「お前は、自由だ」
「わかった。行け。お前は、自由だ」
「……」
エマは警戒しながらも後ずさった。ロビンが腕を緩めると、するりと浮力で抜けた。
ロビンが顔を顰める。そしてエマを見ないように顔を背けた。
「持っていけ。金貨だ。それで護衛を雇え」
「……もらえません」
エマは拒んだが、ロビンは投げ捨てた鞄に金貨を押し込んで、鞄ごとエマに渡した。
「薬ができたら、新聞か何かで公示を出そう。場所を知らせてくれれば届けるようにする」
エマは、しばらく黙っていたがこくりと頷いた。そして木の根を足で蹴り、宙へ舞い上がった。
「さよなら、ロビンさん」
少しだけ浮くと、木々の隙間を通って朝日が刺してきた。少し移動したところでさらに木を蹴り上げ、そして振り向こうとして、やめた。
その時だった。
ズンッ、と。
ロビンの大きな身体が、糸の切れた操り人形のように倒れたのだ。ロビンは大木にその体を打ち付けた。
「ろ、ロビンさん!?」
エマは慌てて戻りかけ、そしてこれも罠かと身構えた。
「ろ、ロビンさん? 冗談はやめてくださ……」
そうして遠目に彼を見て、驚いた。顔が真っ赤だったのだ。
すぐに戻って、彼を支えようと肩に手を回したエマは、息を呑んだ。
軍服越しの身体が、まるで火のついた暖炉のように異常な熱を持っている。元特殊部隊の彼が、エマを追って一晩中、極限状態の森の中で体を酷使し続けたのだ。とうに限界など超えていた。
「ロビンさん! しっかりして!」
エマの悲痛な声が響くが、ロビンの意識はすでに、泥のような深い闇の底へと沈みかけていた。
◇◇◇
(ああ……血の匂いがする……)
薄れゆく意識の中で、エマの足から漂う血の匂いが、ロビンを『あの日』の記憶へと引きずり込んでいた。
――冷たい雨が降りしきる、スラグ王国との国境線。
泥にまみれた戦場で、ロビンは血だまりの中に倒れる兄を抱き抱えていた。
辺境伯として誰からも慕われ、太陽のように明るかった兄。その胸には、敵の凶刃が深々と突き刺さっていた。
『……ロビン』
『兄貴、喋るな! 衛生兵!!』
『……ノエルを……頼む』
『え……?』
兄の震える手が、ロビンの軍服を掴んだ。
『あの子を……ひとりに、しないでくれ……。それから……領地も……』
『兄貴……!』
『ふ、ロビン、お前なら安心だ…あの子は俺といる時よりもお前といる時の方がいつでも楽しそうだった…』
『そんなことはない。ノエルは兄貴のことを・・・』
『頼んだぞ・・・』
それが、兄の最期の言葉だった。
葬儀の日。
降りしきる雨の中、黒い傘を差した親族たちのひそひそ話が、ロビンの耳にこびりついた。
『立派な跡取りだったのに、惜しいことだ』
『だが、まだブラックウッドには弟君がいる』
『兄君からノエル様のことも託されたのだろう?』
『ノエル様も、ブラックウッドに残された大切なお方ですからな』
『ならばこれからは、ロビン殿があの方を支えながら、この領地を守っていくしかあるまい』
『そうだな。この国境沿いの領地には、いまだ隣国の脅威もある。“死神”とまで呼ばれた彼が適任だと、国王陛下直々のお達しだ』
ロビンは何も答えなかった。
兄が遺した領地を守ること。
それが、兄の代わりに残された自分の役目なのだと思った。
ならば、自分自身の人生など必要ない。誰かを望むことも、誰かと未来を描くことも――自分には許されない…。
スペア。予備。代用品。
それが、ロビン・ブラックウッドという人間の存在理由だった。
自分の人生など、とうに諦めていた。
欲しがってはいけない。誰かを愛しても、自分は決して永遠の未来を約束してやれる立場にはないのだから。
だから、感情を殺した。飄々とした態度で本音を隠し、面倒くさがりなふりをして、一人で何もかもを背負い込んできた。
なのに。
『ロビンさんは、スペアなんかじゃありません!』
自分の城に転がり込んできた、エマ。
彼女だけが、怒ったような、泣きそうな顔をして、ロビンの人生を肯定してくれた。
彼女だけは、誰にも渡したくない。俺の手で守りたいと、狂おしいほどに願ってしまった。
(……君を手放せない勝手な自分を、どうすればいいだろうか)
重い瞼の裏で、涙を流すエマの顔が浮かぶ。
(俺は……)
肝心な言葉は、熱に浮かされた喉の奥にへばりついて、音にはならなかった。
◇◇◇
「ロビンさん! ロビンさん!!」
呼びかけても、ロビンはピクリとも動かない。
エマはパニックになりかけたが、グッと唇を噛んで涙を拭った。
「あああもう!! もう!!」
エマは自分の現状を確認した。
足からは血が出ているが、痛みはだいぶ引いている。そして、足枷を外した自分の身体には『浮力』がある。
(ロビンさんの身体は大きくて重いけど……私の浮力を使えば、運べるかもしれない!)
エマはロビンの重い腕を自分の肩に回し、しっかりと抱きかかえるようにして立ち上がった。
一人なら天井まで飛んでいってしまう呪いの力が、今はロビンの体重と相殺され、彼の巨体を驚くほど軽くしていた。
「もう……っ。待っていてください、ロビンさん。私がお城まで連れて帰りますから!
でも!! しゃーなしですからね!!!」
エマは気を失ったロビンを必死に支えながら、朝靄の立ち込める森を、城へ向かって一歩ずつ進み始めたのだった。
少しだけ継ぎ足しました!




