第8話 生きている方のご依頼は、本来お受けしていないのですが
八王子の事務所に戻ったのは、夜の七時過ぎだった。
ひよりさんはパソコンを立ち上げ、黒崎ジンの配信を大きなモニターに映した。
霧咲さんも、駅から走ってきたらしい。息を切らしながら、画面の前に立った。
配信の階層表示は、五十六階。
『はい、五十六階到着。自己ベスト更新な。どうよ、協会の新装備。全然余裕だわ』
ジンは笑っていた。
だが、その顔色は悪かった。額に汗が浮かび、ときどき言葉の途中で息を継いでいる。
後ろに続く三人も同じだった。
盾を背負った大柄な男は、何度も首を振っている。回復役の小柄な女性は、杖にすがるように歩いていた。
《ジンchコメント欄》
ジン信者:ジン、顔色やばくない?
ジン信者:休憩しよ
通りすがりの中層民:魔素酔いの初期症状だろこれ
ジン信者:灰島に勝つまで帰れないんだよな
通りすがりの中層民:いや帰れよ
「魔素酔いです」
霧咲さんが、低い声で言った。
「深層に近い階の魔素は、体に慣らしながら下りないと一気に回ります。最初は頭痛とめまい。それから、手足がしびれる。最後は、意識がなくなります」
「協会の装備で、防げないのですか」
「防げるなら、私のパーティは三年前に五十八階で引き返していません」
霧咲さんは、唇を噛んだ。
画面の中で、ジンがカメラに顔を寄せた。
『お前らさ、俺がなんで灰島に噛みついてるか分かる?』
息が荒い。それでも、ジンは笑ってみせた。
『俺は十年かけてここまで来たんだよ。毎日潜って、毎日配信して、骨折って、それでも五十五階が限界だった。それを作業着のおっさんが散歩で越えていく? 認められるかよ。認めたら、俺の十年、なんだったんだって話だろ』
ジンは、少しだけ目をそらした。
『……まあ、本音言うと、金もいるんだけどな。妹が来年、大学なんだよ』
《ジンchコメント欄》
ジン信者:知ってる。ずっと言ってたもんな
通りすがりの中層民:急に好感度上がるのやめろ
「いい方ですね」
俺がつぶやくと、ひよりさんが「え?」とこちらを見た。
「ずっと、後ろの仲間の歩く速さを見ています。一番遅い方に合わせて、何度も足を止めている」
霧咲さんが、驚いたように画面を見直した。
◇
五十七階に入って十分後、それは起きた。
『……あれ』
ジンの声がふらついた。
カメラが大きく揺れ、地面が映る。ジンが膝をついたのだ。
『大熊、ミナ、ちょっと休憩――』
振り返った先で、盾役の男が倒れていた。
回復役の女性が駆け寄ろうとして、彼女もその場に崩れ落ちる。最後尾の斥候の青年は、壁にもたれたまま動かない。
『おい。おい、起きろ!』
ジンの叫びが、洞窟に反響した。
その奥で、何かが動いた。
岩だと思っていたものが、ゆっくりとほどけていく。
灰色の鱗に覆われた、胴回りが車ほどもある大蛇だった。目は濁った白で、口の端から岩の粉をこぼしている。
《ジンchコメント欄》
ジン信者:え
ジン信者:なにあれ
通りすがりの中層民:石喰い……? 下層の最深部にしか出ないやつ
ジン信者:ジン逃げて
ジン信者:協会! 協会の救助は!?
ジンは剣を抜いた。
だが、その切っ先はふらふらと揺れていた。
『来んな……来んなよ!』
剣を振る。
大蛇の鱗に当たって、火花が散っただけだった。
ジンは倒れた仲間の前に立ち、両手で剣を構え直した。
膝が震えている。それでも、そこから一歩も動かなかった。
『……ミオ。見てんなら、ごめんな。仕送り、来月から止まるかも』
かすれた声だった。
カメラは、彼の背中を映し続けていた。
《コメント欄》
ガチ勢A:ジンの配信、やばいことになってる
名無しの中層民:協会に救助要請したやつが「深層付近の救助は規定外」って返されたって
元探索者:規定外? 協会公認で行かせたんじゃないのかよ
kuro_tama:灰島さんの配信、今やってないの?
