第5話 深層の墓守を分別していたら、兄の最後の声が届いた
墓守が、剣を振り上げた。
何十本もの剣が溶け合ってできた、柱のような刃だった。
振り下ろされた風圧だけで、足もとの霧が一気に吹き飛ぶ。
俺は半歩だけ横へずれた。
刃は俺の肩先をかすめて床を叩き、結晶の床に深い溝を刻んだ。
「危ないですね」
俺はつぶやいて、墓守の腕を見上げた。
籠手が三つ、重なっている。肘のあたりには、割れたヘルメットが二つ。手首には、誰かの腕時計が巻きついたままだった。
全部、遺品だ。
「その腕は、ご遺族のものです」
俺は腰の工具ベルトから、バールを抜いた。
解体現場で使う、一番長いやつだ。
「返していただきます」
《コメント欄》
霧咲レイ(公式):逃げてください!
名無しの中層民:バール???
ガチ勢A:おっさん、やる気だ
七瀬:灰島さん……!
二撃目が来る前に、俺は墓守の懐へ踏み込んだ。
籠手と籠手の継ぎ目に、バールの先を差し込む。
てこの原理で、ぐっと押し下げる。
ばきん、と音がして、籠手が一つ外れた。
落ちてきたそれを、左手で受け止める。
床に広げておいた防炎養生シートの上に、そっと置いた。
「金属類は、こちらに」
墓守がよろめいた。
俺は続けて、肘のヘルメットを外す。手首の腕時計を外す。肩当て、胸当て、すね当て。
外した品物は、種類ごとに分けて並べていく。
金属はこちら。革製品はあちら。写真やお守りのような紙と布の品物は、汚れないように別のシートの上へ。
遺品整理の基本は、分別だ。
どの品物に、どのご遺族がいるか分からない。だから一つも壊さない。一つも混ぜない。
《コメント欄》
ガチ勢A:分別してる
名無しの中層民:深層ボスを分別してる
kuro_tama:ゴミの日かな?
元探索者:違う、あれ一個一個が誰かの形見なんだよ
Abyss_Watcher:He's dismantling it like IKEA furniture in reverse
名無しの中層民:同接二百万いったぞ
墓守は、どんどん小さくなっていった。
五メートルあった体が三メートルになり、二メートルになる。
最後には、兜一つと、その中で弱々しく光る青い石だけが残った。
魔石だ。遺品を呼び集めていた、この魔物の核だろう。
兜の中で、魔石がまたたいた。
まるで、まだ何かを集めようとしているみたいに。
俺は膝をついて、兜に手を合わせた。
「たくさん、集めてくださったんですね。でも、これはご家族のもとへお返しします」
お疲れさまでした、と頭を下げる。
青い光が、ふっと消えた。
兜だけが、からんと床に転がった。
《コメント欄》
霧咲レイ(公式):……人類の記録で、墓守を倒したのは今日が初めてです
霧咲レイ(公式):倒したというか、片付けました
ガチ勢A:片付けた(深層ボス)
kuro_tama:ジンが配信切ったぞ
元探索者:なあ、並べてくれたあの品物、持ち主わかるのか?
俺はカメラに向き直った。
「ここに並べた品物は、どれもどなたかの大切な物です。ご依頼をいただければ、一つずつ、ご遺族のもとへお届けします」
《コメント欄》
七瀬:事務所の依頼フォーム、今パンクしました
名無しの中層民:そりゃそうなる
一度に持ち帰れる量には限りがある。
俺は小さな品物だけを背負い袋に詰め、残りのシートの四隅に養生テープを貼った。テープには油性ペンで「回収予定 灰島」と書いておく。
《コメント欄》
ガチ勢A:深層ボスの跡地に「回収予定」の張り紙
kuro_tama:引っ越し業者かな?
