第9話 遺品になる前のお客様を、背負って帰ります
上層を、走った。
いつもの早足ではない。この八年で、たぶん初めての全力だった。
通路の角を曲がるたびに、驚いたゴブリンが壁に張りつく。中層の大きなトカゲが、慌てて天井へ逃げていく。
《コメント欄》
ガチ勢A:え、速っ
名無しの中層民:カメラ追いついてない
七瀬:等速です。たぶん
霧咲レイ(公式):二十階を八分で通過しました。人類の記録ではありません。もう何の記録でもありません
ジン信者:頼む、頼む
浮遊カメラが、時々置いていかれそうになる。
ひよりさんが遠隔で速度の上限を外してくれたらしく、モーターが悲鳴のような音を立てていた。
四十階。五十階。
黒い狼の群れが、道の両端に分かれて頭を下げた。
『灰島さん、ジンさんの配信、大蛇が……!』
イヤホンから、ひよりさんの声。
手首の端末の小窓で、灰色の大蛇が大きく口を開けていた。ジンは剣を杖にして、まだ仲間の前に立っている。
五十六階。
五十七階への階段を、俺は一段飛ばしで駆け下りた。
手首の端末の時計を見る。ゲートを入ってから、三十八分。
約束より、二分早い。
◇
大蛇の牙が、ジンの頭上に迫っていた。
ジンは目を閉じなかった。
最後まで相手を睨んだまま、剣を振り上げようとして――。
その剣の横を、俺の火ばさみが通り過ぎた。
かちん。
大蛇の上あごの牙を、火ばさみの先でつまむ。
そのまま、ぐっと押し戻した。
「失礼します。そちらの方は、ご依頼品です」
大蛇の頭が、天井近くまで跳ね上がった。
白く濁った目が、ぎょろりと俺を見下ろす。
《コメント欄》
名無しの中層民:きたあああああ
ジン信者:間に合った!?
kuro_tama:牙を火ばさみでつまむな
ガチ勢A:石喰いの顎の力、鉄骨を噛み切るって言われてるんだが
ジンが、呆然と俺を見上げていた。
「……あんた、なんで」
「妹さんからのご依頼です。少々お待ちください」
大蛇が、もう一度口を開けた。
俺は工具ベルトから、養生テープを一巻き取り出した。
布製の、いちばん粘着力の強いやつだ。
飛び込んできた鼻先を左手で押さえ、上あごと下あごを、ぐるぐると巻いていく。
一周。二周。三周。
大蛇は首を振って暴れたが、テープは剥がれなかった。
しばらくもがいてから、大蛇は不思議そうに自分の口を見つめ、やがて岩の隙間へずるずると逃げていった。
「テープは、あとで剥がしてくださいね」
《コメント欄》
ガチ勢A:養生テープで深層の大蛇の口を封じた
名無しの中層民:テープは、あとで剥がしてくださいね(やさしい)
元探索者:布テープ最強説
Abyss_Watcher:WHAT KIND OF TAPE IS THAT
ジン信者:ジンが生きてる……
◇
四人の容体を確かめる。
盾役の大熊さん、回復役のミナさん、斥候のソウさんは、意識がなかった。
脈はある。呼吸もしている。魔素酔いだ。急いで上の階に運べば、助かる。
「皆さん、少し窮屈ですが我慢してください」
俺は防炎養生シートを広げ、三人を一人ずつ包んだ。
それをロープでまとめ、背負子にくくりつける。大熊さんだけで、たぶん百キロはあった。
背負い上げると、ジンが目を丸くした。
「……三人、まとめて?」
「ジンさんは、こちらへ」
俺は、ジンを右腕で抱え上げた。
「は? ちょ、待て、俺は歩け――」
ジンは一歩踏み出そうとして、そのまま膝から崩れた。
俺は、もう一度抱え直した。
「ご依頼は、持ち物一式の回収です。ご本人も含めて、と承っておりますので」
《コメント欄》
kuro_tama:お姫様抱っこ
名無しの中層民:A級探索者がお姫様抱っこされてる
ジン信者:ジン、顔真っ赤で草
ガチ勢A:大人四人担いで深層付近を歩くおっさん
霧咲レイ(公式):救急車、ゲートに三台待機しています
◇
帰り道は、ゆっくり歩いた。
急げば四人の体に障る。魔素の濃い階から薄い階へ、少しずつ慣らしながら上がっていく。
五十階を過ぎたあたりで、腕の中のジンがぽつりと言った。
