次期辺境伯としてみんなから慕われていた優秀な兄貴が、スラグ人との戦いで戦死した。マリア義姉上は悲しみで心を病んで、実家へ帰ってしまったんだ」
ロビンの声は、どこか遠くを見ているように静かだった。
「俺は、もしもの時のための『スペア』として育てられた。だから、俺の役目は、ノエルが成人して跡を継ぐまで、あの領地と城を守り抜くことだけだ。……いつかすべてを返して、俺はあの城を出る。兄が死んだ今でさえも、俺はスペアってわけだ」
だから。
カエサルが言った言葉は、残酷な真実だったのだ。
「俺には、永遠に君を守ってやれるだけの『地位』も『未来』もない。君をブラックウッドの城に縛り付けて俺と結婚すれば、君はいずれ辺境伯夫人という立場も、この城も失うことになる。……だから、カエサルの方が、君を幸せにできると思ったんだ」
すべてを自分一人で抱え込み、自分の人生を諦め、エマの幸せだけを願って突き放そうとしていた。
その不器用すぎる優しさに触れ、エマの瞳から再び涙が溢れ出した。今度は、嫉妬や悲しみの涙ではない。
「でも、俺、だめだなぁ……。あいつが君の足首に触った瞬間、勝手に体が動いていたよ」
(この人は、自分が自由じゃないからこそ……私を自由にしようとしてくれていたんだ)
「ロビンさんの……馬鹿」
エマは涙声で呟くと、ロビンの胸板をコツンと額で突いた。
「地位や領地がないと、私が幸せになれないとでも思っているんですか?」
「エマ……?」
「私は、パン屋の売り子として働いてきました!! 帳簿の計算と、お掃除だってできます! ロビンさんが辺境伯じゃなくなったって、私が養うくらいの力はあります!」
エマの力強い宣言に、ロビンは目を丸くした。
「……君が俺を養うの?」
「それくらいできるってことです! だから、勝手に私の幸せを決めないでください!」
ロビンの青い瞳が大きく揺れた。
ずっと自分を『スペア』だと卑下してきた彼の心に、エマの真っ直ぐな言葉が、温かい光となって差し込んでいく。
「エマ、ごめんね。事件が終わってから、ゆっくりと話そうと思っていたんだ。こんなことになるなら、もっと早く言えば良かった。君を、失うところだったよ」
エマは、眉をハの字に下げて、ロビンを見上げた。
(怖かったのは、ロビンさんも一緒だったのね…)
◇◇◇
エマはしばらく考えを巡らせ、そして決意したかのように「ふんす!」と鼻息荒くドレスを掴んだ。
「さあ、戻りましょう! 私たちには、まだお義母様たちの悪事を暴くっていう大切な仕事が残っているんですから!」
エマは自分で涙を拭うと、ロビンの大きな手を取って力強く歩き出した。
広間へ戻ると、ちょうどオーケストラが新しいワルツの演奏を始めるところだった。
エマはいきなり座り込むと、かちゃかちゃと足枷を外した。
そして、自らふわりとロビンの胸へ飛び込んだ。
「おっと!」
「ロビンさん!」
真っ赤な顔をして、それでいて逃げずに、大きな瞳を彼に向ける。
「わ、私と……踊ってください!」
「っ……」
ロビンは大きく目を見開き、そして、降参したようにふっと柔らかく笑った。
いつもの気怠げな笑みではない。心からの、甘く蕩けるような笑顔だった。
「……喜んで」
ロビンはエマの小さな手を取ると、片手で彼女の腰をぐっと引き寄せ、フロアへと滑り出した。
浮力を利用してロビンのエスコートに身を委ねるエマのステップは、まるで星空の中を舞っているかのように美しかった。カエサルと踊った時とは比べ物にならないほど、二人の息はぴったりと合っている。
曲の盛り上がりに合わせて、今度こそ「好きです」と伝えるんだ。そう決意したエマは、曲が終わったと同時にロビンを見つめた。
が。
「わ、わた、しは、ロビンさんのことが、す、す、」
「す?」
いざ本人を目の前にすると、勇気が出なくて言葉が口の中で空回りする。真っ赤になって俯くエマを、ロビンは愛おしそうに抱きしめた。
「あー、何食べたらこんなに可愛くなるんだろねー」
「ななっ、何言ってるんですかっ!」
「……言葉の続きは、また後でゆっくり聞かせてもらうよ」
照れ隠しに胸板を叩こうとしたエマの手首を、ロビンがふわりと掴んだ。
そのまま、スッと距離が縮まる。
「心の答え合わせなら、言葉以外でもできるってことさ」
群衆が息を呑んで見つめる中、触れるだけの優しく甘い口づけが、エマの唇にふわりと落ち――
「っ……!」
……そうになったが、エマはとっさに両手でロビンの口を塞いだ。
エマの顔が、今度こそ限界を超えて真っ赤に沸騰している。
「キス、ダメなの?」
「ダメです! 色んなことが解決して、お、おおお、お付き合いしてからです!」
ロビンはまるでエサをお預けされた大型犬のように、あからさまに悲しい顔をした。
「じゃあ頬は? 頬もだめ?」
「ほ?」
ロビンは自分の頬をトントンと指で示して頷いた。エマはしばらく視線をうろうろとさせて迷った末に、ロビンの捨て犬のような視線に負けて、コクリと頷いた。
「ほ、頬なら」
ロビンはクシャッとした、それこそ本当に嬉しそうな大型犬のような笑顔を向けてきた。そして――。
「んーっ、チュッ!」
「きゃあああ!!!!!」
ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ!!!
「きゃあああ!!!!?」
チュッ、チュチュッ、とロビンは繰り返し繰り返し、エマの頬にこれでもかと音を立てて甘いキスを降らせた。
「ロビンさん! してもいいとは言いましたけど、そんな何回もしないでください!!!」
「ははは!」
まだまだやるべきことはたくさんあるはずなのに、その日の二人は、誰も入り込めないほど甘い空気に包まれていた。
◇◇◇
その頃……。
ウィンター家のタウンハウスでは、暗闇に紛れてシリルが暗躍していた。家中の部屋に侵入しては書類を漁り、何か手がかりはないかと探すが、これといったものが見つからないままに時が過ぎ、シリルは少し焦っていた。
「全く。今頃二人はパーティで、さぞかしお楽しみでしょうねぇ!」
優秀な補佐官は一人、盛大に悪態をつきながらも、主のためにせっせと証拠を探すのだった。




