第98話 雨のランウェイ
二回目の公演当日、空は昼まで晴れていた。
開演の鐘が鳴る直前、雲が王都広場を覆った。最初の一滴がテオの鼻へ落ち、その次には七十枚の鏡が一斉に白く曇る。
雨はすぐに太くなった。
舞台布は水を吸い、裾の色は流れ、観客は天幕の下へ逃げる。主催者は中止札を出そうとした。
鏡を運んだカナたちは、割れないよう七十枚を伏せる。色膜の係は水で剥がれた薄片を追い、排水溝を塞がないよう籠へ集めた。舞台裏では出演者が、自分の身体から布を離すか、濡れたまま使うかを一人ずつ決める。
結人は乾いた替え布を探したが、倉庫まで往復すれば開演時刻を過ぎる。今ある衣装を救うことばかり考え、濡れた役者本人が震え始めているのをミナに指摘された。
「布より先に、温かい湯」
結人は作業箱を置き、食堂から湯桶を運んだ。服屋なのに服を守らない選択が、今日は必要だった。
「路地へ行こう」とテオ。
広場脇の染物通りには、軒から軒へ古い天幕が渡っている。幅は狭く、客席もないが、雨は少し弱い。
出演者たちは衣装を抱え、裸足で路地へ走った。結人は濡れた布を守ろうとして桶へ足を取られ、ラナに腕を引かれる。
路地へ着くまでに、宣伝旗は泥へ落ち、進行表は文字が流れ、テオの青布は重さが倍になった。出演順を覚えていたのは舞台監督だけだったが、狭い路地には順番どおり入る場所がない。
最初に樽へ上がったのは、本来最後の予定だった香油師。雨で香りが消えるたび別の瓶を開け、観客へ当ててもらう遊びへ変えた。次に子どもが鈴を鳴らし、その音へテオが飛び込む。
誰かが予定を守るほど、公演は詰まった。予定を捨てるたび、路地の奥へ新しい場所ができた。
「服屋が一番遅い」
路地の石は濡れ、鏡も照明もない。テオの遅延色は雨で全部落ち、青布はただの青へ戻った。
「色がない」と結人。
「俺はいる」
テオは樽を舞台にして上がった。跳ばず、狭い道を歩く。雨を含んだ布は重く、身体より遅れるどころか足へまとわりつく。彼は裾を両手で持ち上げ、失敗そのものを大げさな踊りにした。
ラナが屋根の端から落ちる水を肩で受け、銀粉の代わりに雨粒を光らせる。カナはポケットから小さな鈴を出し、軒下の子どもへ配った。
観客は天幕を支える側になった。風で布が持ち上がるたび、十人、二十人と手が伸びる。誰かが歌い、ミナが続き、路地全体が細長い舞台になる。
天幕の端を持つ老女は、腕が疲れると隣の少年へ渡した。少年は背が足りず、台を持ってきた魚屋の肩へ乗る。客席と裏方と演者が、雨の中で何度も入れ替わる。
結人は濡れた布の安全だけを見て歩き、滑りやすい場所へ白い貝殻を置いた。アミは保護者のミオラと軒下に残り、子どもたちへ布を持たせず、鈴の配布だけを担当する。誰かが彼女を舞台へ呼んでも、今日は見守る役だと断った。
その断り方を、結人は直さなかった。
テオは最後に青布を外し、軒へ掛けた。濡れた布越しに光が落ち、下を通る人の腰の紋だけが水面のように揺れる。
拍手は雨音へ負けた。
それでも、テオは客の顔を見ていた。配信石の枠も、審査員もいない。目の前の人が笑えば分かる。
公演後、彼は結人へ濡れた衣装を渡した。
「直す?」
「色は入れ直せます」
「今日はこのまま乾かす。雨の跡を残したい」
路地の端で、主催者は中止札の裏へ「雨天決行」と書き足した。子どもが濡れた青布の下をもう一度くぐり、テオは軒から落ちる雫へ合わせて頭を下げた。




