第2話 S級探索者が事務所に来たので、ほうじ茶を出しました
「何者、と言われましても」
俺は事務所の応接ソファを勧めて、ほうじ茶を淹れた。
来客用の湯のみは二つしかない。片方は少し欠けているので、そちらは自分で使う。
「遺品整理士です。名刺、お渡ししましょうか」
「いただきます」
霧咲レイさんは、名刺を両手で受け取った。
テレビで見るより若い。たぶん二十四、五だろう。剣を下ろしてソファに座る仕草が、妙に礼儀正しかった。
「灰島さん。確認させてください」
「はい」
「国内の最深到達記録は、五十八階です」
「そうなんですか」
「記録を作ったのは、私のパーティです」
「それはおめでとうございます」
霧咲さんは、湯のみを持ったまま固まった。
「……あの。昨夜、あなたがいたのは六十階です」
「ええ。佐伯さんの指輪が、そのあたりまで沈んでいましたので」
「沈んで?」
「遺品は下へ沈むんです。浅い階なら一年で五階から十階くらい。深くなるほど、ゆっくりになりますが」
「知りません、そんなこと」
今度は俺が固まる番だった。
八年間、俺はずっとそうやって遺品を探してきた。古い遺品ほど深い。だから深く潜る。それだけのことだ。
協会に聞かれたことはないし、わざわざ言う相手もいなかった。
「では、皆さんは五十八階より下へは……」
「誰も行けません。行った人は、誰も帰ってきていません」
霧咲さんの声が、少しだけ震えた。
「あの灰燼竜は、深層の観測ドローンが一度だけ遠くから撮ったことがある個体です。近づいた機体は全部溶けました。それをあなたは、火ばさみで」
「あれは、火の粉から遺品を守るための道具でして」
「そういう話じゃないんです」
霧咲さんは額を押さえ、自分のスマホをこちらへ向けた。
「見てください。昨夜の切り抜きのコメント欄です」
《コメント欄》
名無しの中層民:CGだろ。CGであってくれ
ガチ勢A:竜の鱗の反射、本物の深層の光り方と同じなんだよな……
kuro_tama:火ばさみでドラゴンしつけてて草
元探索者:防炎シート一枚で灰燼竜のブレス防ぐのは物理的におかしい
名無しの中層民:「遺品に燃え移ったらどうするんですか」←怒るとこそこ?
Abyss_Watcher:Who is this guy?? Japanese salaryman in the Abyss???
ミウ:灰島さんは本物です。私のお父さんの指輪を見つけてくれました
ガチ勢A:遺族本人おるやん
kuro_tama:刻印を映さなかったの、プロすぎて泣いた
「……皆さん、夜中なのによくご覧になってますね」
「感想がそれですか」
霧咲さんは、深いため息をついた。
「灰島さん、探索者ランクは?」
「探索者ではないんです。持っているのは、これだけで」
俺は財布から、くたびれた許可証を出した。
『ダンジョン遺品回収業許可証』。十年前、協会がダンジョンの管理を始めたころに作られた、業者向けの制度だ。
「適性検査は一度だけ受けました。ランクはFです。スキルは《失せ物探し》が一つ」
「F……」
「それからは測っていません。測定料が一回二万円かかるので」
霧咲さんは、しばらく天井を見ていた。
それから、意を決したように顔を上げる。
「お願いがあります。今日、遺品をお届けに行くんですよね。同行させてください」
「ご遺族のお宅ですので……」
「外で待ちます。邪魔はしません。ただ、知りたいんです。あなたが、何のために深層へ行くのか」
まっすぐな目だった。
断る理由を探して、俺は結局見つけられなかった。
◇
団地へ向かう道で、霧咲さんは帽子とマスクで顔を隠していた。
それでも、すれ違った男子高校生が二度見して、「え、レイじゃね?」とささやいた。
「やっぱり、目立ちますね」
「灰島さんのほうが目立ってます。さっきから三人、あなたを撮ってました」
「作業着だからでしょうか」