事務所の電話が鳴ったのは、そのときだった。
ひよりさんが受話器を取り、すぐに俺に差し出した。
顔がこわばっていた。
「灰島さん。……黒崎ジンさんの、妹さんです」
受話器の向こうから、しゃくり上げる声が聞こえた。
『黒崎ミオです。高校三年です。あの、兄を、助けてください』
「はい。灰島です」
『協会に電話したら、規定外だって。兄が自分で行ったんだから、自己責任だって。お金なら、兄が送ってくれてた仕送り、全部貯めてあります。だから、お願いします』
俺は、受話器を握り直した。
「ミオさん。私の仕事は、遺品整理士です」
電話の向こうで、ミオさんが息をのむのが分かった。
「亡くなった方の物をお届けするのが仕事です。生きている方のご依頼は、本来お受けしていません」
『……っ』
「ですので、ご依頼の内容を確認させてください」
俺は、事務所の壁にかけてある工具ベルトを手に取った。
「お兄様の持ち物一式の回収、ということでよろしいですか。剣も、カメラも、ジャケットも。――中に入っているご本人も、含めて」
電話の向こうが、一瞬静かになった。
それから、泣き声まじりの返事が聞こえた。
『……はい。はい、全部です。お兄ちゃんごと、全部持って帰ってきてください』
「承りました」
受話器を置くと、霧咲さんがもうジャケットを羽織っていた。
「私も行きます」
「霧咲さんは、ゲートで待っていてください。五十七階の魔素は、霧咲さんにも重いはずです」
「でも」
「戻ってきたら、四人を運ぶ人手が要ります。救急車の手配をお願いします」
霧咲さんは、悔しそうにうなずいた。
ひよりさんは、もうパソコンに向かっていた。
「配信、立てます。灰島さんのカメラの映像を、ジンさんの視聴者にも見てもらえるように」
「お願いします」
◇
八王子ゲート、業者用通用口。
いつもの守衛さんの横に、見慣れない協会職員が二人立っていた。
片方が、俺の前に腕を出した。
「灰島さん、入場は認められません。真壁課長の指示です」
「理由を伺えますか」
「深層付近の救助活動は、協会の規定外です。業者の方が勝手に――」
「救助ではありません」
俺は許可証を見せた。
「ご遺族、ではなくご家族からの、持ち物の回収のご依頼です。許可規則第三条により、依頼に基づく回収のため、ダンジョン内のいずれの区域にも立ち入ることができます」
職員が口ごもる。
守衛さんが、黙って通用口のゲートを開けてくれた。
「行ってらっしゃい、灰島さん」
「行ってまいります」
浮遊カメラの赤いランプがつく。
手首の端末に、ひよりさんが立てた配信の画面が映った。同時接続が、見る間に数字を跳ね上げていく。
画面の端には、ジンの配信の小窓も映っていた。
ひよりさんが、二つの配信を並べてくれたのだ。
小窓の中で、ジンはまだ立っていた。
大蛇の尾に剣を弾かれ、壁に叩きつけられ、それでも倒れた仲間の前に這い戻っている。
イヤホンから、ひよりさんの声がした。
『灰島さん。ジンさん、まだ立ってます。でも、たぶん、もう長くは』
「分かりました。ひよりさん、ジンさんの配信のコメント欄に、一言だけ書いていただけますか」
『なんて書きますか』
「『今から伺います』と」
《コメント欄》
七瀬:ご家族からのご依頼で、黒崎ジンさんのパーティの回収に向かいます
ジン信者:ジンの配信から来ました。お願いします
名無しの中層民:え、助けに行くの? あんなにヤラセって言われてたのに
霧咲レイ(公式):普通なら、五十七階まで六時間かかります
ジン信者:そんなの間に合わない
俺は、カメラに向かって頭を下げた。
「ご覧いただきありがとうございます。灰島遺品整理事務所です」
工具ベルトを締め直す。
「五十七階まで、四十分で参ります。――皆さんが、遺品になられる前に」
お読みいただきありがとうございます。
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