第3話 許可停止だそうですが、その規則、最後まで読みましたか
探索者協会八王子支部の一階ロビーは、いつもより騒がしかった。
自動ドアをくぐった瞬間、ベンチにいた探索者の皆さんが一斉にこちらを見た。
誰かが「火ばさみの人だ」とつぶやき、何人かがスマホを構える。
「灰島さん、こっちです」
窓口から、鷺沼さんが小走りでやってきた。三十代半ばの、いつも書類を抱えている職員さんだ。
彼女はエレベーターの前で、声をひそめた。
「すみません、うちの課長が……。配信の次の日から、灰島さんの過去の入出記録を全部洗ってるんです。八年分」
「八年分も。お手間をおかけします」
「そういうことじゃなくて」
鷺沼さんは困った顔をして、エレベーターのボタンを押した。
「気をつけてください。あの人、灰島さんのことになると、なんだか変なんです」
◇
三階、第二会議室。
長机の向こうに、男が三人並んでいた。
真ん中に座っているのが、遺失物管理課長の真壁だ。五十がらみで、髪をきっちり撫でつけている。笑うと目が細くなるのに、少しも笑っているように見えない人だった。
「わざわざご足労いただいて」
「いえ。電話一本で許可停止というのは、さすがに困りますので」
俺は会釈して、パイプ椅子に座った。
壁際の記録係の席には、窓口の鷺沼さんがいた。八年間、俺の許可更新をずっと担当してくれている人だ。目が合うと、彼女は申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「では、確認です」
真壁課長が書類をめくる。
「一昨日の夜、あなたは五十九階以深へ立ち入った。認めますね」
「はい。依頼品が六十階にありましたので」
「五十九階以深は、立入禁止区域です」
「そうでしたか。存じませんでした」
「知らなかったで済むと? 深層は、あなたのような一般人が立ち入っていい場所ではない。命に関わるんですよ」
「危険なのは存じています。ですが、ご遺族は待っておられますので」
「……質問に答えていませんね」
真壁課長の口元が、わずかに上がった。
両隣の職員が、手元のメモに何か書きつける。
俺は鞄から、付箋だらけの冊子を取り出した。
『ダンジョン遺品回収業許可規則』。十年前、協会が業者向けに作った規則集だ。
「お尋ねしたいことが三つあります」
「……どうぞ」
「一つ目。立入禁止区域の指定は、協会の管理規程第十二条により『告示』して行うと定められています。五十九階以深の指定は、いつ告示されましたか」
真壁課長の手が止まった。
「協会のサイトの告示欄を、昨夜さかのぼって確認しました。十年分です。五十九階の告示は、一件もありませんでした」
「それは、内部通達で」
「内部通達は、協会の職員の方を縛るものです。外部の業者には届きません」
隣の職員が、そっと真壁課長の顔をうかがった。
「二つ目」
俺は付箋のページを開いて、机の上に置いた。
「許可規則第三条。『許可業者は、遺族等の依頼に基づく遺品回収のため、ダンジョン内のいずれの区域にも立ち入ることができる。ただし、これにより生じた損害について、協会は責任を負わない』」
会議室が、静かになった。
十年前のことを、俺は覚えている。
業者の事故で協会が訴えられないように、「どこへ行ってもいいが、死んでも自己責任」と書いた条文だ。誰も深層まで行けるとは思っていなかったから、深さの制限を書き忘れたのだろう。
「三つ目。許可の停止は、第二十条で『聴聞の機会を与えたうえで』行うことになっています。お電話一本では、手続きが足りません」
真壁課長は、しばらく何も言わなかった。
調査員をしていた頃、恩師の司法書士によく言われたものだ。
灰島くん、規則は最後まで読みなさい。書いた人間がいちばん読んでいないのが、規則というものだから、と。
「……停止は、撤回します」
真壁課長が、低い声で言った。
「ありがとうございます」
「その代わり」
細い目が、俺を見た。
「あなたがこの八年で回収した遺品の目録を、全件、協会に提出してください。違法な持ち出しがないか確認する必要がある」
「お断りします」
即答すると、両隣の職員がぎょっとした顔をした。
「目録には、ご遺族の住所も、故人の最期の様子も書いてあります。規則で提出が義務づけられているのは、依頼外の品物を回収した場合だけです。それ以外は、依頼人の個人情報ですので」
「……そうですか」
真壁課長はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、目録という言葉を口にしたときだけ、ほんの少し前のめりになっていた。それが妙に、引っかかった。
◇
支部を出ると、スマホの通知がまた増えていた。
霧咲さんが、朝のうちにSNSに書き込んでいたらしい。
『昨夜の灰島さんの配信は本物です。私が見ていました。協会が彼の許可を停止しようとしています』
《コメント欄》
名無しの中層民:S級が保証しちゃったよ
ガチ勢A:協会、火ばさみおじさんを止めようとして炎上してて草
元探索者:あの規則、業者は自己責任って書いてたやつだよな。墓穴では?
