「舌を出せ」――医務室での甘いキス
「……君ねぇ。男が一世一代の告白をしたって言うのに、なかったことにしちゃうの?」
エマはそこまで聞いて、一瞬、考えを巡らせた。
(告白……? あ! あの山で、そういえば!)
『あのキスは、君のことが、好きだからしたんだ。その気持ちだけは、本当だ』
エマは今度こそボンッと音を立てて赤くなった。
「思い出した? 俺の気持ち、熱が下がった今でも全然変わってないんだけど」
「あ、あ、あの、それはっ、その……っ!」
エマは言葉に詰まり、顔を真っ赤にして俯いた。
ロビンの真っ直ぐな青い瞳に射抜かれ、エマの心臓が早鐘のように鳴り始める。二人の間に、甘く熱い空気が流れ、ロビンは衝動に打ち勝てず、ベッドの上に座る自分の膝の上にエマを強引に引き寄せた。
「あ、あー! あー! あの!」
エマはその空気をなんとかぶち壊そうとして、大きな声を出した。だが、ロビンは一歩も引く気はないとばかりに、探るような、急かすような視線を向けてきた。気づけば吐息がかかるほどに顔が近い。
「ろ、ロビンさんはずるいです! 肝心なことは! 何も言わないのに! 今回だってそれが原因で…!」
そんな彼女を見て、ロビンは困ったように、けれどひどく優しく微笑む。整った顔がすぐ目の前で口角を上げている。それなのに、奥歯は噛み締めて何かに耐えるようにしてエマにさらに近づく。もう唇の先が触れ合うほどに近いのに、お互いに探るように最後の一線を超えられず、エマは肩に力を入れてしまう。ロビンがエマの瞳と唇を交互に見ながら、鼻先をつけてきて、エマはどうしたら良いか分からず、眉を寄せてこくりと喉を鳴らした。
「俺、言葉足らずなところがあるってよく言われるんだ。……ごめんね?」
そう言われた瞬間、エマの顔がスッと曇り、触れていた鼻先から距離を取られた。
言葉足らずなところを指摘してくるほど、彼をよく知っている親しい相手。無意識に『ノエル』という女性の影が頭をよぎり、胸の奥がチクッと痛む。
「……それは、前の、恋人とかに言われたのです……か?」
上目遣いで恐る恐る尋ねたエマの言葉に、ロビンの表情がピタリと止まった。
次の瞬間、彼の青い瞳に、獲物を見つけた猛禽類のようなギラリとした熱い光が宿る。
「……へぇ。それは、嫉妬してると思っていい?」
「ち、違います! 話をそらさないでくだーーーっ」
抗議しようと唇を開いたエマだったが、そこから先はまるでスローモーションのようだった。ロビンの大きな手のひらに両頬を捕らえられたかと思えば、彼の口がゆっくりと開き、まるでそのまま食べられてしまうかのように深く唇を奪われたのだ。
ちゅ…っ。リップ音が、頭の中でひどくこだました。
「んっ……!」
エマが聞こうとした疑問は、すべてロビンの中に消えていった。
エマは驚いて目を見開いた。
そして唇が、少し離れた瞬間。吐息が触れ合う距離で、ロビンは言った。
「好きだ」
その言葉を聞いた瞬間、体の力が抜けた。
確認するかのような視線の応酬のあと、啄むようなキスがまた始まった。口の中をつつくロビンに答えるように震えるエマ。ロビンは可愛い刺激に身体中が痺れるようだった。
少し離れた瞬間に息を吸うと、ロビンが探るような目を向けてくる。青い瞳は凍った湖のように冷たいのに、唇が熱いのが不思議だ。
は…と吐息が漏れて離れた途端に、エマは物寂しくなって眉を寄せてしまう。その表情を見たロビンが何かに耐えるように奥歯を噛んで、低い声で優しく囁いた。
「舌を出せ」
エマはもう頭が蕩けてしまいそうだった。素直に舌を出せば、吸い取られた。
素直に…いや、そうではない。ロビンとキスをしたい気持ちにエマ自身も抗えなかったのだ。こんなことをしている場合ではない、確かめないといけないこともあったはずだ。でも、今は、彼との甘い時間がどうしても欲しかった。
次第に体の力が抜けていくエマを、さらに深く、執拗に追い始めたロビンは、エマの小さな顎を掴んで舌の出し入れを繰り返した。舌同士が絡み合い、水音が医務室に響く。
夢中になって唇を交わした二人は、いつの間にか夕暮れに近い時間になったことにすら気づかないほどにお互いを求めあった。
ロビンはキスをしながらも、窓に目をやり、どれだけの時間が経ったかをさとり、自分自身に笑ってしまいそうになった。
こんなにキスに夢中になったことが今まであっただろうか。
過去に恋人がいなかったわけでもない。初めてのキスでもない。でも、こんなふうに、ただキスをするだけで、こんなにも満たされることに途方もない幸せを感じて、さらに深く追い込んでしまいたくなる。
自分には、領地がある。それを手渡すべき相手もいる。
だけど、今は、彼女を絶対に手放したくない。それだけは確かだ。
(今夜、場所を整えて、エマにきちんと話そう。もうキスだけじゃ耐えられそうにない。事情を話して、エマが受け入れてくれるなら……今夜……)
彼女を手に入れる。
勝手にそう決めたロビンは熱くなる体に自嘲しながら、エマの唇を舌でなぞり、思考を巡らせた。
ジンジンと唇が腫れるような感覚がしだしたエマは、その痛みに一瞬我に帰った。
エマの脳裏を、ふと、隣の部屋――そしてロビンが熱に浮かされて呟いた『ノエル』という名前が過ぎった。私を「好きだ」と言ってくれるこの人は、本当に私だけを見てくれているのだろうか。あの綺麗に整えられた部屋の持ち主を、今でも心の中で待っているのではないだろうか。
エマの心がほんの少しだけ揺れ、無意識にロビンの肩へ手を当てて押し返そうとした、その時だった。
バンッ!!
