男装したブカブカ軍服姿の空飛ぶ令嬢と、頭を抱える辺境伯。――休鉱山の極秘調査で明かされた、欲深き者たちの陰謀
ロビン、エマ、シリルの三人は、少数の護衛だけを連れ、密かにウィンター領の国境を越えていた。
目指すは、領地の北端に位置する『休鉱山』と、そこに併設された古い管理事務所である。
エマは、ブラックウッド辺境軍から支給された黒い軍服を身に纏い、軍帽を目深に被っていた。
用意された中で一番小さなサイズだというのに、彼女の華奢な体にはブカブカで、袖口からは指先すら見えず、手の甲まですっぽりと隠れてしまっている。足元だけは動きやすい婦人用のブーツを履き、浮力を調整するための重しが入った鞄を背負いながら、エマは器用に木々の幹を蹴って、ふわりふわりと夜の森を漂い進んでいた。
「これだと浮いても、スカートの中が見える心配がなくて安心ですねっ」
そう言って、エマは空中でくるりと機嫌よく一回転してみせた。
目深に被った軍帽のツバの下から、きらきらと輝く大きな瞳と、夜闇でも際立つ透き通るような白い肌が覗く。ブカブカの男物を着ているせいで、かえって彼女の小柄な骨格や女性らしい柔らかな体のラインが強調されてしまっており、別の意味で色気が際立つその無防備な出で立ちに、ロビンは頭を抱えるように重いため息をついた。
「……エマ、今からでも遅くないから戻っ」
「戻りません!」
エマはキッと下から睨みつけるように彼を見上げ、不満げに唇を尖らせた。
本人は最大限の抗議のつもりなのだろうが、その小動物のような愛らしさに完全にノックアウトされてしまったロビンは、何も言い返せずに再び深々とため息を吐き出すしかなかった。
「さぁ、急いで! ぼやぼやしてると置いていきますよ!」
エマはトンッ、と軽快に木の幹を蹴って前へと進み出した。
ロビンとシリルはやれやれと顔を見合わせると、夜風のように音もなく、頼もしくも愛らしい小さな案内人の背中へとついていった。
◇◇◇
深い森を抜け、月明かりに照らされた鉱山の入り口が見えてきた。
本来なら厳重に封鎖されているはずの鉄柵は、真新しい鎖にすげ替えられており、人の出入りがあることは明白だった。
「見張りが二人。……シリル、1分だ」
「承知しました」
シリルが眼鏡を押し上げ、闇に紛れて音もなく忍び寄る。魔法で微かな眠り粉を放つと、見張りの男たちはあっけなく地面へ崩れ落ちた。
「行くよ、エマ。足元に気をつけて」
「はいっ」
ロビンに手を引かれ、エマは重りの入った鞄を肩から斜め掛けにして進んだ。
以前のように天井へ飛んでいくことはないが、足は地面から数センチ浮いているため、歩くというよりはロビンに引っ張られて低空を滑空しているような状態だ。
一行は息を殺し、鉱山の奥にある古い管理事務所へと潜入した。
カビと埃の匂いが充満する室内には、長年放置された書類棚が壁際を埋め尽くしている。
「ここです。お父様が、古い帳簿や重要書類を保管していた秘密の書庫は」
「よし。俺たちは外の警戒と、最近運び込まれた油の量を確認してくる。エマ、お前の記憶だけが頼りだ」
「任せてください!」
ロビンとシリルが部屋を出ると、エマは持参した小さなランプを灯し、書類の山へと向かった。
彼女の頭の中には、幼い頃から父の手伝いをしてきた記憶が、インデックスのように整理されて収まっている。
浮力を利用して高い棚へふわりと移動し、目当ての分厚い革張りの帳簿を次々と引っ張り出していく。
「……あったわ。五年前の、鉱山の総決算書。それと……こっちは、領内の水質調査報告書?」
エマは机に書類を広げ、猛烈な勢いで目を通し始めた。
数字の羅列が、彼女の頭の中で鮮明な『景色』となって組み上がっていく。
「これだわ……!」
数十分後。戻ってきたロビンたちに向けて、エマは埃にまみれた顔を上げ、確信に満ちた声を弾ませた。
「ロビンさん、シリル様! 分かりました。お父様が、どうして一番の資金源だったこの鉱山を閉鎖したのか」
「見つけたか。説明してくれ」
ロビンがランプの光へ顔を近づける。エマは報告書の一文を指差した。
「この鉱山は、深く掘り進めるほど良質な鉱石が採れましたが、同時に有毒な泥水が大量に出る層にぶつかっていたんです。五年前の記録では、その汚水が地下水脈に混ざり、麓の村の川を汚染しかけていました」
「川の汚染……」
「はい。もしこれ以上採掘を進めれば、完全な環境破壊を引き起こし、領民たちの飲み水や畑が全滅してしまう。だからお父様は、莫大な利益を捨ててでも、採掘を完全にストップさせたんです」
エマの指先が、微かに震えた。
「お義母様たちは、『お父様は病気で弱気になり、鉱山を手放した』と馬鹿にしていました。
でも違った!
