第4話 同時接続八十万人の前で、遺品の吹き溜まりに手を合わせる
「見てるだけじゃなくて、手伝わせてください」
その夜、ひよりさんは事務所のパソコンの前に陣取っていた。
「私、情報系の学科なんです。配信のコメント管理くらいならできます。荒らしを消したり、大事なコメントを固定したり」
「助かります。前回は三人でしたから、そんなに大変ではないと思いますが」
「……灰島さん、たぶん自分の状況を分かってないです」
ひよりさんは、画面を俺のほうへ向けた。
配信の予約ページ。開始前なのに、待機している人数が十二万人と表示されていた。
「……十二万、ですか」
「はい。海外からも来てます。あと、霧咲レイさんが待機所にいます。公式アカウントで」
「では、きちんとした格好で行かないといけませんね」
俺は作業着の襟を直した。ひよりさんは、何か言いたそうな顔でこちらを見ていた。
◇
八王子ゲート、業者用通用口。
守衛さんが許可証を見て、なぜか敬礼してくれた。
浮遊カメラの赤いランプがつく。
「ご覧いただきありがとうございます。灰島遺品整理事務所です」
俺はカメラに向かって頭を下げた。
「本日のご依頼は、七瀬湊さんの探索者タグです。ご遺族の許可をいただいて、配信しております。なお、遺品の中身は映さないことがありますので、ご了承ください」
《コメント欄》
七瀬:コメントのルールは概要欄を見てください。ご遺族への誹謗中傷は削除します
名無しの中層民:始まった!
ガチ勢A:今日も作業着で草
霧咲レイ(公式):見てます
名無しの中層民:本人おるやん
kuro_tama:ジンの検証配信から来ました。あっちで「CGを暴く」って言ってる
黒崎ジン。登録者数三百四十万人の攻略系配信者で、A級探索者。
ひよりさんによれば、同じ時間に俺の配信を映しながら「ヤラセを暴く検証配信」をしているらしい。
「たくさんの方に見ていただけて、ありがたいですね」
《コメント欄》
ガチ勢A:器がでかい
元探索者:喧嘩売られてる自覚ゼロで草
◇
上層は、いつものように早足で抜けた。
《コメント欄》
名無しの中層民:早送り?
七瀬:等速です
ガチ勢A:等速でこれ?? ゴブリンが追いつけてないんだが
Abyss_Watcher:He walks faster than my car
四十一階で、俺は一度足を止めた。
協会の記録で、湊さんが亡くなったとされている階層だ。
意識を細くする。
糸は、ここを素通りしていた。この階には、何の気配も残っていない。
「この階では、ないようです」
《コメント欄》
元探索者:待って。三年前の四月の四十一階、事故の記録なかったはずだぞ。俺その頃ここで狩ってた
名無しの中層民:え
七瀬:……
五十階を過ぎると、魔物の数が増えた。
黒い狼の群れ。天井に張りつく巨大な蜘蛛。どれも、俺が通ると道の端に寄っていく。
礼儀正しい魔物が多い階層だ、と俺はいつも思っている。
《コメント欄》
ガチ勢A:魔物が道あけてる
名無しの中層民:モーセかな
霧咲レイ(公式):五十四階のヘルハウンドは、普通は群れで襲ってきます
kuro_tama:ジンの配信、さっきから無言になってる
五十八階。
国内最深記録の階層を、俺はいつもの歩幅で通り過ぎた。
《コメント欄》
霧咲レイ(公式):ここから先は、私も知りません
◇
同じころ。都内のスタジオで、黒崎ジンは腕を組んでいた。
背後の大型モニターには、作業着のおっさんの配信が映っている。
ジン自身の配信画面の同時接続は、開始時の九十万人から、六十万人まで減っていた。
「はいはい、六十階ね。合成、合成」
ジンは笑ってみせた。
金髪に、ブランドものの探索ジャケット。三百四十万人が見慣れた、いつもの「攻略のジン」の顔だ。
「いいかお前ら。俺はA級だ。五十五階まで潜ったことがある。あの階の空気はな、もっとこう……」
言葉が止まった。
モニターの中で、おっさんが六十階の灰燼竜の前を通り過ぎていく。竜は首を低く下げ、まるでお辞儀をするように、おっさんを見送った。
《ジンchコメント欄》
ジン信者:ジン?