霧咲さんは答えなかった。
佐伯さんのお宅は、三日前と同じように片付いていた。
ただ、仏壇の前に座布団が二枚並べてある。お二人とも、待っていてくれたのだ。
俺は座卓に白い布を敷き、その上に桐の小箱を置いた。
「こちらが、回収したお品物の目録です」
一枚の紙を差し出す。
回収日時。回収した階層。周囲の状況。品物の状態。
発見場所の写真は、ご希望があればお見せする。見たくないという方もいるので、必ず先に伺うことにしている。
「写真は……今は、いいです」
和美さんが小さく首を振った。
「承知しました。では」
俺は小箱の蓋を開けて、ご遺族のほうへ向けた。
あとは、俺の仕事ではない。
美羽さんが、震える指で指輪をつまんだ。
内側を、窓の光にかざす。
『T & K』。
その横に、刃物で引っかいた文字。
――みう 11さい おめでとう
美羽さんの肩が、びくりと跳ねた。
「……五年前の、あの日」
かすれた声だった。
「私の、誕生日だったんです。お父さん、『ケーキ買って早く帰る』って言って、潜って。帰ってこなくて」
和美さんが、娘の背中に手を置く。
「だから私、誕生日、もうやめたんです。お父さんが死んだ日だから。おめでとうなんて、言っちゃいけない日だって」
指輪を握りしめた手に、ぽたぽたと涙が落ちた。
「お父さん、最後に、これ書いてたんだ。私の、誕生日のこと……」
最後のほうは、もう言葉になっていなかった。
俺は黙って頭を下げ、部屋の隅へ下がった。
故人の言葉が、ようやく届く。その瞬間に立ち会わせていただくのが、この仕事でいちばん大切な時間だと思っている。
十年前、俺の家には何も届かなかった。
妻の千景が、ダンジョンから帰らなかった日。協会から送られてきたのは、紙一枚の死亡認定通知だけだった。
だから俺は、届ける側になった。
しばらくして、和美さんが涙をぬぐった。
「灰島さん。あの、昨夜の配信が、すごいことになっていると聞いて……。お礼を、もっと」
「料金は、お見積もりのとおりです」
俺は首を振った。
「それと、前の業者の件は、被害届を出しましょう。書き方はお手伝いします」
俺は小箱の蓋を閉じながら、もう一つ付け加えた。
「この指輪は、お二人が相続されたお品物です。高価な宝飾品でなければ、形見分けとして扱えます。難しい書類は要りません。『夫の形見を娘に渡した』。それで十分です」
和美さんは、泣きながら少しだけ笑った。
「美羽。今年は、ケーキ買おうか」
「……うん。チョコのやつ」
◇
団地の階段を降りると、霧咲さんが自販機の陰に立っていた。
目が赤かった。
薄い玄関ドア越しに、声だけは聞こえてしまったのかもしれない。
「……灰島さん」
「はい」
「私、五十八階で、仲間を二人置いてきました」
霧咲さんは、自分のつま先を見たまま言った。
「助けに戻れなかった。記録を作った日なのに、配信では笑ってました。あれから三年、二人の家族に会えていません」
冷たい風が、銀色の髪を揺らした。
「いつか、依頼してもいいですか」
「いつでもどうぞ。それが仕事ですから」
霧咲さんは顔を上げた。
泣き笑いのような顔で、何か言いかけた。
そのとき、俺のスマホが鳴った。
表示は、探索者協会八王子支部。
通話ボタンを押すと、ねっとりとした男の声が流れてきた。
『遺失物管理課長の真壁です。灰島恭一さんですね』
「はい、お世話になっております」
『単刀直入に言います。あなたは昨夜、立入禁止区域である五十九階以深に、無断で侵入した』
真壁課長は、楽しそうに一拍置いた。
『よって本日付で、あなたの遺品回収業許可を停止します。――今後、ダンジョンへの立ち入りは一切認めません』
隣で、霧咲さんが息をのんだ。
俺は、スマホを持ち替えた。
困ったな、と思った。
事務所の机の上には、まだ三十七件、ご遺族からの依頼書が積んであるのだ。




