「あなたには未来がない」――暴露された『ノエル』の秘密と、すれ違うふたつの心
「あら〜〜!?ようやく見つけたわ。エマ!」
華やかな空気を切り裂くように、甲高い声が広間に響いた。
豪奢なドレスを着飾ったヘラと義姉のエスターが、取り巻きの貴族たちを引き連れて歩み寄ってきた。ヘラの瞳には、隠しきれない憎悪の火が燃え盛っている。
ヘラはまるで周囲に聞かせるかのように、大声を張り上げた。
「ロビン・ブラックウッド辺境伯! あなたを絶対に捕まえるわ。私たちの邪魔をして、ウィンター家を乗っ取ろうとしていることは、もう分かっているのよ!」
「じゃ、邪魔をしているのはお義母様の方です!」
エマはロビンの腕の中で、毅然と顔を上げた。そして勇気を振り絞って大声を張り上げた。
「お義母様が、閉鎖されたはずの鉱山を動かそうとしていること、知っています!私のお父様が遺した領地を、これ以上勝手にしないで!」
「あら。証拠はあるの?」
ヘラが小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「あなたがどんな妄想を語ろうと、証拠がなければただの戯言よ。陛下、この小娘は父親の死のショックで心を病み――」
「ヘラ夫人。そのあたりにしておきなさい」
冷たく、洗練された男の声が割って入った。
群衆が道を譲る。そこへ現れたのは、真っ白な海軍の礼服を完璧に着こなした、カエサル・ヴェイン男爵だった。
「カエサル様! ちょうどよかったわ、この娘が――」
「聞こえなかったのですか? もうおやめなさいと言ったのです」
カエサルの冷ややかな海色の瞳に射抜かれ、ヘラはビクリと身を竦ませて口を閉ざした。
カエサルはエマの前に進み出ると、優雅な所作で一礼した。
「お怪我はないですか、エマ嬢。私の美しい花嫁」
「……どういうつもりですか。お義母様と組んでいるくせに……!」
エマの告発に、カエサルは心底不思議そうに綺麗な眉を寄せた。
「私はウィンター領の鉱山と、我が領の港を繋ぐ流通路を確保したかっただけです。そのためには正統な後継者であるあなたとの結婚が不可欠だった。ヘラ夫人とは利害が一致したから協力したまでで……それ以外の、野蛮な手段は私の美学に反しますよ」
カエサルの言葉に、嘘の色はない。
エマとロビンは、目を見開いた。
(カエサル様は……お父様の毒殺計画や、私への呪いを知らない?)
カエサルは、忌々しげにヘラを一瞥した。
「夫人。私はあなたと方向性は同じです。が、やり方は気に入らない。それにエマ殿が望まないなら、鉱山を開山しなくたっていいんだ。……これ以上、私の美しい花嫁を虐めるような真似は許しませんよ」
「カ、カエサル様……?」
ヘラが狼狽する中、カエサルは再びエマへ甘い微笑みを向け、そっと手を差し出そうとした。
だが、その手が触れるより早く、ロビンがエマの身体を自身の背後へ完全に隠すように立ち塞がった。
「エマは俺が守りますので、お気遣いなく。……ヴェイン男爵」
ロビンの青い瞳が、カエサルを氷のように冷たく射抜く。
カエサルもまた、笑みの仮面を被ったまま、負けじとロビンを睨み返した。
「それはおかしな話ですね、ブラックウッド辺境伯」
「何が?」
「噂に聞きましたよ。あなたには『ノエル』という大切な者がおり、いずれその者へ辺境伯の地位をすべて明け渡す予定だと」
その言葉に、ロビンの肩がピクリと跳ねた。
「……それが、どうした」
「その様子では、エマ嬢はご存知ないようだな?」
「やめろ」
「あなたには、永遠に彼女を守るだけの『未来』がない。そんなあなたが彼女を囲い込むよりも、私に嫁いだ方が、よほど幸せになれるのでは?」
カエサルの言葉は、残酷なまでに真実を突いていた。彼は純粋に、そして本気でエマに惚れている。だからこそ、エマに正当な地位と豊かさを与え、守り抜く覚悟があるのだ。
「……っ」
ロビンの拳が、白くなるほど強く握り締められる。
言い返せない。自分が『スペア』であり、いずれノエルにすべてを返す身であることは事実だからだ。自分には、エマを一生愛し、守り抜く資格がない。
ロビンが一瞬、絶望的に迷い、言葉を詰まらせたのを、エマはすぐ背後で感じ取っていた。
「まぁ考えずとも答えはわかるだろう。急ぎはしないさ。パーティはまだ続くんだ。よくよく考えておきたまえ」
カエサルが言葉に窮したロビンを冷ややかに見下ろして去っていく中、ロビンは床を見つめたままだった。
(未来が、ない?それってどういうこと?)
エマはまるで、自分との未来がないと言うように聞こえるカエサルの言葉に眉を顰めてロビンを見た。一瞬、ロビンと視線があった。が、弾かれるように逸らされ、エマの心臓につきりと痛みが走った。
(なぜ?どうして教えてくれないの?やっぱり、私には言えないことなの?)