お父様は、領民の生活を守るために、一番苦しい決断をしてくれていたんです……!」
目尻に滲んだ涙を、ロビンの大きな手がそっと拭った。
「立派な領主だったんだな、君のお父上は」
「……はいっ」
静かに頷くロビンを見て、シリルが冷徹に思考をまとめる。
「なるほど。前伯爵の崇高な決断も、金と権力にしか興味のないヘラ未亡人からすれば、ただの『損失』でしかなかった。だから彼女は、前伯爵が亡くなったのを機に、鉱山を再稼働させようとしたのですね」
「ああ。そして、そこでカエサル・ヴェインの思惑と一致したんだ」
ロビンが、壁に貼られた古い領地の地図を指差した。
「カエサルは海軍の力で、ヴェイン領に巨大な港を持っている。もしこの鉱山を復活させ、ウィンター領とヴェイン領を繋ぐ水路を整備すれば、莫大な量の鉱石を直接帝都や外国へ輸出できる。二つの領地を結べば、カエサルは計り知れない富と権力を手にするはずだった」
エマは、眉を寄せて頷いた。
「だから、カエサル様は……私と結婚しようとしたのですね」
「そういうことだ。お前という『正統な後継者』を傀儡にして、ウィンター領の採掘権を合法的に奪うためにな」
ロビンの低い声が、静かな事務所に響く。
点と点が、一本の線に繋がっていく。
「ヘラは金が欲しい。カエサルは鉱山と輸送ルートが欲しい。二人の利害は完全に一致し、お前を結婚させることで計画は完了するはずだった。……だが、お前が屋敷から逃げ出したことで、すべてが狂った」
エマが父の死の直後に姿を消したせいで、ウィンター領には後継者が不在となった。
結果として、皇帝の勅書により、隣の領主である『ロビン』が暫定的に領地を預かることになってしまったのだ。
「鉱山を再稼働させようと密かに運び込んでいた大量の油や資材を、新しくやってくる領主である俺に見られれば、環境破壊の事実と不正がバレてしまう。だからあいつらは――」
「勅書が正式に届く前に、ウィンター家の残党の仕業に見せかけて、ロビンさんを暗殺しようとした……!」
エマの言葉に、ロビンは「正解」とばかりに頷いた。
「俺が死ねば調査はなくなる。その間に残党を処分したと報告し、エマを連れ戻してカエサルと結婚させれば、計画は元通りってわけだ」
「なんて身勝手な……! 領民たちの生活を、お父様の想いを、何だと思っているんですか!」
エマは怒りで拳を震わせた。
すべてが繋がった。ヘラの冷酷さも、カエサルの甘い言葉の裏にある強欲さも。
「……ですが、問題があります」
シリルが、無情な現実を突きつけるように眼鏡を光らせた。
「動機と計画の全容は分かりましたが、これはすべて『状況証拠』に過ぎません。利益のために領民を犠牲にして鉱山を動かそうとしているという『確たる証拠』、つまり二人が交わした契約書や不正な裏帳簿がなければ、王宮で彼らを追い詰めることは不可能です」
エマはハッとして、書類の山を見渡した。
「ここに残っているのは、お父様が残した過去の報告書だけです。お義母様たちの裏帳簿なんて、こんな埃っぽい場所に隠すはずがありません」
「だろうね。おそらく、帝都にあるウィンター家のタウンハウスか、カエサルの懐の中だ」
ロビンは忌々しげに舌打ちをした。
「敵も馬鹿じゃない。証拠は完璧に隠蔽したうえで、逆に俺たちを『利益相反』で訴え出たんだ。一週間後の王宮のパーティで、俺たちが証拠を出せなければ、皇帝陛下は俺からウィンター領を没収し、エマはカエサルへ引き渡される」
「そんなの、絶対に嫌です……!」
エマがギュッとロビンの袖を掴むと、ロビンはその手を優しく握り返した。
「何も手ぶらで王都に行くわけじゃない。奴らの目的が分かった以上、王宮のパーティ会場は、奴らの足元をすくう最高の狩場になる」
ロビンはエマを見つめ、そしてにっこりと笑って見せた。