元探索者:あれ、誰か触ったら絶対怒られるやつ
帰り道の六十階では、灰燼竜がまた首を下げて見送ってくれた。
俺も会釈を返す。顔見知りが増えるのは、ありがたいことだ。
◇
同じころ。探索者協会八王子支部の、明かりの消えた課長室。
真壁は、ノートパソコンの画面を見つめていた。
配信は終わっている。最後に映っていたのは、作業着の男が竜に会釈する後ろ姿だった。
真壁は、机の電話の受話器を取った。
「……私です。ええ、見ていました」
受話器の向こうの声に、真壁は短く答えた。
「七瀬のタグは、灰島の手に渡りました。中身は、まだ表に出ていません。あの男、律儀にマイクを切ったので」
薄く笑う。
「問題は、手帳のほうです。あの女の手帳は、まだ見つかっていない。――灰島より先に、こちらで回収します」
受話器を置くと、真壁は引き出しから一枚の古い写真を取り出した。
十年前の、第一次調査隊の集合写真。
その端で白衣を着て笑う女の顔に、真壁は赤いペンで丸をつけた。
◇
事務所に戻ったのは、明け方の四時過ぎだった。
ひよりさんは、パソコンの前で毛布にくるまったまま起きていた。
俺の顔を見るなり立ち上がって、何か言おうとして、言葉にならずに唇を噛んだ。
「ただいま戻りました」
ポケットのスマホが、二度震えた。
一通は、霧咲さんから。
『ご無事で何よりです。夜が明けたら、事務所に伺います。お話ししたいことがあります』
もう一通は、知らないアカウントからのメッセージだった。
送り主の名前は、黒崎ジン。
『あんた、何者だ』
どちらにも返事をするのは後にして、俺はスマホを伏せた。
今は、目の前のご遺族が先だ。
俺は応接机に白い布を敷き、その上にタグを置いた。
「回収したお品物の目録です。回収場所は六十三階。状態は、表面に細かい傷があります。発見場所の写真は――」
「見たいです」
ひよりさんは、即答した。
「お兄ちゃんが最後にいた場所なら、全部見たいです」
「承知しました」
俺はタブレットで、沈み溜まりの写真を見せた。
白い霧と、降り積もった遺品の雪原。ひよりさんは長いあいだ、それを黙って見つめていた。
俺は二人分のほうじ茶を淹れた。欠けていないほうを彼女の前に、欠けたほうを自分の手元に置く。
「音声の記録が、まだ残っています。私は席を外しましょうか」
「……いてください」
ひよりさんは、俺の作業着の袖をつまんだ。
「一人で聞くの、怖いので」
俺はうなずいて、ソファの端に座った。
ひよりさんが、タグに指を触れる。
青白い光とともに、若い男の声が流れ出した。
『ひより、ごめん。協会の――いや、先にこっちだな』
声は、ひどく疲れていた。それでも、どこか照れくさそうだった。
『母さんに、ちゃんと飯食えって言っといて。あと、お前は大学やめるなよ。学費の口座の通帳、俺の机の二段目に入ってるから』
ひよりさんの肩が、震え始める。
『お前、昔から俺より頭いいんだからさ。好きなこと、やれよ。……あと、お前の卵焼き、いつもしょっぱすぎ。でも、もう一回食いたかったな』
「……ばか」
ひよりさんは、タグを両手で包んで泣いた。
「お兄ちゃんの、ばか。そんなの、いいから。帰ってきてよ……」
俺は窓の外を見た。
東の空が、少しずつ白んでいく。
声は、まだ続いていた。
『それと、もし誰かがこれを拾ったら、聞いてほしい』
声の調子が、変わった。
『俺たち臨時職員四人は、協会の真壁課長に言われて潜った。四十一階の簡単な調査だって聞いてたのに、途中で行き先を変えられた。気づいたら、五十九階より下にいた』
ひよりさんが、はっと顔を上げる。
『四人のうち、二人はもういない。真壁課長は、五十八階の手前で「先へ行け」と命令して、自分だけ引き返した』
記録の中で、何かが遠く吠える音がした。
『探してこいって言われたのは、ある人の手帳だ。十年前の、第一次調査隊の医療班にいた人の手帳。そこに、協会が絶対に表に出したくないことが書いてあるらしい』
息をのむ音が、記録の中から聞こえた。
『名前は――灰島千景』
俺の手から、湯のみが落ちた。
床で割れた音が、ずいぶん遠くに聞こえた。
十年前に帰らなかった妻の名前を、俺は三年前に死んだ青年の声で聞いていた。




