交流×3
「処理工場なら、そこら中にあるよ」
緋紅鈴は、ハート型の装置をぽんぽんと投げて遊んでいる。
「君が欲しいなら、何箱か分解して持ってこさせようか?」
極天は、彼女の冗談には付き合わなかった。
「中のデータは復元できるか?」
緋紅鈴が近づき、装置をじっくりと観察する。
「この損傷具合だと……」
「たぶん無理じゃないかな」
「でも、さっきは確かに光っていた」
「仮に奇跡的に動いたとしても、感情データが残っていられるのは数日くらいじゃない?」
「それに、私のところは修理工場じゃないし」
「他のところにも行った。でも、修理できなかった」
「中のデータが欲しいの?」
極天は一瞬、黙った。
「俺には、七歳より前の記憶がない」
「孤児院に送られたときから、ずっとこれを持っていた」
「手がかりがあるなら、調べてみたい」
「そういうことか」
緋紅鈴は背を向け、両手を後ろに回す。
「じゃあ、頑張って権限を上げてね」
「そうすれば、私ももっと多くの演算能力を使って君を手伝えるから」
「もしかしたらその頃には――」
「二十年以上も前に惑星を飛び出した光景だって、二十光年以上離れた場所から掴まえられるかもしれないよ」
極天は装置を懐へ戻し、頷いた。
「少なくとも、方向が分かった」
「闇雲に探すよりはましだ」
緋紅鈴は振り返る。
どこか得意げな口調だった。
「それじゃ――」
「ここ、湮甦・球湖支部のナンバー2として、正式に君へ社員権限を付与します」
極天の視界に、半透明のインターフェースが展開された。
【氏名:極天】
【意識タイプ:本体意識】
【所属機関:湮甦】
【所属支部:球湖支部】
【所属部署:保安部】
【役職:一般保安員】
【社員番号:015】
――――
【行政権限:L0】
【データ権限:L0】
【研究権限:L0】
【保安権限:L1】
【作戦権限:L0】
【指揮権限:L0】
極天の視線が、「意識タイプ」の項目で二秒ほど止まった。
右下にメッセージが表示される。
【リンク:訊鏈(湮甦・社内職員版)――送信者:緋紅鈴】
「これは?」
「見たまんま。企業版の訊鏈だよ」
「暇なときにインストールしておいて。けっこう時間かかるから」
「でも、民間版より機能はずっと多いよ」
「分かった」
「じゃあ、入社手続きはこれで終了。先に帰っていいよ」
「研修とかはないのか?」
「おお――!」
「さすが優秀な社員!」
「その心構えを評価して、支部ナンバー2から特別に研修免除の権利を与えます!」
極天が何か言うより先に、緋紅鈴は手をひらひらと振った。
「バイバイ」
「……じゃあな」
極天は仕方なく、背を向けて歩き出した。
* * *
湮甦ビルを出て、そう時間も経たないうちだった。
人通りの少ない通り。
一軒の店の脇に、こんな光景ができあがっていた。
二人の若い男が、数メートルの距離を挟んで向かい合っている。
一人は背筋を伸ばし、無表情。
もう一人は両手をポケットに突っ込み、いかにも人を苛つかせそうな笑みを浮かべている。
二人の沈黙は、数分間続いた。
ついに――
ポケットに手を突っ込んだ男が、我慢できなくなった。
「極天、お前その仏頂面どうにかしろ!」
「道塞いでんじゃねえよ!」
極天は顔を少し上げ、口の端を吊り上げた。
「ふっ」
「冯一語――」
「命の恩人に向かって、ずいぶんな口の利き方だな」
新聞売りの少年のような帽子を被った冯一語は、極天の表情と口調を見た瞬間、二歩ほど近づいた。
そして手を伸ばし、耳をつまもうとする。
極天は顔を横へ逸らして躱した。
空を掴んだ冯一語の手は、一瞬止まる。
だが、そのまま自分の帽子を脱いだ。
ぱん、ぱん。
帽子についた埃を払う。
「極天の坊主」
「年長者が教育してやろうってのに、避けるとは何事だ」
「年長者?」
極天が眉を上げる。
「ひいひいじいさんとでも呼んでやろうか?」
冯一語は真剣に考え込んだ。
「あと二段階くらい上げたら、たぶんちょうどいいな」
極天は相手にするのも面倒になり、背を向けた。
歩き出しながら、何気なく尋ねる。
「お前、なんでここにいる?」
「また早上がりか?」
冯一語は肩をすくめた。
「ちょっと戻ってきただけだ」
そして、湮甦ビルの方向へ視線を向ける。
「元社員だからな」
極天の足が止まった。
振り返る。
「お前が湮甦の人間だったなんて、聞いてないぞ」
冯一語は極天の視線に耐えきれず、半歩後ろへ下がった。
「待て待て。その熱い視線はちょっと耐えられねえ」
左手で胸元を守るようにしながら、右手をポケットへ突っ込む。
「ほら、これやるよ」
「その目、少しは収めろ」
そう言って、ポケットから銀色の円盤を取り出した。
極天が近づき、手を伸ばす。
そして、その手を冯一語の手の下に添えた。
冯一語がニヤリと笑う。
指先で、円盤を弾いた。
チン――。
円盤が回転しながら落ちていく。
極天の視線が、それを追って下がる。
だが、視界の端に――
冯一語が身体を捻り、逃げ出そうとしている姿が映った。
極天は空中に伸ばしていた手を、円盤を掴むことから即座に切り替えた。
そのまま爪を伸ばし、冯一語の服の裾を掴む。
グイッ!
