↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
76/79

第76話 千本に勝てない一着

事故から三十七日後、エナは港へ戻った。


荷役人としてではない。


新しい綱場の中央に低い台を置き、その上へ座る。右肩は以前から高く上がらず、左手は三本の指と前腕の支えを使う。彼女の前には、新人が十二人並んでいた。


「速い結びを教えてください」と一人が言う。


「教えない」


ざわめきが起きる。


「私の昔の手は、もうない。あんたたちの手も、私と同じじゃない。今日は、失敗した時に自分でほどける結びから始める」


エナは縄を杭へ掛ける。


一息で投げない。輪を届け、一度支えへ預け、手首を休めてから締める。事故前の半分以下の速さだ。


新人たちが真似る。五本指で同じ形を作ろうとした者へ、エナは縄を返した。


「私に合わせるな」


その声を聞き、結人は綱場の外で笑った。


ORIGOが作った片手用具は、エナ一人の前腕へ付いている。大港の作業員の腰には、黒紋商会の千本が並ぶ。朝の鐘が鳴ると、同じ手順で検査され、同じ棚から交換部品を受け取る。


数では、比べるまでもない。


それでも、エナの前にいる十二人は、黒糸から昔の動きを受け取るのではなく、自分の手で結び、失敗し、ほどいている。


カシウスが結人の隣へ立った。腰には、食堂の売り場で買ったORIGOの帯を着けている。黒い仕事着の上で、灰色の布だけが妙に目立つ。


「修理を頼みに来ました」


「壊れたんですか」


「左の支えが合いません」


結人はすぐしゃがみ込み、帯を触る。カシウスは歩く時、右足より左足がわずかに早い。数字を確認しながら進む癖で、左腰へ重さが偏る。


「標準に合わないですね」


「不愉快そうに嬉しそうですね」


「複雑です」


結人は一穴ずらし、支えを柔らかくした。


「代金は」


「競争相手価格で二倍」


「商売が上手になりました」


「まだ、四本しか売っていませんからね」


二人は港を見た。


主契約は黒紋商会。セラは検査場に残り、千本の修理網を整えている。ORIGOの累計百本のうち、四本は買い手の仕事場に、九十六本は潮待ち港にある。門外の店はまだ扉を買えていない。


負けたものは戻らない。


エナが十二人目の結びをほどき、台から立った。正式な復帰を示す港札を、ローデンが渡す。


札には「荷役人」ではなく、「結索教官」と刻まれていた。


彼女は長く見た後、自分の腰へ下げた。


「運ばないんですか」と新人。


「運べる日は運ぶ。教える日は教える。札に身体を決めさせるな」


昼になると、食堂で小さな祝いが開かれた。バシュが酒を持ち、リコが赤い貝殻をエナの支えへ付けようとして断られる。ミオラは欠けた黄色い木魚を持ってきた。


「直す?」とアミが尋ねる。


エナは二片を見比べ、自分で細い穴を開けた。結人は手を出さない。二片をぴったり戻さず、間へ短い青糸を渡す。欠けた幅だけ、魚の身体が長くなる。


「前と違う」とアミ。


「今の方が泳ぎやすい」


黄色い魚が、教官札の横で揺れた。


食堂の戸が開き、ノアが入ってきた。両腕に色布を山ほど抱えている。港の灰色と黒ばかりを見てきた目には、眩しいほど派手だった。


「結人。次の依頼」


「何を運びますか」


「何も」


ノアは一枚の布を広げる。光を受けるたび、青から金へ色が変わる。支えも非常糸もない。


「今度は、役に立たなくていい服を作って」


結人は灯祭りで揺れた色布を思い出した。荷重を支える形では見せられなかった色が、目の前で金へ変わる。


「今度は、見て格好いいと言わせる方で勝負ですね」


匙を置き、両手で布へ触れた。


カシウスが先に笑う。


エナは新しい左手で酒杯を持ち上げた。こぼしたが、誰も拭かなかった。床に落ちた一滴が、色布の金を映していた。


カシウスは金色に変わった布を指で弾いた。


「役に立たない物を、何着売れると思いますか」


「あなたより一着多く」


「では私は、その一着を最初に買います」


結人は喜びかけて、競争相手に先を越されたことへ気づいた。床の酒を拭かなかった者たちは、もう一度笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。