「男が一世一代の告白をしたって言うのに?」――誤解が解けた医務室で、不器用な辺境伯の甘い反撃が始まります
朝靄が晴れ始めた頃。
城の裏口へ続く道を、エマは一歩ずつ、必死の形相で進んでいた。
高熱で気を失ったロビンの巨体を自分の肩に預け、自身の『浮力』で彼の重さを相殺しながら、なんとか足を引きずって歩き続ける。擦り切れた足首の傷が疼いたが、エマは歯を食いしばって耐えた。
「あと少し……あと少しですからね、ロビンさん」
ようやく城の裏門にたどり着いた時、そこには腕を組み、冷ややかな視線を送ってくるシリルが立っていた。
その背後には、大慌てで担架を持って駆け寄ってくる衛兵たちの姿がある。
「これはこれは。ずいぶんと、お早いお帰りで?」
眼鏡をスッと押し上げながら、シリルがチクリと嫌味を放つ。
エマは衛兵たちにロビンを引き渡すと、乱れた服と息を整え、きゅっと口を結んでシリルを睨み返した。
「送り届けただけです! 私はすぐにここを出ます!」
「ほう。閣下をこんな状態にしておいてですか」
「ろ、ロビンさんからも『行け』と了承を得ていますから!」
エマは踵を返し、再び外へ向かって歩き出そうとした。
だが、シリルがやれやれと深い溜め息をついて、エマの行く手を遮った。
「まぁまぁ、そう意固地にならず、話だけでも聞いていってくださいよ」
「シリル様からお聞きする話は何も――」
「私からではありません。……それに、あなたを心底心配して、夜明け前から駆けつけてくださっている方がいるんですよ」
シリルが城の中へと視線を向ける。
そこには、見慣れた二つの影があった。
「エマ!」
「エマちゃん……! 無事だったかい!」
エマの目が、驚きに大きく見開かれた。
城の廊下の奥から、小走りで駆け寄ってきたのは、〈麦穂亭〉のパン屋の老夫婦だった。
「おじさま……っ、おばさま……どうしてここに?」
「どうしてって、決まってるじゃないか! あんたが城からいなくなったって聞いて、いてもたってもいられなくてね」
おばあさんはエマの血の滲んだ足首や、泥だらけの服を見て、ボロボロと涙をこぼした。
エマの胸がギュッと締め付けられる。あんな立ち聞きをして、誰も信用できなくなって逃げ出したのに、二人の顔を見た途端、張り詰めていた糸がふっと緩みそうになる。
だが、エマは一歩後ずさった。
「来ないでください……。お二人も、ロビンさんたちから頼まれて、私を監視していたんでしょう?」
エマの震える声に、おじいさんは辛そうに顔を歪めた。
シリルが静かな声で口を挟む。
「……確かに、当初はそうでした」
「!」
「あなたが森で行き倒れていた半年前。怪しい娘が入り込んだと報告を受けた閣下は、このご夫婦に頼んで、あなたをパン屋に置き、身元を確認しようとしました。……ですが、公的な身元確認と監視は、たった数日で終わっていたんですよ」
エマは信じられない思いでシリルを見た。
「数日で、終わっていた……?」
「ええ。あなたはただの家出娘であり、領地の脅威ではないとすぐに判明しました。監視など、任務上はとうの昔に不要だったのです」
「じゃあ、どうして昨日まで……?」
「その後の護衛強化も、毎朝のパン屋への来店も……すべて、閣下『個人』の判断です。……正確には、個人の我儘と言った方がいいでしょうね」
シリルはあきれ顔で、担架で運ばれていくロビンの背中を見送った。
「他の人間に買いに行かせれば良いものを、領主自ら、毎日毎日飽きもせず。……それも、あなたが忙しい時間を避けて、わざわざ客足が引く時間まで待ってから買いに行っていたんですよ、あの人は」
エマの心臓が、トクン、と大きく跳ねた。
いつも無愛想に「いつものを頼むよ」と言ってカスクートを買っていったロビン。
彼は、監視のためではなく――ただエマの顔を見るために、エマの負担にならない時間をわざわざ選んで、毎日通ってきていたというのか。
