第80話 似合わない王
王宮の私室へ運び込まれたのは、宝石ではなく市場の安物だった。
色の剥げた髪留め、偽物の青石、木の腕輪、左右で形の違う耳飾り。寝台の上へ並べると、露店一つをひっくり返したように見える。
「王に見えない姿にしろ」
エリアーヌは鏡の前で命じた。深紅の腰の紋は、感情を抑えていても王旗のように鮮やかだ。顔を伏せても、歩き方を崩しても、国民はその光を見れば膝を折る。
ノアは淡い緑の細布を肩へ掛けた。
「病み上がりの蛙」とエリアーヌ。
「王には見えません」
「似合うとは言っていないな」
結人は吹き出しそうになり、青石を手に取ってごまかした。ノアが今度は緑と橙の腕輪を重ねる。王宮の侍女が息を呑むほど似合わない。
エリアーヌは結人を見た。
「どうだ」
「とても、よく……」
「嘘だな」
「王らしくはありません」
「私は、似合うかと聞いた」
結人は鏡の中の彼女を見る。深紅の紋、淡緑の布、安い青石。調和しているとは言えない。だが、国旗にも肖像画にも見えない。その不格好さに、本人だけの顔がある。
「見慣れていません。でも、もう一度見たいです」
エリアーヌの口元が少し緩んだ。
三人は夜の市場へ出た。護衛は距離を置き、ノアが王らしい歩幅を狭くする。エリアーヌはわざと背を丸めたが、露店の前で値札を見る時だけ真っ直ぐになる。
最初の露店で、エリアーヌは焼いた豆を一袋買おうとした。銅札を一枚出すと、店主が二枚だと言う。
「昨日は一枚だった」
「昨日より香草が高い」
「王都の市場価格表では――」
ノアが咳をし、結人が慌てて彼女の肩を押した。価格表を暗唱する通行人は珍しい。エリアーヌは一度唇を噛み、豆を半量にして一枚で買った。
紙袋を受け取った時、店主は跪かなかった。代わりに「こぼすなよ」と言った。
エリアーヌは歩きながら三粒ずつ分けた。自分が一番多く取ったので、結人が見る。
「私が買った」
「一枚しか出してません」
「値切った者の取り分だ」
王宮では見たことのない、少し意地の悪い笑いだった。
青石の店主は彼女を女王と気づかず、偽物だから安いと説明した。
「本物より青いのに?」とエリアーヌ。
「本物は光を溜める。これは色だけだ」
「色だけで十分な夜もある」
彼女は値切った。王国予算を何千枚も動かす女が、銅札二枚を巡って店主と真剣に争う。結人は横で笑い、ノアに肘をつつかれた。
帰り道、エリアーヌは青石を膝の横へ結んだ。歩くたび、安い石がこつんと骨へ当たる。
「祭典へ出る」
「女王としてですか」
「今夜の名で」
「今夜、名前を決めていません」
彼女は少し考えた。「なら、名なしでよい」
王宮裏門へ着く直前、巡回兵が三人を止めた。兵は深紅の紋を見て凍りつき、すぐ膝をつく。
兵が膝をつく音で、通りの人々も振り返った。市場で豆を売った店主が遠くから顔を青くし、袋の値段を間違えたと叫ぶ。
エリアーヌは返金を断った。だが一度知られた深紅は、どんな安い飾りより強い。護衛が駆け寄り、道の両側へ人を下がらせる。数息前まで肩をぶつけて歩いていた女が、急に遠くなった。
結人は淡緑の布をもう少し広げようとした。深紅を隠せば、夜を続けられるかもしれない。
エリアーヌが手を止めた。
「今日は終わりだ。隠して続ければ、次はお前の布が私を閉じ込める」
悔しそうに言いながら、残った豆を一粒だけ口へ入れた。
匿名の夜は、あと十歩で終わった。
エリアーヌは怒らず、膝の青石を外して結人へ渡した。
「祭典の日まで預ける。失くすな」
「安物ですよ」
「私が値切った。もう私物だ」
結人は青石を自分のポケットへ入れた。空だった場所に小さな重さが増え、歩くたび音がした。
次の露店で、店主が二本の串焼きを掲げた。
「連れなら二本で銅札一枚」
「連れではない」とエリアーヌ。
そう言いながら一枚だけ払い、大きい方を取る。結人が抗議すると、彼女は青石の値切りに成功した分だと言った。
匿名の残り七歩を、二人は串焼きの大きさで言い争いながら歩いた。




