第7話 将棋の駒が一つ、足りないそうです
依頼フォームに届いた依頼は、一晩で四千件を超えていた。
「全部、読みました」
翌朝、ひよりさんは目の下にくまを作って言った。
事務所のホワイトボードには、彼女の字で依頼の一覧が書き出されている。亡くなった年、階層、品物、そして依頼人の状況。
「いたずらと、明らかな業者の売り込みを除くと、千二百件です。そのうち、依頼人がご高齢で急いだほうがいい方を、上から並べました」
「……ひよりさん、寝ましたか」
「寝てないです。でも、楽しかったので大丈夫です」
大丈夫な人の顔ではなかったが、一覧はとても見やすかった。
俺は、いちばん上の一件を指でなぞった。
長野県、蓮見源蔵様、七十八歳。
六年前、二十七階で亡くなった息子・誠さんの、将棋の駒を一つ。
◇
長野の山あいの古い家で、源蔵さんは縁側に将棋盤を出して待っていた。
「遠いところ、すまんのう」
小柄で、背筋のまっすぐな人だった。
盤の上には、指しかけの局面がそのまま並んでいる。ただ、片方の陣地の真ん中に、王将が一枚だけ足りなかった。
「誠が東京に出てから、ずっと郵便で指しとったんです。はがきに一手書いて送る。向こうも一手書いて返す。一局終わるのに、半年かかる」
源蔵さんは、日に焼けた指で盤のふちを撫でた。
「この駒は、あいつが子どものころに買ってやったもんでな。誠は王将だけ、お守り代わりに持ち歩いとった。最後のはがきを出したのが、六年前の春。返事は、来なんだ」
縁側の柱に、色あせたはがきが一枚、画鋲でとめてあった。
源蔵さんの最後の一手。『▲5三銀』。
「誠は、なんで探索者になったんですか」
ひよりさんが、遠慮がちに尋ねた。
「この家の屋根をな、直したいと言うとった。雨漏りがひどうて。探索者なら一年で稼げる、親父は心配すんな、と」
源蔵さんは天井を見上げた。
新しい板が、きれいに張られていた。
「あいつの見舞金で、直したんです。皮肉なもんでな。雨は漏らんようになったが、はがきは来んようになった」
源蔵さんは、小さく咳払いをした。
「返事を待っとるうちに、わしも年を取った。死ぬ前に、あいつの王将をこの盤に置いてやりたい。……それだけです」
「承知しました。必ずお持ちします」
俺が頭を下げると、源蔵さんは少し照れたように言った。
「それとな、配信、っちゅうのを、わしにも見せてもらえんか。誠の将棋仲間にも、届いたら見てほしい。引き渡しのところも、映してもろうて構わん」
俺はひよりさんと顔を見合わせた。
「ご遺族がそうおっしゃるなら、そのようにいたします」
◇
その夜の配信は、始まる前から同時接続が百万人を超えていた。
《コメント欄》
七瀬:本日のご依頼は、将棋の駒です。ご遺族のご希望で、引き渡しまで配信します
名無しの中層民:今日は将棋か
将棋指しの端くれ:郵便将棋って聞いて来ました。泣く準備できてます
霧咲レイ(公式):今日も見てます
ガチ勢A:レイ、毎回いるな
上層、中層と、いつもの早足で抜ける。
《コメント欄》
将棋指しの端くれ:縁側の盤、映ってた局面を並べてみた。後手玉、かなり危ない形に見える
名無しの中層民:将棋民が解析始めてて草
将棋指しの端くれ:でも王将がないから、本当の形は分からない。駒が見つかったら答え合わせだ
ガチ勢A:今日の配信、いつもと違う方向で緊張する
五十階台の黒い狼の群れは、今日も道の端に寄ってくれた。
六十階では、灰燼竜が首を低くしてこちらを見ていた。
会釈すると、竜はなぜか尻尾を持ち上げて、寝床の下を見せてくれた。
「ありがとうございます。今日は、そちらではないんです」
《コメント欄》
kuro_tama:竜、もう自分から見せてくるの草
ガチ勢A:完全に手なずけてる
名無しの中層民:「今日はそちらではない」←常連客か?