「エマちゃん。……黙っていて、本当にすまなかった」
おじいさんが、しわくちゃの手でエマの手をそっと包み込んだ。
「私たちは、ただのパン屋だ。領主様に頼まれたとはいえ、あんたを騙していたことに変わりはない。……だけどね、これだけは信じておくれ」
おばあさんも、エマのもう片方の手を両手でぎゅっと握りしめる。
「私たちは、あんたを守りたかったんだよ。最初は見ず知らずの娘だったけど……一生懸命に働いて、毎日可愛い笑顔を見せてくれるあんたのことを、気がつけば、本当の孫のように思っていたんだ」
「おばさま……」
「お城で怖い思いをしただろうに……。本当に、ごめんねぇ……」
ポロポロと泣き崩れるおばあさんの温かい手に触れ、エマの目からも、せき止めていた涙が一気に溢れ出した。
「ううん……私の方こそ、ごめんなさい。……何も言わずに、勝手にいなくなって……っ」
おじいさんが、優しくエマの頭を撫でた。
「エマちゃん。……君さえ良ければ、もう一度、私たちと一緒に暮らそう。今度は、領主様からの頼みでも、監視でもない。……『本当の家族』として、あんたを迎え入れたいんだ」
その言葉に、エマは声を出して泣いた。
父が死んで、義母たちに疎まれ、帰る場所などどこにもないと思っていた。誰も自分のことなど見ていないと、道具としてしか見ていないのだと絶望していた。
だけど、違った。
ここには、自分を心から心配し、愛してくれる人たちがいた。
「おじさま……っ、おばさまぁ……っ!」
エマはたまらず、二人の胸に飛び込んだ。
老夫婦も泣きながら、エマの小さな身体を力強く抱きしめ返す。
城の冷たい石造りの廊下で、三人はまるで本当の家族のように、長いあいだ抱き合って涙を流した。
◇◇◇
ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻したエマは、赤くなった目をこすりながら、シリルに向き直った。
「……シリル様。ロビンさんは」
「医務室に運びました。高熱と過労で、しばらくは目を覚まさないでしょう。……あなたは、どうしますか?」
シリルが静かに問いかける。
エマは、自分の足枷が入った鞄をぎゅっと握りしめた。
今なら、老夫婦と一緒にパン屋へ帰ることもできる。お城の陰謀からも、カエサルからも、あの意地悪な義母からも逃げて、穏やかな生活を取り戻すことができる。
だけど。
『俺が、どんな気持ちで……っ、お前がいなくなった部屋を見たか、分かるか……?』
森の中で、ボロボロになりながら自分を抱きしめてくれたロビンの声が、熱が、耳の奥にこびりついて離れない。
任務でもないのに、毎日パン屋に通ってくれた。自分を呪いから守るために、危険を承知で城に置いてくれた。
不器用で、言葉足らずで、肝心なことは何も言ってくれない。だけど、彼はいつも、身体を張ってエマを守ってくれた。
エマは顔を上げ、力強い瞳でシリルを見つめた。
「私は……ここに残ります」
エマの決意に満ちた声に、老夫婦は驚いたように顔を見合わせ、シリルはわずかに目を細めた。
「おじさま、おばさま。私を本当の家族だと言ってくれて、本当に嬉しかった。……だからこそ、私は逃げません。私、やらなくちゃいけないことがあるんです」
「エマちゃん……」
エマはシリルの前に進み出ると、深々と頭を下げた。
「シリル様。ロビンさんが目を覚ますまで、私が彼の看病をします。……それから、お城の書類仕事や、ウィンター領の帳簿の確認も、すべて私に手伝わせてください!」
「……本気ですか。今のウィンター領の帳簿は、下手に首を突っ込めば命に関わる泥沼ですよ」
「本気です」
エマは顔を上げた。
「ロビンさんに、これ以上一人で背負わせたくないんです」
◇◇◇
深い泥の底から引き上げられるような感覚とともに、ロビンはゆっくりと重い瞼を開けた。
視界に入ってきたのは、見慣れた自室の天蓋ではない。簡素な白い天井と、薬品の匂い。どうやら城の医務室のベッドに寝かされているらしかった。