一気に引っ張る。
同時に、つま先で円盤を跳ね上げた。
二本の指で挟み取る。
じっと見る。
硬貨?
表面には、冯一語のデフォルメされた顔が刻まれている。
目を閉じ、右手を握り拳にして胸元へ掲げた、いかにも間抜けなポーズ。
その銀色の硬貨が指に挟まれた瞬間――
そこに刻まれた冯一語の顔が、ほんのわずかに目を瞬かせた。
「離せ離せ離せ!」
引っ張られてよろめいた冯一語が、慌てて叫ぶ。
極天は手を離した。
次の瞬間――
冯一語の姿が消えた。
またか?
極天は、彼が消えた場所へ手を伸ばす。
空を切った。
光学迷彩?
違う。
遅延もない。
輪郭の歪みもない。
もっと近い。
環境擬態……か。
冯一語のことは、ひとまず放っておく。
極天は手の中の銀色の硬貨へ視線を落とした。
手のひらで軽く弾ませる。
軽い。
鼻先へ近づけて匂いを嗅ぐ。
少しカビ臭い。
舌を出しかけ――
極天の視界の端を、通行人が横切った。
止まる。
諦める。
懐へしまう。
そして、そのまま家へ帰った。
* * *
玄関の扉を開け、極天は家へ戻った。
「兄貴、帰ったぞ」
奥の部屋から、ひょこっと頭が出てくる。
口にはケチャップの袋を咥えている。
何かを咀嚼しながら、ぼそっと返事をした。
「おお、極天か」
それだけ言うと、また引っ込んでいった。
極天はリビングへ向かう。
そして最初に目に入ったのは――
ローテーブルの上に置かれた装置だった。
指一本ほどの長さ。
二本の指を並べたほどの幅。
円柱状の装置。
表面には二本の環状ランプがあり、呼吸するように明滅している。
極天は視線を戻した。
ソファに座っている短髪の男を見る。
「どうした、兄貴」
男は目を閉じ、腕を組んでいる。
右足だけが、絶え間なく床を叩いていた。
低かった声が、徐々に高くなる。
「えぇー……兄貴って呼ぶなよ」
顔を横へ向ける。
「季平って呼べ」
極天は腰を下ろした。
自分で茶を淹れ、ゆっくりと飲む。
――俺が湮甦に入ったこと、知られたか?
余目で見る。
季平はまだ目を閉じたまま、足を震わせている。
極天はローテーブルの上にあった菓子皿を、自分のほうへ引き寄せた。
そして一つ取る。
口へ運ぶ。
リビングには、かすかな咀嚼音だけが響いていた。
静かだ。
季平の横を向いていた頭が、ゆっくりと持ち上がる。
よく見ると――
時折、片目を細く開けて、こっそり極天を盗み見ている。
口は固く閉じられ、わずかに尖っている。
眉間には、深い皺がどんどん寄っていく。
極天の視界の中で、季平はリクライニングチェアに掛けられていた毛布を手に取った。
軽く振る。
そして、脇へ置いた。
季平の眉間の皺が、さらに深くなる。
極天はクッションを手に取り、何度か揉んでふっくらさせた。
そして、ちょうどいい位置へ置く。
ゆっくりと横になる。
ついに――
極天が隣の毛布へ手を伸ばし、自分の身体へ掛けようとした、その瞬間。
季平が勢いよく跳ね起きた!
指を一本、極天へ突きつける。
「お前、いい加減こっちから聞かせろよ!」




