第87話 衣映え
祭典の翌朝、ORIGOの床には、昨夜の紙花が靴跡の形で残っていた。
テオは失恋相手から返された飾りを耳へ二つとも付け、朝食の丸パンを三つ盗んだ。ラナは鏡の裏で眠っていた子どもを起こさないよう、裸足で箒を動かす。エリアーヌは値切って買った青石を窓へ吊り、朝日が揺れるたび、自分の頬へ同じ青が落ちるのを何度も確かめた。
結人は片付けより先に、泥色になった失敗布を壁へ掛けた。笑い声まで残せるわけではない。それでも布を見るたび、誰かが昨日の転び方をまねて、また笑った。
昼前、配信石広場は昨日より混んでいた。
七十枚の鏡に映った姿が、磨かれた石の中で何度も再生されている。テオの背中へ橙色が遅れて咲く場面、淡緑の女が青石を追いかける場面、ラナの裸足が白線を踏み消す場面。人々は好きな瞬間が来るたび、指を伸ばした。
「この身体、衣映えするな」
露店の若者がテオを指して言った。
肩が広く、腰の金線が細い。布の遅れが鏡の枠へきれいに収まる。何気ない褒め言葉は、昼には注文札の横へ書かれ、夕方には劇場の審査項目になった。
昼前には、露店で肩を広く見せる棒と、腰の線を細く見せる色粉まで売られ始めた。売り子は昨日の記録映像を指し、「この角度なら鏡へ全部入る」と客の身体を横へ向ける。
結人は最初、その熱気を嬉しく見ていた。自分たちが作った布を、見知らぬ人が真似している。祭典へ来られなかった地方の客からも注文札が届き、ORIGOの扉が朝から開かなくなるほど人が並んだ。
ノアは列を見ても笑わなかった。
「何人が、昨日まで自分の肩を嫌ってなかったと思う?」
結人は答えず、目の前の注文を取った。嬉しさを責められた気がして、少し腹が立った。
次の公演の衣装審査で、大柄な役者ドムがテオと同じ青布を着けた。
布は彼の背中で大きく膨らみ、鏡の外へはみ出す。客席から見れば迫力があるのに、配信石の小さな枠では肩と裾が切れた。
審査員は演技を見る前に首を振った。
「記録へ収まりにくい」
「舞台は石の中じゃない」とテオ。
「石の中を見て客が来る」
ドムはまだ一度も台詞を言っていない。結人はすぐ型紙を広げた。布の切替を縦へ寄せ、肩を細く見せ、鏡の角度を変えれば――。
審査室の外では、ドムの娘リリが父の出番を待っていた。祭典の日、彼女は父の肩へ乗り、七十枚の鏡越しに舞台を見ている。その時の大きな背中を「城壁みたいだった」と何度も話していた。
今日、審査員が欲しいのは城壁ではない。配信石の四角へ収まる柱だ。
結人は肩の膨らみを畳む折り線を引いた。ほんの少しだけなら、ドムの動きを殺さず見える範囲へ入れられる。技術としてはできる。だからこそ、頼まれていないのに手が進んだ。
ドムの大きな掌が紙を押さえた。
「俺の身体を、枠へ入る形に直すのか」
「動きを全部見せるためです」
「全部見せたいかは聞かれてない」
結人の手が止まる。
ドムは青布を外し、自分の腰の紋だけで一度歩いた。石床が響くほど重い足音だった。鏡には半分しか入らない。それでも、舞台の端にいた掃除人が思わず振り返った。
審査結果は不合格。
帰り際、ドムは衣装を結人へ返さず、代金を払った。
劇場を出ると、リリが走ってきた。父の不合格札は読めない年齢で、青布の端を持ち上げる。
「今日、城壁やった?」
ドムは一度だけ審査室を振り返った。肩を細く見せる折り線が、結人の紙に残っている。
「今夜、家でやる」
娘は両腕を上げ、客席役をすると宣言した。ドムは落ちた名前札を拾わず、青布だけを抱えた。
「出られないのに?」
「今夜、娘へ見せる。枠の外まで見てくれる」
その言葉に救われた気がして、結人は「よかった」と言いそうになった。ドムが審査を失った事実は何も変わっていない。
ORIGOへ戻ると、客が「テオの肩に見える服」を求めて並んでいた。店員の一人まで、入ってきた人の肩幅を先に見ている。
結人は作業台の端に、ドムが使わなかった審査札を置いた。
札の小さな枠には、彼の名前だけが途中で切れていた。