kuro_tama:協会の電話つながらなくなってるらしい
Abyss_Watcher:#FreeTheTongsMan
ガチ勢A:海外勢のタグ名がひどい
「……火ばさみの人、ですか」
悪くないあだ名だな、と思った。仕事道具の名前なら、覚えてもらいやすい。
◇
事務所に戻ると、シャッターの前に女の子が座り込んでいた。
二十歳くらいだろうか。大きなリュックを膝に抱えて、俺の足音にはっと顔を上げる。
目の下に、薄いくまがあった。
「灰島さん、ですよね。配信の」
「はい、灰島です」
「七瀬ひよりといいます。大学二年です。あの、依頼を……」
彼女はリュックから、くしゃくしゃになった封筒を出した。
探索者協会の封筒だった。
「三年前、兄が死にました。七瀬湊、二十三歳です。協会の臨時職員で、四十一階で事故に遭ったって」
声が少しずつ細くなる。
「おかしいんです。兄は、すごく怖がりでした。お化け屋敷にも入れない人で、『臨時職員は浅い階の調査だけだから安全』って、いつも言ってたのに」
ひよりさんは、膝の上で封筒を握りしめた。
「探索者タグだけでも返してほしいって、何度もお願いしました。でも協会からは『遺品は回収不能』って、この手紙が一枚来ただけで」
俺は封筒を受け取って、中を読んだ。
回収不能。
見慣れた四文字だった。十年前、俺の家に届いたのと同じ書式だ。
「中へどうぞ。少し、調べてみます」
◇
ひよりさんは、事務所の机に積まれた依頼書の山を見て、目を丸くした。
「これ、全部……」
「ご依頼です。三十七件。皆さん、待っておられます」
俺はほうじ茶を出して、欠けていないほうの湯のみを彼女の前に置いた。
ひよりさんは両手で湯のみを包み、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
協会の遺失物台帳は、許可業者なら閲覧できる。
事務所のパソコンでログインし、故人の名前で検索した。
七瀬湊。三年前の四月。四十一階。
その行を見て、俺は手を止めた。
『探索者タグ一点 状態:回収済 保管:協会本部』
「……回収済?」
ひよりさんが、画面を覗き込んで息をのんだ。
「うそ。だって、回収不能って」
俺は目を閉じ、意識を細くした。
《失せ物探し》。
思い浮かべるのは、目の前の女の子が三年間、握りしめてきた気持ちだ。
糸が、ほどける。
ただし、協会本部のある都心の方角ではない。足もとへ。地の底へ、まっすぐに。
糸の張り具合で、おおよその深さは分かる。八年もやっていれば、一階ぶんの誤差もない。
俺は目を開けた。
「この台帳は、間違っています」
「え……」
「湊さんのタグは、協会にはありません。まだダンジョンの中です。――六十三階に」
ひよりさんが、かすれた声でつぶやいた。
「じゃあ、協会は……いったい、何を保管してるんですか」




