モップマダムの美学
今日は雨。
床には濡れた靴の跡が点々とついていた。
「手が空いたらモップかけしとこう…」
そうつぶやいて、夏美は掃除用具入れからモップを取り出した。
そのとき――
「ちょっと!その持ち方じゃ、私の力、半分も出せないわよ」
「えっ?」
驚いて手元を見ると、なんとモップがしゃべっていた。
ふさふさのヘッドをピンと立て、柄の部分を誇らしげに小刻みに揺らしている。
「…モップが…しゃべった?」
「モップ“マダム”とお呼び! 私はただの掃除道具じゃなくて、“床のオシャレ番長”なの。あなたみたいな雑な子に使われるの、ちょっと不服なんだけど〜」
「ご、ごめんなさい…」
「ふん。いいわ、今日は特別にレッスンしてあげる。
モップっていうのはね、ただ拭くだけの存在じゃないのよ。
床にね、“気持ち”を込めるの。右手は愛情、左手はやさしさ。腰はしっかり、心は柔らかく」
「な、なるほど…」
「たとえば、あの靴跡。
“今日はお足元の悪いなか、ようこそ”って気持ちをこめて拭くの。そうすれば、床も心もスッキリよ」
「床も…心も…」
「そう! 床をキレイにするって、場所を整えるだけじゃなくて、自分をちょっとだけ整えるってことなのよ。
あなた、最近ちょっとバタバタしてるでしょ? しゃかしゃか動くばかりで、立ち止まれてないの」
「…う、たしかに」
「じゃあ今日は、ひと拭きごとに深呼吸。
いくわよ? せ〜の、腰を落として、拭いて、吸って、吐いて。はいもう一回!」
モップマダムの指導のもと、夏美はじっくりとモップを滑らせていく。
いつのまにか心が落ち着いて、床に映る蛍光灯の光もやさしく見えてきた。
「ね? ちょっとだけ、軽くなったでしょ?」
「うん。ありがとう、モップマダム」
「ふふっ。礼にはおよばないわ。
あなたがキレイにしてくれた床は、きっと誰かの気持ちも整えるから」
そのあと、モップは静かに柄を揺らし、ひと呼吸おくようにしてから、
すっ…と用具入れの奥へ戻っていった。
「また呼んでちょうだいね」とでも言いたげに、最後にヘッドをふわりと振って。
夏美はそっとモップの入った扉を閉めた。
扉の向こうでカタンと軽く揺れる音がして――それはまるで、「よくできました」って拍手のようだった。
なんだか満足そうに見えたのは――きっと気のせいじゃない。
でも、たとえ気のせいでも、
今日の床が、少しだけ誇らしげに光っていたのは、本当のことだった。
雨の日のコンビニで、モップを通してちょっとだけ心が整う――そんなお話にしました。
しゃべるモップマダムはちょっぴり辛口だけど、根はやさしい先生。
掃除って、ただの作業じゃなくて、自分の気持ちを整える時間でもあるのかもしれない…