「……なあ」
「はい」
「ヤラセって言って、悪かった」
「いえ。疑うのは、大切なことです」
ジンは、しばらく黙っていた。
「十年だぞ。俺が毎日潜って、ようやく五十五階だ。あんたは、何年だ」
「八年です」
「なんで、そんなに強くなれたんだよ」
俺は少し考えた。
「強くなろうと思ったことは、ないんです。ただ、ご遺族が待っている物を探して、深いところに長くいただけで」
ジンは、ははっと乾いた声で笑った。
「……ずりいなあ、それ」
それきり、彼は目を閉じた。
眠ったのだろう。腕の中の重さが、少しだけ増した。
◇
八王子ゲートの外は、人であふれていた。
救急車の赤い光。報道のカメラ。スマホを掲げた野次馬。
その人垣を、霧咲さんが剣の鞘で押し分けて道を作ってくれた。
「灰島さん! 一言お願いします!」
「深層の救助は協会の規定外だそうですが!」
「黒崎さんとは和解されたんですか!」
マイクがいくつも突き出される。
俺は背負子を下ろしながら、一つだけ答えた。
「ご依頼品を、ご家族にお返しするところです。少し、道をあけていただけますか」
記者たちが、なぜか一斉に道をあけた。
「お兄ちゃん!」
制服の女の子が、駆け寄ってきた。
ミオさんだ。ストレッチャーに移されたジンに飛びついて、声を上げて泣いた。
ジンは薄く目を開けて、妹の頭に手を置いた。
「……仕送り、止まんねえわ。悪い、心配かけた」
「ばか! 仕送りとか、どうでもいいから!」
救急車のドアが閉まる前に、ジンがこちらを見た。
何か言いたそうだったが、言葉にはならなかった。代わりに、小さく親指を立てた。
◇
事務所に戻ると、ひよりさんがパソコンの前で険しい顔をしていた。
机の上には、ジンのパーティが身につけていた協会支給の通信機が置いてある。
救急隊員に頼んで、外させてもらったものだ。
「灰島さん。これ、ただの通信機じゃないです」
ひよりさんは、画面に表示された通信ログを指さした。
「十秒ごとに、現在地を送信してます。送り先は、協会の正式なサーバーじゃありません。個人の端末です。登録者の名前は――真壁」
霧咲さんが、鞘を握りしめた。
「黒崎を使って、深層の道筋を調べようとしていた……?」
「それだけじゃないんです」
ひよりさんは、俺の浮遊カメラを机の上に置いた。
協会の売店で借りた、あのカメラだ。
ドライバーで開けた底面の奥に、小さな黒い部品が埋めこまれていた。
「灰島さんのカメラにも、同じものが入ってます。最初の配信の日から、ずっと」
ひよりさんの声が、震えた。
「灰島さんが深層のどこを歩いたか、全部、真壁課長に筒抜けだったんです」
俺は、黒い部品を見つめた。
「……最初の配信の三日前に、このカメラを予約しました。そのときはまだ、誰も私のことなど知らなかったはずです」
「売店の貸出記録、さっき鷺沼さんに確認してもらいました」
ひよりさんは、スマホの画面を見せた。
「灰島さんの名前で予約が入った日に、貸出の決裁欄に課長の印が押されてます。普通、カメラの貸出に課長の決裁なんて要らないのに」
つまり、真壁課長は、ずっと前から俺を見ていたのだ。
業者用通用口の記録には、入った時刻と出た時刻しか残らない。けれど、八年間、毎週十時間以上も潜り続けている業者がいれば、気づく人間は気づく。
そして、その業者の名字が「灰島」なら。
「妻の手帳を、私に探させるつもりだったんですね」
声に出すと、事務所の空気が冷えた気がした。
八年かけて深層への道を覚えた俺の足跡を、真壁課長は、ただ後ろから追いかければいい。
そして今夜、俺は五十七階までの最短の道を、二百万人の前で走ってみせたばかりだった。
ご依頼の続きは、本日12:10に。
続きを見逃さないよう、【ブックマーク】で灰島の作業記録を保存しておいてください。
「ここで切るのか!」と思ったら、下の【☆☆☆☆☆】をタップして評価をいただけると、次の深層へ早く潜れます。
※本作は本文の執筆に生成AIを使用しています。