医務室の扉が、壊れそうな勢いで開け放たれた。
エマは弾けるように顔を離して起き上がったが、離れるのは許さないとばかりにロビンが腰を抱いた。
「お目覚めのところ申し訳ありませんが、いちゃついている場合ではありませんよ、閣下!」
大量の書類を抱えたシリルが、険しい顔で足早に入ってきた。
「シリル。ノックくらいしろよ」
「それどころではありません。……帝都の財務院から、急使です。監察官が動きました」
「監察官……?」
ロビンの顔つきが、一瞬にして辺境伯のそれへと変わる。
シリルは書類の束をロビンのベッドの脇にドサリと置いた。
「ヘラ・ウィンターと、カエサル・ヴェイン男爵の連名で、王宮へ直訴状が出されました。『ロビン・ブラックウッド辺境伯は、ウィンター家の正統な後継者であるエマを不当に隠匿し、結婚をでっち上げてウィンター領を不法に吸収しようとしている。明らかな利益相反である』と」
「……なるほどね」
ロビンは低く冷たい声で呟き、前髪をかき上げた。
ヘラとカエサルが、エマを奪い返すために、帝都の権力を使って強硬手段に出たらしい。
「カエサルは海軍の伝手を使って、王宮の貴族院にまで根回しをしているようです。現在、閣下には『職権濫用』と『領地略取』の疑いがかけられています。このままでは、ウィンター領の預かりの任を解かれ、エマ様も無理やりヴェイン男爵の元へ引き渡されることになります」
「っ……!」
エマは息を呑み、血の気を失った。
自分とロビンが一緒にいることが、ロビンを罪人に仕立て上げようとしている。
「どうすればいいんですか!? 私が、私がロビンさんと婚約しているって、帝都の人たちに証言すれば――」
「それだけでは足りません。いくらあなたが証言しても、『辺境伯に脅されて言わされている』と主張されれば平行線です。何より、相手はあのヴェイン男爵ですからね。根回しの速さが尋常じゃない」
シリルが眼鏡をスッと押し上げ、ロビンへもう一通の豪奢な封筒を差し出した。
「帝都からの伝達です。『一週間後、王都で開かれる建国記念のパーティに、ブラックウッド辺境伯とエマ・ウィンターの二人で出席せよ。その場で、婚約の真偽とウィンター領の問題について、国王陛下自ら詳細を聞く』……とのことです」
「一週間後か。随分と急がせるね」
「相手も、こちらに証拠を揃える時間を与えたくないのでしょう」
ロビンは封筒を受け取り、青い瞳を鋭く細めた。
「エマ。君が昨日、帳簿を見て気づいたと言っていた『休鉱山』の不審な金の動き。あれを証明する証拠は、書類の中にあるか?」
「えっ……? あっ、はい! 書類の矛盾点だけなら、すでに私がすべて抜き出しています。でも、それだけでは決定的な『不正の証拠』には……」
「だろうね。実際の鉱山が今どうなっているのか、現地を見ないと始まらない」
ロビンはベッドからゆっくりと身体を起こした。まだ熱があるはずなのに、その立ち姿には微塵の揺らぎもない。
「王都へ向かうには、必ずウィンター領の街道を通らなければならない。……ちょうどいい。一週間後の王都行きに合わせて、ウィンター領の鉱山へ直接乗り込んで現地調査を行う」
「現地調査……!」
「ああ。ヘラとカエサルが何を隠そうとしているのか。そして、君のお父上が、なぜ貴重な資金源だった鉱山の採掘を『止めた』のか。その理由を暴き出す」
ロビンの力強い言葉に、エマはハッとした。
父は、ただの病弱な領主ではなかった。いつも領民のことを第一に考え、「冬を歌い、民に春を」と教えてくれた優しい父が、理由もなく鉱山を閉鎖するはずがないのだ。
「私にも、手伝わせてください!」
エマは、腰に巻かれたリボンを力強く握りしめた。
「私、ウィンター領の土地勘ならあります。昔の帳簿の保管場所も、鉱山への抜け道も知っています。……私、もう二度と逃げません。お父様が守りたかったものを、ロビンさんと一緒に守りたいんです!」
強い決意を秘めたエマの瞳を見つめ返し、ロビンはふっと柔らかく微笑んだ。
「頼もしいね、俺の婚約者は」
「……はいっ!」
エマは力強く頷いた。
カエサルがどれほど狡猾でも、義母がどれほど権力を振りかざそうとも、もう怖くはなかった。
二人の本当の戦いが、今ここから始まろうとしていた。
◇◇◇
(シリルは赤く腫れ上がったエマの唇にめざとく気づき、領主であるロビンを睨みつけたが、ロビンは素知らぬ顔をしてやり過ごしたのだった)
更新:ちょっとだけ、キスシーンの生々しさとセリフを足しました!




