第16話 事務所の鍵は、閉めておくべきでした
音声ファイルは、全部で四十七本あった。
ひよりさんと鷺沼さんが手分けして聞き、久我先生が内容を書き起こしていく。
真壁課長の声が入っているのは、そのうち九本。どれも、湊さんたち臨時職員に向かって、深層へ進むよう命じるものだった。
「これだけあれば、十分だ」
久我先生が、ペンを置いた。
「明日の朝一番に、小野寺刑事に提出しよう。原本のタグは、警察で保管してもらうのがいい。協会の手の届かないところに」
俺はうなずいた。
ちょうどそのころ、協会からも発表があった。
世論に押されて、三日後に「第一次調査隊および遺失物台帳に関する公開聴聞会」を開くという。会長以下、理事が全員出席する。
「真壁課長も、出席するんでしょうか」
ひよりさんが聞くと、鷺沼さんが首を振った。
「課長は、今日から休暇を取っています。理由は、体調不良だそうです」
◇
その夜、俺は久我先生を自宅まで送っていった。
事務所に残ったのは、ひよりさんだけだった。
書き起こしの最後の数本を、今夜中に片付けたいと言ったのだ。
「戸締まりは、きちんとしてくださいね」
「はい。すぐ鍵かけます」
――あとで思えば、俺はあのとき、自分で鍵をかけて出るべきだった。
◇
ひよりさんが異変に気づいたのは、夜の十一時過ぎだった。
一階のシャッターが、外から持ち上げられる音がした。
鍵は、かけたはずだった。それなのに、シャッターはがらがらと、ためらいなく上がっていく。
ひよりさんは、とっさに湊さんのタグを握りしめ、事務所の奥の物置に隠れた。
足音が、四つ。
黒い探索ジャケットを着た男たちが、懐中電灯で室内を照らしていく。顔は、目出し帽で隠れていた。
「タグはどこだ」
「棚を全部ひっくり返せ。パソコンも持っていく」
ファイルが床に落ちる音。机の引き出しが抜かれる音。
ひよりさんは、物置の中で息を殺した。手の中のタグが、汗で滑りそうだった。
――お兄ちゃん。
心の中で呼ぶ。
怖がりで、お化け屋敷にも入れなかった兄。その兄が、最後まで逃げずに、妹の話をしていた。
だったら、私も逃げない。このタグだけは、絶対に渡さない。
ひよりさんは、スマホを手探りで操作し、画面を見ずに灰島の番号を押した。通話のまま、ポケットに押し込む。
懐中電灯の光が、物置の扉の隙間をなめた。
「……おい、ここ」
扉の取っ手が、がちゃりと回った。
そのとき、事務所の入り口で、別の声がした。
「女の子一人に、四人がかりかよ」
男たちが一斉に振り返る。
開いたシャッターの下に、金髪の男が立っていた。
片手に、焼肉屋の紙袋を提げている。
「差し入れに来たら、ずいぶん賑やかじゃねえか」
黒崎ジンは、紙袋をそっと床に置いた。
男の一人が、無言で警棒を抜いて飛びかかった。
ジンは半歩下がってそれをかわし、相手の手首をつかんでひねり上げた。警棒が床に転がる。
「A級なめんなよ。病み上がりでもな」
二人目と三人目が、同時に襲いかかってくる。
ジンは一人を蹴り飛ばしたが、もう一人に背後から組みつかれた。
「くそっ……!」
その瞬間、白い冷気が事務所を駆け抜けた。
ジンに組みついていた男の足が、床ごと凍りついていた。
男は悲鳴を上げて、身動きが取れなくなる。
「師匠の事務所で、何してるんですか」
入り口に、霧咲さんが立っていた。
抜き身の剣から、白い霧が立ちのぼっている。
「ジン、遅いです。焼肉の匂いで、二ブロック先から分かりました」
「お前こそ、なんでいるんだよ」
「ひよりちゃんが一人で残ってるって聞いたので」
残った一人が、物置の扉を蹴破ろうとした。
霧咲さんの剣が、その鼻先に突きつけられる。
「動いたら、凍らせます。全身」
男は、両手を上げた。
◇
俺が事務所に戻ったのは、それから十分後だった。
ポケットの中からかけられた、無言の電話。その向こうの物音を聞いて、タクシーを飛ばしてきた。
シャッターの前には、パトカーが二台停まっていた。