「……ん」
喉が焼けつくように乾いている。身体を起こそうとしたが、鉛のように重くて動かなかった。
「あっ…… ロビンさん…」
ベッドのすぐ脇から、少し不安そうな、伺うような声が聞こえてきた。
視線を向けると、丸椅子に腰を下ろしたエマが、こちらを覗き込んでいる。腰にはしっかりとリボンが巻かれ、椅子から浮き上がらないように固定されていた。
「エマ……?」
「あの、 お水、飲めますか?」
エマが手際よく水差しからコップへ水を注ぎ、ロビンの後頭部をそっと支えて飲ませてくれる。冷たい水が喉を通ると、少しだけ頭がはっきりしてきた。
「俺は……どれくらい寝てた?」
「丸一日と少しです。熱が全然下がらなくて、シリル様も凄く心配して……」
言いながら、エマの大きな瞳にじわりと涙が浮かぶ。彼女は慌ててゴシゴシと目元を擦った。
「ごめんなさい。シリル様から聞きました。私が、ロビンさんのこと誤解して、勝手に出て行ったりしたから……っ」
「……」
ロビンは少しの間だけエマを見つめ、やがて、いつものような気怠げで、少しだけ意地悪な笑みを口元に浮かべた。
「出てっちゃったんじゃなかったの? エマちゃん」
「うっ……」
「『もう死んだと思ってください!』って、誰かさんが大見得切ってたような気がしたんだけどなぁ」
エマは顔を真っ赤にして、俯いた。
「ていうか俺の言うことは全く聞く耳持たなかったのに、シリルの言うことは聞くんだね?悲しいなぁ」
「そ、それは……! あの時は、ロビンさんたちに騙されていたと思って、パニックになっていたんです! パン屋のおじさまたちから、本当は任務でもないのにロビンさんが毎日お店に来てくれていたこと、聞きました。……それに」
「それに?」
「森で、ロビンさんが私を助けてくれた時のこと。……あと、もう守ってくれる必要だってなかったのに城に招き入れてくれて。……本当に、ありがとうございました」
エマが深々と頭を下げる。
「……いや、謝るのは俺の方だ」
ロビンは手を伸ばして、エマの華奢な手首を掴んだ。
「俺の言葉足らずのせいで、不安にさせて、あんなに怖がらせて……本当にすまなかった」
ロビンは真剣な顔でエマを見つめた。そして、こう言った。
「ずっと肝心な言葉を言えてなかった。そこは、俺が悪い。」
(ロビンさん・・・・)
エマは謝ってくれたことと、疲れ切っているのにきちんと目を見て話してくれたことに、胸がグッと熱くなった。が、急に恥ずかしくなって、思わず目を逸らすと自分の手を優しく取る、ロビンの大きな手が目に入る。エマの心臓がドキンと高鳴った。
(ただ、手を触られているだけなのに…)
少し触れてくれただけで、こんなにも心臓がうるさい…。
二人は大喧嘩して、自分は家出までしたのだ。それなのに、もう甘い空気が流れ出している。エマは自分の感情に戸惑ってギュッと目を閉じた。
そんなエマを見て、ロビンは苦笑した。手を握っただけなのに、耳が赤いことに気づいたのだ。
「まぁでも!勝手に出て行こうとしたエマも悪いよねってことで?罰として、俺の仕事、全部手伝ってもらうから」
「っ!はいっ! もちろんです! 私、帳簿でもお掃除でも何でもやります!」
元気よく答えるエマの頭を、ロビンの大きな手がポン、と優しく撫でた。
「……さて。本題だ。戻ってきてくれたってことは、まだ俺にもチャンスがあるって思っていい?」
「チャンス?」
ロビンは少し息を吐いて、エマを見つめながら微笑んだ。そして片手で掴んでいたエマを引き寄せ、その手を自分の口元に引き寄せた。湿った吐息がかかる。ロビンの口先がエマの白い指先に触れ、その瞳は熱っぽくエマを見つめている。
「…君ねぇ。男が一世一代の告白をしたって言うのに、なかったことにしちゃうの?」
誤字脱字を直しました!あと、やぱりロビンにも一言謝らせるべきだろうってことで、謝罪の言葉を入れました!




