第86話 拍手だけの成功
本番の朝、王都広場には七十枚の鏡が朝日をばらばらに返していた。
舞台裏で結人は、テオの色糸、ラナの骨輪、アミの可変留め、カナの発光石を同時に確認しようとしていた。三人目の裾へ手を伸ばしたところで、ノアが背中を押す。
前夜ほとんど眠っていない。鏡の角度が気になって夜明け前に広場へ入り、テオの裾を一度ほどき、ラナの銀粉へ水気が混じっていないか嗅ぎ、カナの袋へ火花石を詰めすぎるなと書いた札を三枚貼った。
本人たちは結人がいないところで、その札を一枚ずつ剥がした。
「壊れた時の順番だけ確認します」と結人。
「誰が止める?」とノア。
「本人です。声が出なければ手を二度。倒れたら僕が切る」
「それで十分」
ノアは彼の指から針を抜き、作業箱へ戻した。作る側が舞台袖に残れば、本人の一歩まで直してしまうと知っていた。
「客席へ」
「まだ見ていない縫い目が」
「壊れたら呼ばれる。今は作った人も見る側」
結人は不満を抱えたまま、鏡の外側へ座った。
最初に歩いたのはラナだった。
服は着ていない。肩の銀粉と足首の骨輪、深い呼吸で揺れる腰の紋だけ。石へ触れる裸足の音が、広場のざわめきを少しずつ静めた。彼女は三本ある道の中央を選び、途中で一度立ち止まる。誰かに見せるためでなく、自分の傷のある肩を確かめてから、テオへ手を伸ばした。
テオが青布を引いて現れる。
裾は身体より遅く、色は裾よりさらに遅れた。彼が腕を開き、何も起きない一拍がある。観客が息を止めた後、背中へ橙色が咲いた。
結人は自分が作った布なのに、初めて見るような気がした。
三番目は、淡緑の飾りを付けた名なしの女だった。
王家の深紅を薄い膜で隠しているため、エリアーヌだと気づく者はいない。左右の木輪は形が違い、膝には偽物の青石。王族らしくない大股で歩き、途中で青石を落とした。
石が鏡の間を転がる。
彼女は護衛を呼ばず、自分で追いかけた。腰を屈め、あと少しで掴み損ね、二度目でようやく拾う。客席から笑いが起き、それが拍手へ変わった。
結人も笑った。女王の失敗ではなく、一人の出演者の失敗を見て笑えた。
その後は順番が崩れた。
子どもたちは未完成の布片をその場で留め、老人は火花の代わりに貝殻をポケットへ入れ、黒紋の無料見本膜を試した職人が裸身の踊り手を次へ呼んだ。司会は名前札を何度も落とし、最後には進行を諦めた。
小さな失敗はいくつもあった。裾が鏡の角へ掛かり、発光石が一つ割れ、ラナの銀粉がテオの顔へ全部移った。けれど誰も怪我をせず、本人が止まり、外し、直し、続けるかを決めた。
終幕で全員が並ぶ予定はなかった。
テオがラナを呼び、ラナが淡緑の女を呼び、そこから客席のカナへ手を伸ばした。カナが鏡を貸した床屋を引っ張り、床屋が隣の老人を連れる。気づけば、演者と観客の境が分からなくなっていた。
拍手は、合図より先に起きなかった。
市場の子ども二人が手を叩く。次に魚屋。その隣の旅人。七十枚の鏡の間で音が増え、広場の石壁へ何度も返った。
結人は立ち上がれなかった。嬉しくて、膝に力が入らない。
ノアが横へ座る。
「用途、見つかった?」
結人は首を振った。
「なくていいです」
終演後、注文台にはこれまでで一番長い列ができた。ミラは売上札を結人へ見せようとせず、布を掛けた。
列の先頭にいたのは、荷役人でも治療師でもなかった。昨日まで服を「死者みたいだ」と言っていた菓子屋の女主人が、明日の休みに着る黄色を欲しいと言う。次の少年は、何も買わずテオの青布をもう一度見たいだけだった。三人目の老夫婦は、二人で一枚を持って歩ける布を頼んだ。
結人は用途を聞きかけるたび、言い方を変えた。
「どこで使いますか」
「まだ決めてない」
「何ができるように」
「できなくていい」
答えに困るたび、胸の奥が軽くなった。服を作る理由が、自分の知っている動詞より多い。
「今だけは見ないでください」
「最大ですか」
「質問を変えないと答えません」
結人は列の先を見た。何かを運びたい人も、声を届けたい人もいない。ただ一度、自分が好きな姿を試したい人たちが並んでいる。
広場の最後の鏡には、服を着た結人と、裸身のラナと、淡緑の女と、白羽を付けたカシウスが同時に映っていた。