エマの胸に、不安の渦が広がる。エマはロビンの過去を何一つ知らない。そしてロビンは、事件が解決して全て落ち着いてからエマに話そうとしていたのだ。それをエマに聞かれてしまったのだ。
ロビンから見たエマの表情は、眉を顰め、疑いの目でこちらを見ていた。それは、まるで何も信じることができない、そんな目だった。
(全て、知られてしまった…最悪の形で…)
ロビンは深くため息をつくと、エマを抱いていない方の手で目を押さえた。
◇◇◇
その日の夜。
ブラックウッドのタウンハウスへ戻ると、一足先に戻ったシリルが執務室で書類を広げて待っていた。
「お帰りなさいま…どうされたのです?」
ロビンの態度は、明らかによそよそしかった。
浮力を制御するためにエマの腰を抱く腕の力は、以前と変わらず優しい。
だが、言葉が極端に少ない。
「…報告しろ」
ロビンはシリルの質問には返さず、命令だけを下した。
「…カエサルはどうやら白です。ヴェイン家タウンハウスには、なんの証拠も裏帳簿も見つかりませんでした。その上、カエサルが戻り、向こうの執事たちと話していることを聞きました所…」
シリルの話はこうだった。
カエサルは戻るなり、執事とその場にいた海軍の部下に号令を出した。
これ以上、エマがヘラに不当な攻撃を受けることのないよう、ヘラを見張れというものだった。
そして鉱山について調べるようにも命令を出していたので、おそらくは私たちと同じように、鉱山が休止状態になっている証拠を明日にも掴むだろうと。
「じゃあカエサル様は、本当に何もご存知でいらっしゃらなかったのね…」
「えぇ。どうやら彼は悪人ではないようです。少なくとも、今はエマ様のために動いておられますよ」
「私、彼にとても失礼な態度を取ってしまったわ」
エマは明らかに狼狽えたような目で視線を泳がせた。
その様子を、ロビンは眉を顰めて見つめ、そしてため息をついた。
「明日は、ウィンター家のタウンハウスに忍び入るつもりです。エマ様、ここが入り口なのですが裏口はどこに・・・」
「あ、はい、この庭の桜の木の前にある扉が・・・」
シリルはエマの前にウィンター家付近の地図を広げると、エマは手際よく説明した。ロビンは、エマの形の良い爪が地図をなぞるのを見つめながら、考えを巡らせた。
(もう、俺にエマを引き留める資格は…ない。知られてしまったなら、あとは、エマが選ぶ番だ)
口数の少ない主人の、明らかにいつもと違う様子に気づいたシリルは、訝しげにロビンを見つめたが、ロビンは何もいうことはなく、黙って、それでいて優しくエマの腰を抱いて支え続けた。
◇◇◇
一通り明日に関する話を終えると、二人はタウンハウスの客室へ戻った。
「あの、ロビンさん……」
「もし」
ベッドで浮かないようエマの腰にリボンを巻きつけながら、ロビンは顔を背けたまま、ぽつりと言った。
「もし、カエサルの方がいいと言うなら……。奴はムカつくが、金も地位もある。君を大事にするだろう」
「え……?」
「前にも言ったが、君は、自由なんだ。俺なんかに縛られる必要はない」
「ロビンさん……?」
エマが、ロビンの袖口を掴んでみあげる。が、視線が合わない。
「王城で、奴の言葉を聞いただろう?そういうことだ」
あまりにも冷たい、突き放すような言葉。
エマの心に、冷水をぶちまけられたような衝撃が走る。
(そういうことってどういうこと……? ノエル様がいるから、私との未来は、ないってことなの?昨日まであんなに熱のこもった目で見てくれていたのに……『ノエル』様の名前が出た途端に変わってしまった。やっぱり、彼女が彼の……)
傷ついたエマは、ぐっと涙をこらえ、、「……おやすみなさい」と、小さく、そしてどうしても少し震えてしまう声で呟くと、足枷を抱いて毛布を頭から被ってしまった。
(バレてしまったと思っているから、そんなに冷たいの?どうして…!あぁもう!ロビンさんのばか!どうしていつも肝心なことは言ってくれないの!?)
背中越しに、ロビンの深く、苦しげな溜め息が静かな部屋に溶けていく。ただそれだけのことなのに、胸が痛い。
(…ばかは私も一緒ね……どうして勇気を出して聞けないの?)
エマはすぐに自分でその答えに気づいた。 そしてぎゅっと目を閉じ、両手で顔を覆った。 締め付けられる胸の痛みに耐えようとしたが、涙は止まってくれなかった。
(彼が、好きだから……。だから聞けないのね……。こんなにも好きだから、だからこんなに、苦しいのね)
背中越しに、ロビンの深い溜め息が静かな部屋に溶けていくのを、エマはただ黙って聞いていることしかできなかった。
(お母様、お父様。こんなとき、どうしたらいいの? どうしたら素直に、彼に好きだと、怖がらずに言えるの?)
エマは考えを巡らせたが、時計の針が日を跨いでも答えは出なかった。 もし好きだと伝えて、約束した相手がいると告げられたら? 私を好きなのは、ただの一時の遊びだと言われたら?
あのキスも、好きだと言ってくれたことも……嘘だとは思わない。
でも……。
私たちは貴族だ。 家のために決められた相手がいるのは、よくあること。
(もしも、彼が私を好きでいてくれて、それでも結婚しなくてはいけない方がいるなら、私は、愛人という立場になるのかしら…だから、カエサル様のところへ行った方がいいと、こう言うことかしら)
あぁ。こんなこと、すぐに聞いてしまえばいいのに……。
エマは、毛布の中で小さくため息をついた。
(怖いのね。彼を失うのが……)
エマは自分で出した答えに少しだけ納得した時、背中に温もりを感じた。
ロビンが、背を向けたままに、同じベッドに寝そべったのだ。
(抱きしめて、くれない…)
あれほど、暑いから離れろと喚いた癖に、いざ離れらたらこんなにも胸が痛い。
エマは、漏れてしまいそうになる嗚咽を堪えて、眉をひそめたままに、静かに(眠れ、眠るのよ)と自分に言い聞かせ続けた。




