第99話 似合わないを選ぶ
貸衣装棚へ、鍛冶師のボルが来た。
六十を越えた大男で、腕には火傷跡、腰の紋は煤のような黒。彼が選んだのは、若い踊り手向けの紫と黄色の房飾りだった。
棚にはもっと落ち着いた物があった。黒紋の式典帯、深い藍の長布、鍛冶場でも汚れが目立たない茶色。店員は自然にそれらをボルの前へ出す。
彼は一つずつ横へ除け、最上段の房飾りへ指を伸ばした。若い頃、祭りの踊り手へ憧れたが、家業を継いでから一度も舞台へ出なかったという。妻には「似合わない」と笑われ、彼女が亡くなってからは、笑ってくれる人もいない。
「今さら着たら、あの世でまた笑うだろ」
それが嫌なのか嬉しいのか、結人には分からなかった。
店員が言いかける。
「それは、もう少し若い方に――」
結人が棚の向こうから咳をした。
ボルは聞こえていたらしく、片眉を上げる。
「似合わないか」
「かなり」と結人は答えた。
店員が青ざめる。ボルは声を上げて笑った。
「よし。祭りで一番似合わないものを着る」
房は腕を振るたび顔へ当たり、黄色の布は黒い煤をすぐ吸った。結人は作業の邪魔になる場所だけ留め直し、それ以上は触らない。
夕方、鍛冶場の仲間たちが集まった。最初は全員笑った。若者の一人が「孫の衣装を盗んだのか」とからかう。
奥の棚には、亡くなった妻が使っていた小さな鈴があった。ボルは房飾りの先へ一つだけ結ぶ。踊るたび鉄槌より軽い音が混じった。
最初の回転で膝が鳴り、二度目は息が切れた。若い職人が椅子を出すと、ボルは座って足だけを動かす。立って踊る形へ戻そうとする者はいない。
結人は房の長さを短くしたくなったが、鈴が床へ触れる寸前の長さを本人が気に入っている。火の粉だけ避ける位置へ、留めを少し上げた。
ボルは紫の房を振り、鉄槌を床へ置いた。
「今日は火を打たない。踊る」
彼は上手くなかった。膝は固く、回れば目が回り、房が隣の男の口へ入った。それでも途中で脱がない。
笑っていた仲間が、次第に拍を取る。鍛冶場の鉄槌を軽く打ち、火床のふいごを鳴らす。ボルは自分の仕事の音に合わせ、派手な布を煤だらけにして踊った。
結人は入口で見ていた。似合う形へ直せば、もっと線はきれいになる。けれど、今のボルは自分が選んだ不格好さを楽しんでいる。
公演の終わり、紫の房が一本切れた。
結人が針を出すと、ボルは掌で止めた。
「今日は切れたまま帰る」
「失くしますよ」
「失くしたら、明日探す」
翌朝、王都の若者が鍛冶場へ紫の房を買いに来た。
前夜の記録映像で、若者たちは踊りより煤の付いた紫を気に入ったらしい。きれいな新品を持ってきた者へ、ボルは火床の灰を一つまみ擦りつけた。
「汚すんですか」と結人。
「うちの色にする」
リュシアなら怒るだろう。だが若者たちは灰の濃さを選び、自分で房へ塗った。貸衣装だった一着から、鍛冶場だけの流行が生まれる。
ボルは貸衣装を返さず、延長料を払った。
「来月も着る」
「似合うようになったと思いますか」と店員。
「いや。似合わないままで気に入った」
貸衣装札の用途欄へ、結人は初めてこう書いた。
笑われても踊る。