事務所の中は、ひどい有様だった。
棚は倒れ、ファイルは床に散らばり、パソコンのモニターが割れている。
その真ん中に、目出し帽の男が四人、並んで座らされていた。
全員の手首と足首が、養生テープでぐるぐる巻きにされている。
「……これは」
「師匠の真似です」
霧咲さんが、得意そうに胸を張った。
「事務所に置いてあったので、使わせていただきました。布製の、いちばん強いやつ」
「経費で落としておきます」
物置から出てきたひよりさんが、俺の顔を見るなり駆け寄ってきた。
手には、湊さんのタグがしっかりと握られていた。
「灰島さん……タグ、守りました」
「ありがとうございます。怪我は」
「ないです。ジンさんとレイさんが、来てくれたので」
ひよりさんの膝が、かくんと折れた。
俺はその肩を支えて、ソファに座らせた。震えが止まるまで、しばらくかかった。
ジンが、焼肉の紙袋を持ち上げて、ばつが悪そうに笑った。
「借り、一個は返したからな。残りは、おいおい」
「一個目にしては、ずいぶん大きいです」
「うるせえ。肉、冷めたぞ」
小野寺刑事が、男たちのスマホを調べていた。
やがて、苦い顔でこちらへやってきた。
「四人とも、協会の特別警備班の職員です。元探索者で、全員B級以上。指示を出していたのは、このアカウントです」
画面には、メッセージのやりとりが表示されていた。
送り主の名前は、『真壁』。
――タグと音声データを回収しろ。パソコンも全部だ。
――私は、手帳を取りに行く。
「手帳を、取りに行く……?」
霧咲さんが、眉をひそめた。
そのとき、鷺沼さんから電話がかかってきた。
声が、ひどく焦っていた。
『灰島さん! 今、ゲートの入場記録を確認したら……真壁課長が、二時間前に正面ゲートから入っています。協会の特別調査班、六人を連れて』
「行き先は、分かりますか」
『申請書には、七十階、とあります』
俺は、息を止めた。
『それと、課長の端末に、十年前から登録されている位置信号があるんです。第一次調査隊の装備についていた、ビーコンの信号。ずっと、少しずつ深くなっていって、今は七十階で止まっています』
鷺沼さんの声が、震えた。
『登録名は――灰島千景さんの、医療用バッグです』
俺は、受話器を握りしめた。
十年間、真壁課長は、妻の荷物がどこにあるか知っていた。
知っていて、取りに行けなかった。七十階までの道を知る者が、誰もいなかったからだ。
――俺が、六十八階までの道を、見せてしまうまでは。
工具ベルトを、壁から外す。
ひよりさんが、ソファから立ち上がった。霧咲さんが剣を鞘に戻し、ジンが焼肉の紙袋を拾い上げた。
「灰島さん」
ひよりさんが、まっすぐ俺を見た。
「……助けるんですか。あの人を」
事務所が、しんと静まった。
兄を深層へ追いやり、死なせ、その死を「事故」として片付けた男だ。
ひよりさんにそれを聞く権利は、誰よりもある。
「七十階の魔素は、六十階とは比べものになりません。真壁さんの装備では、たどり着く前に倒れるはずです」
俺は、工具ベルトの留め具を締めた。
「真壁さんには、生きて、聴聞会の席で話していただかなければなりません。湊さんに何をしたのか。十年前に、何を切ったのか。――遺品になられては、何も語れませんので」
ひよりさんは、長いあいだ黙っていた。
それから、小さくうなずいた。
「……分かりました。絶対、生きたまま連れて帰ってきてください。一発、ひっぱたきたいので」
「その際は、私が立ち会います」
「配信、立てます」
ひよりさんが言った。
「お願いします」
俺は、浮遊カメラのスイッチを入れた。
「では、迎えに参ります。妻の物と――真壁さんを」
ご依頼の続きは、明日12:10に。
続きを見逃さないよう、【ブックマーク】で灰島の作業記録を保存しておいてください。
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※本作は本文の執筆に生成AIを使用しています。




