第83話 鏡を七十枚
ノアが集めた鏡は、どれも揃っていなかった。
床屋の細長い鏡、浴場の曇った鏡、旅籠の欠けた手鏡、貴族が手放した大鏡。七十枚を王都広場へ運ぶため、朝から荷車が三台動いた。
貸し出す条件もばらばらだった。床屋は閉店までに返せ、浴場主は曇りを拭くな、旅籠の女将は昔の恋人の名が裏へ彫ってあるから隠せと言う。貴族の大鏡だけは、角を欠けさせたら金貨二十枚だった。
ミラは借用札の山を見て額を押さえた。
「舞台より鏡の方が高い」
「観客も映すなら、観客席の一部です」とノア。
「壊した時にその理屈で払えるなら結構です」
結人は毛布と藁で鏡を包んだが、包みすぎてどれがどの鏡か分からなくなった。カナがポケットから色糸を出し、持ち主ごとに結び分ける。役に立つ小さな工夫が、役に立たない祭りを支えていた。
「王宮の大鏡を借りれば十枚で済みます」と結人。
「同じ顔だけが大きく映る」
「割れる危険も減ります」
「違う高さ、違う歪みで見たいの」
運搬を仕切ったのはカナだった。世界最初のポケットは、半年の間に市場のあちこちへ広がっている。釘を入れる深袋、木栓だけの浅袋、割れ物を包む柔らかな内袋。カナは腰の三つのポケットから必要な物を迷わず出した。
十二枚目を持ち上げた時、枠が腐って外れた。結人が飛び込み、鏡だけを抱えて石床へ転がる。映ったのは、王国の旗を巻いた初日と同じ、必死で格好悪い顔だった。
「役に立つ服屋さん」とカナ。
「鏡には役に立ってます」
設営後、ノアは鏡を舞台へ向けず、半分を客席へ向けた。
向きを決める試験で、通行人が何度も足を止めた。自分の腰の紋が細長く伸びる鏡には笑い、傷が深く見える曇り鏡には顔をしかめる。見たくない者は鏡の裏を通り、子どもは鏡と鏡の間で自分の像を増やした。
ノアは一枚ごとに正しい角度を決めようとしたが、正午の光と夕方の光で映る場所が変わった。結局、下部の枠だけを緩くし、当日の係が少しずつ動かせるようにする。
「七十個も答えを残すの?」と結人。
「七十個、変えられる場所を残すの」
ノアはそう言いながら、中央の一枚だけは自分の好む角度へ強く締めた。
「見ている人も見られる」
テオが青布で白線を歩く。七十枚は同じ動きを少しずつ違う時刻で返し、身体と布の遅れが波のように広がった。次にラナが銀粉だけで歩く。鏡は肩の古傷も、観客が息を呑む顔も隠さない。
結人は客席へ座らされた。
舞台の外で服を着ているのは彼だけだ。鏡の端々に、布で胸や腰を覆う自分が映る。周囲の裸身者より目立たないために着ているつもりなのに、むしろ布の塊として浮いて見えた。
彼は無意識に前を閉じた。
「隠したい?」とノア。
「見られているのが分かるだけです」
「いつも人の肩と腰を見てるのに」
「仕事です」
「見る側は、だいたいそう言う」
答えが出ないまま、ノアは鏡の一枚を少し回した。そこには結人だけでなく、隣で頬杖をつくエリアーヌの姿も映った。今日は視察名目で来ており、王家の深紅を隠していない。
「鏡の中なら、王と無彩者が同じ大きさですね」と結人。
「現実でも同じだ」
「陛下は少し背が高いです」
エリアーヌが肘で小突いた。
夕暮れまでに舞台設計が決まった。鏡は演者だけでなく、観客、通り過ぎる人、裏で働く者まで拾う。誰か一人を正面にしない。
最後の一枚だけ、ノアは舞台へ向けず、入口に置いた。
祭典へ入る直前の自分を見るためだった。