「だから何も心配するな。きっちり落とし前をつけさせようじゃないか。……カエサルの奴に教えてやるよ。本物の『死神』を敵に回すとどうなるかってことをね」
青い瞳に、凄絶な狩人のような光が宿ったのを見て、シリルが両手を上げた。
「やれやれ……。どうか『ほどほど』になさってくださいよ、閣下。後処理をする私の胃に穴が空きますからね」
シリルがわざとらしく大きなため息をつくと、エマは思わずクスッと吹き出してしまった。
◇◇◇
鉱山の外へ出ると、夜空には満天の星が瞬いていた。
(お父様、お母様。ついにここまできました。きっとやり遂げてみせるから、見守っていてね)
エマはそっと目を閉じて、夜の空気に身を委ねた。
心地よい風がエマを包み込み、森の清々しい匂いが鼻腔をくすぐる。清廉に流れる川の音、木々の囁き。ここを守るために、お父様は鉱山を閉じたのだ。その切実な思いを、決して無駄にはしない。
エマの目に涙がうかび、エマは祈るようにして手を組んだ――。
「エマ!!!!」
突然、鼓膜をつんざくようなロビンの怒声が響き、同時に足首をグンッと強烈な力で下へ引っ張られた。
「ひゃっ!? ど、どうしたんですか!」
「どうしたんですかじゃない! 今、重石の鞄を持たないまま外へ出ただろう!!」
鉱山の中は狭く、天井を蹴りながら移動していたため、エマはすっかり油断していたのだ。
重石を手放したまま外へ出た彼女は、星空に見惚れて父と母への思いを胸にして目を閉じている間に、ふわりふわりと夜空へ向かって飛び立ってしまっていたのである。慌てて足首を掴み、乱暴に地上へ引きずり下ろしたのはロビンだった。
「ご、ごごご、ごめんなさい!」
シリルが後から追いつき、呆れた顔でエマの重石入り鞄を手渡してくる。
「全く! 気が緩みすぎです! ご自分が呪われていることをお忘れですか!」
「っ! はぁぁ〜〜〜……」
ロビンはエマの身体をガッチリと抱きかかえたまま、その場にへたり込んでしまった。
エマもようやく事の重大さに気づき、すっかり縮み上がる。
もし、あのままロビンの手が届かない高さまで空へ飛んでいってしまっていたら。呪いが切れるまで地上へは戻れず、そして呪いが解けたと同時に、はるか上空から真っ逆さまに落下死していたのだ。
ロビンは、まだ心臓をバクバクと鳴らしながらエマをキッと睨みつけた。
「今日から、俺から離れるの禁止!!!」
過保護な辺境伯の命令が、静かな夜空に高らかに響き渡ったのだった。
◇◇◇
翌日。
王都へと向かう馬車が、石畳の段差でガタンと大きく揺れた。
馬車の中では、エマがしかめっ面をして、強烈な圧力に耐えていた。
「むぎゅ……ろ、ロビンさん! ちょっと離れてくださいっ!」
「嫌だね。昨日のこと忘れたの? もしいきなり窓が開いて、君が飛び出してしまったらどうするんだ?」
「も、こ、そ、そんなことにはなりませんっていうか! その前に窒息してしまっ、むぎゅ……」
「あはは、可愛い。ほっぺが潰れてるよ」
「だれのへいだとおもっへ!(誰のせいだと思って!)」
ロビンはエマを自分の分厚いマントの中に包み込んだ上で、ほぼ羽交い締めに近い状態で自らの膝の上に乗せていた。マントから顔だけを出してもがいているエマは、まるでお包みで巻かれた赤ん坊のようだった。
宿屋の部屋を出てから馬車に乗るまで、ずっとこの状態である。
初夏だというのにマントの中は暑苦しく、エマは「助けて」とばかりに向かいの席のシリルに視線を送った。しかしシリルは、チラリとこちらを一瞥しただけで、無表情のままスッと手元の書類に視線を落としてしまった。完全に見捨てられた形だ。
「もうっ! いい加減にしてくださーい!!!!」
エマの絶叫が、揺れる馬車の中に虚しく響き渡る。
王都まで、あと数刻。
エマはギュッと目を閉じて、この過保護な死神に完全に捕獲されることになった昨夜から今朝までの出来事を、恨めしく思い返していた……。




