第91話 色の値段
閉店後の作業台に、ミラは一着分の費用を並べた。
薄布、色糸、留め具、染め水。針が減った分。劇場まで運ぶ荷車。縫った者の賃金、試着した役者の時間代、失敗した布を洗った水代。
結人は布の札だけを指した。
「材料なら、黒紋の色膜より安いです」
ミラは隣の札を一枚ずつ重ねた。
「布だけで完成するなら、あなたもリュシアも要りません」
安い外注へ回し、作り手の名を消し、染め水を川へ流し、修理の責任を店から外せば半額にできる。帳簿の上では簡単だった。
「それはしません」
「では、買えない人へどう届けますか」
結人は値下げの札を何度も書き直した。下げるたび、誰かの賃金が薄くなる。
リュシアの色代を削ると、彼女は「では、朝から川へ入る人をあなたが雇って」と言った。運搬費を落とすと、鏡を運んだ若者が翌日から無給になる。修理積立を外せば、最初に破れた一着で棚そのものが終わる。
帳簿の数字は冷たいが、札を裏返すたび人の顔が出てきた。結人は材料を安くする工夫ならできる。しかし、見えない仕事を無かったことにはできない。
「僕の取り分を削ります」
ミラは即座に横線を引いた。
「また、自分だけ無給で帳尻を合わせる気ですか」
「店が続くまで」
「あなたが倒れたら、修理責任者が消えます」
結人は次の案を書けなくなった。
そこへテオが、公演の売上袋を持ってきた。
「貸衣装へ入れる」
「主役料、減らされたでしょう」とミラ。
「だから、俺の一着だけ抱えてても次の仕事は来ない」
劇場へ置いた貸衣装棚は、まだ祭典用の派手な物ばかりだ。テオは自分の青布を最初の一着として出し、借りるたび少額を返してもらい、次の修理と衣装へ回したいという。
ミラは袋へ手を伸ばさず、質問を始めた。
「汚した人が払えない時は」
「俺が」
「それでは一人目で終わります。返さなかった時は。身体に合わず破れた時は。借りた人が公演で金を得た時は」
テオは頭を抱えた。
「金を出すって、こんなに面倒なのか」
「善意を、後から別の人の借金にしないためです」
三人は夜更けまで札を動かした。借りる前に試し、合わなければ無料で戻せる。壊れた理由を調べ、普通の使用なら修理費は棚から出す。公演収益が出た時だけ、借りた人が選んだ額を次の一着へ回す。
試しにテオの青布を結人へ掛けると、肩の高さが合わず、裾が床を引きずった。テオ用の一着をそのまま貸すだけでは、借りる人の身体を役者へ近づけることになる。
そこで、長い青布と色糸を分け、支える場所だけ借りる人ごとに付け替える。元の形を残しながら、別人の歩幅へ合わせられるようにした。貸衣装は完成品を回す仕組みではなく、毎回少し縫い直す仕事になった。
ミラは必要時間を計算し直し、最初の料金より少し高くした。安くする話から始めたのに、責任を残すほど価格は上がった。
テオはため息をつき、それでも青布を棚へ掛けた。
翌朝、最初に借りたのは舞台役者ではなく、結婚式へ出る魚屋だった。青布は腹の上で大きく膨らみ、テオとは全く違う形になる。
「似合う?」と魚屋。
結人が答える前に、本人が鏡を見て笑った。
「今日は、これでいい」
貸衣装札の最初の欄へ、テオではない名が書かれた。