糸は、六十一階へ続いていた。
六十一階は、天井の低い洞窟が迷路のように続く階層だ。
その奥に、羽を広げると十メートルはある黒い鳥がいた。足もとに、ボタンや硬貨や鍵が山のように積まれている。光る小物を集める魔物だ。
糸は、その山のてっぺんに伸びていた。
「すみません。その中に、ご遺族の大切な物がありまして」
黒い鳥は、首をかしげた。
それから、山を守るように羽を広げ、威嚇の声を上げた。
俺はポケットを探って、ぴかぴかの五百円玉を一枚取り出した。
「交換、というのはいかがでしょう」
五百円玉を、山の横に置く。
鳥は五百円玉と俺の顔を何度も見比べ、やがてくちばしでそれをつまむと、山の中から小さな木の駒を一枚、ぽとりと落とした。
王将だった。
《コメント欄》
ガチ勢A:物々交換で深層の魔物から回収してて草
元探索者:あれ、六十一階の「カラス」、深層観測ドローンを百機以上落としたやつだぞ
将棋指しの端くれ:王将、ほんとにあった……
kuro_tama:五百円で深層ボスと取引する男
白手袋をはめて、手を合わせてから拾い上げる。
駒の裏に、細いペンで小さな字が書いてあった。俺はそれを読まずに、すぐに桐の小箱へしまった。
「これは、お父様に最初にご覧いただきます」
◇
翌日の昼、長野の縁側。
カメラは、盤と源蔵さんの手元だけを映していた。
源蔵さんは小箱から王将を取り出し、しばらくじっと見つめた。それから、ゆっくり裏返した。
老眼鏡を額に上げ、目を細める。
読み上げる声が、震えていた。
「……『△5二玉。親父の勝ちだよ。でも、次は負けない』」
源蔵さんは、王将を盤の上の、5二のマスにそっと置いた。
六年遅れの、一手だった。
「ばかたれが」
源蔵さんは、笑いながら泣いていた。
「次なんぞ、あるか。……わしが向こうへ行ったら、続きを指してやる。待っとれよ、誠」
《コメント欄》
名無しの中層民:無理
ガチ勢A:泣いた
将棋指しの端くれ:待って
将棋指しの端くれ:この局面、5二玉なら詰まない。むしろ後手が三手で勝てる。俺でも分かる
元探索者:え
将棋指しの端くれ:息子さん、勝ちが見えてたのに「親父の勝ち」って書いてるんだよ
kuro_tama:やめて
Abyss_Watcher:I don't understand shogi but I'm crying
源蔵さんは、そのコメントをひよりさんに読み上げてもらって、しばらく黙っていた。
「……知っとったよ」
ぽつりと言った。
「あいつは昔から、わしにだけは、最後に負けてくれる子じゃった」
俺は縁側から下がって、頭を下げた。
故人の言葉は、ときどき、届けた俺の想像よりもずっと優しい。
帰りぎわ、源蔵さんは料金の封筒と一緒に、大きなタッパーを押しつけてきた。
「野沢菜じゃ。うちで漬けたもんです。若いお嬢さんにも食べさせてやってください」
「料金はお見積もりのとおりで十分ですので……」
「これは料金じゃない。誠の将棋仲間を増やしてくれた礼じゃ」
断れなかった。
ひよりさんは、タッパーを宝物のように両手で抱えていた。
◇
長野からの帰りの電車で、ひよりさんがスマホを見て声を上げた。
「灰島さん、黒崎ジンの配信が始まってます。予告より、一日早いです」
画面の中で、金髪の男が笑っていた。
背後には、協会の最新装備に身を包んだパーティの四人。
『よう、三百四十万人。今日は協会公認で、火ばさみおじさんのヤラセを暴きに行く。目標は六十階だ。ついてこいよ』
配信の右上に、階層表示が出ていた。
五十一階。
開始から、まだ三時間しかたっていなかった。
霧咲さんからメッセージが届く。
『速すぎます。魔素に体を慣らさずに下りています。このペースだと、五十七階で全員倒れます』
本日のご依頼、ここまでです。
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