通りすがりの中層民:竜がお辞儀してるんだが
ジン信者:ジン、なんか言って
ジン信者:あっちの配信行ってくるわ
「……光の反射が、おかしい。だから合成だ」
そう言った声が、自分でも分かるほど掠れていた。
◇
六十三階は、静かな階層だった。
天井が見えないほど高い空洞に、乳白色の霧が溜まっている。
その床一面に、物が積もっていた。
剣。盾。ヘルメット。水筒。スマホ。子どもの描いた絵が入ったお守り。
何千、何万という遺品が、雪のように降り積もっている。
俺はこの場所を、沈み溜まりと呼んでいる。
上の階から沈んできた遺品が、なぜかここに集まるのだ。
八年前、初めてここへたどり着いたとき、俺は一日かけて千景の物を探した。
見つからなかった。妻の遺品は、ここよりもっと深くにあるらしい。
それ以来、ここへ来るたびに、俺はまず手を合わせることにしている。
俺は霧の手前で膝をつき、手を合わせた。
しばらく、そうしていた。
《コメント欄》
名無しの中層民:……
ガチ勢A:これ、全部
元探索者:俺のパーティの、あいつのもあるのかな
kuro_tama:黙祷
Abyss_Watcher:(合掌)
霧咲レイ(公式):……
コメント欄の流れが、いつのまにか止まっていた。
八十万人が、同じ画面を黙って見ている。手首の端末に、そんな数字が表示されていた。
俺は立ち上がって、白手袋をはめた。
「お待たせしました。探します」
《失せ物探し》。
思い浮かべるのは、事務所でパソコンの前に座っている女の子の顔だ。
糸は、霧の奥へ伸びていた。
いつもは霧の縁で探し物を済ませてきた。奥まで入るのは、八年で初めてだ。
遺品を踏まないよう、一歩ずつ足を置く場所を選んで進む。
十分ほど歩いたところで、糸が途切れた。
割れたヘルメットの下に、銀色のプレートが半分埋もれていた。
探索者タグ。刻まれている名前は、『NANASE MINATO』。
そのそばに、壊れたボディカメラが転がっている。
「……ありました」
《コメント欄》
七瀬:お兄ちゃん
七瀬:お兄ちゃんのだ
ガチ勢A:見つかった……
名無しの中層民:モデさん……
俺はタグを両手ですくい上げた。
その瞬間、プレートが青白く光った。
探索者タグには、持ち主の最期の声を記録する機能がある。持ち主以外の手に触れると、記録が自動で再生される仕組みだ。
ざらついた若い男の声が、霧の中に響いた。
『ひより、ごめん。協会の――』
俺は即座に、カメラのマイクを切った。
遺品が最初に語りかける相手は、ご遺族であるべきだ。
八十万人ではない。
タグを胸ポケットにしまい、カメラに向かって頭を下げる。
「申し訳ありません。ここから先の音声は、ご遺族にだけお聞かせします」
《コメント欄》
ガチ勢A:プロだ
名無しの中層民:今、協会って言った?
元探索者:言った。確かに言った
kuro_tama:協会のアカウント、今コメント欄から消えたぞ
七瀬:ありがとうございます、灰島さん
そのとき、背後で金属の触れ合う音がした。
かしゃん。かしゃん、かしゃん。
俺は振り返った。
積もった遺品の山が、盛り上がっていた。
剣が。盾が。鎧が。何十人分もの装備が、何かに引き寄せられるように組み上がっていく。
やがて霧の中に、身の丈五メートルを超える騎士の形が立ち上がった。
兜の奥は、空っぽだった。
そこにいるのは、遺品を喰らって体にする魔物だ。
《コメント欄》
霧咲レイ(公式):灰島さん、後ろ!
霧咲レイ(公式):それ、十年前の第一次調査隊の最後の通信に出てくる「墓守」です。調査隊は、あれと遭遇して消息を絶ちました!




