第72話 遠い桟橋へ
事故から二十九日後、売れ残りの九十六本は小さな漁船へ積まれた。
王都から海沿いに半日。大港の規格品が届かない入江に、潮待ち港と呼ばれる村がある。石の桟橋は一本だけ。巻上げ機もなく、魚籠も網も人の肩と腰で運ぶ。
「新品は要らない」と村長は言った。
結人は船から降ろした帯を抱えたまま固まる。
「見てもいないのに?」
「王都の道具は、壊れたら王都へ返せと言う」
「これはここで直せます」
「直す針はある。直していいと言う紙がない」
結人は百本目の契約を思い出した。使う人が変えた部分は本人のもの。共通の安全骨だけ、危険がないか確かめる。
「切ってもいいです」
村長が疑う。「本当に?」
「僕が泣くかもしれませんが、止めません」
エナが横で笑った。彼女は荷役へ戻っていないが、片手用具の使い方を村の結び手へ見せるため同行している。
漁師たちは遠慮しなかった。
腰帯を半分に切り、魚籠の底へ渡す。長い支えを網修理台の足へ巻く。非常糸を、夜の海で見える浮きへ使う。結人が「それは身体へ――」と言いかけるたび、村長が眉を上げた。
「切っていいんだろ」
「はい」
一本の完成品が、三つの道具へ変わる。
最初は胸が痛んだ。百本目まで作った形が消えていく。自分の線を残したい気持ちが、指先を何度も動かした。
昼過ぎ、若い漁師が切った帯を腰へ巻いた。魚籠用に短くしたせいで、身体へ使うには長さが足りない。彼は村の古い網紐を足し、自分で支え位置を決める。
「そこは危険です」と結人。
漁師は止まり、「どこが」と聞いた。
結人は取り上げず、赤い安全骨が内側へ割れる向きを示した。二人で部品を返し、もう一度試す。
魚籠を持ち上げる。
帯は腰へ重さを落とし、網紐は村の結び方でしなる。王都の百本にはなかった形だ。
夕方、漁船が戻る頃には、九十六本のうち六十三本が別の道具になっていた。残り三十三本は、次の嵐まで倉庫へ置くという。
代金は少ない。金ではなく、干した魚と、村で採れる強い草糸が半分を占めた。
ミオラが帳面を見て言う。「給料にはしにくい」
「食べられます」
「家賃は魚で払えない」
「少しずつ売ります」
商売としては、まだ下手だった。
それでも、村の帰り道、桟橋にはORIGOの帯だった物が働いている。魚籠を支え、網を張り、夜の浮きを光らせる。
エナは片手用具で新しい結びを一つ教えた。村の少女がそれをさらに短く変え、三本の指でも解きやすくする。
「名前は?」と結人が聞く。
少女は首を振った。「使うたび変わるから、まだない」
結人は名札を出さなかった。
船が入江を離れると、村長が切り分けた布端を旗のように振った。
その足元では、元は同じ一本だった布が、魚籠と網台を別々に支えていた。




