第68話 名前より納期
契約を失った翌日、結人は港の食堂へ八十七本を並べた。
主契約には選ばれなくても、作業員が自分で買ってくれるかもしれない。一本ずつ直せる。作った者の名が内側にある。身体へ合わせて支えを替えられる。
どれも本当の長所だ。
値札を書いたミオラが、小声で言った。「黒紋の二倍」
「材料と工賃を入れると、これでも赤字です」
「皆の財布には関係ない」
昼の鐘が鳴り、作業員たちが食堂へ入ってくる。
最初にリコがORIGOの帯を手に取った。赤い貝殻の付いた、自分の試作品だ。何度も使い、もう身体へ馴染んでいる。
「いくら?」
結人が答える。
リコは値札と自分の財布石を見比べ、帯を台へ戻した。
「今月、弟の薬がある」
「分割でも」
「黒紋なら、港が貸してくれる」
次はバシュ。彼も匙の付いた帯を気に入っていた。だが、家賃の支払日を聞くと首を振った。
「格好いいんだけどな」
格好いい。その言葉だけなら、結人は嬉しかったはずだ。
作業員たちは次々に触り、褒め、戻した。黒紋商会の帯は契約品として無償で借りられる。壊れれば港が交換する。ORIGOを選ぶには、自分の金を出さなければならない。
結人は説明を増やしたくなった。
長く使えば安い。修理できる。名が残る。本人が直せる。
口を開く前に、エナが隣へ座る。
「説得する?」
「価値を伝えるだけです」
「買えない人に?」
結人は黙った。
理念で腹は満たせない。作り手の名を守る帯を買ったために、家族の薬が減れば、その正しさは誰のものになる。
午後までに売れたのは四本だった。
一つは裕福な船長。二つは自分の工房で使う親方。最後の一本は、カシウスが私費で買った。
「何に使うんですか」と結人。
「私が着ます」
「標準帯があるでしょう」
「あなたの一着を欲しいと言いました」
カシウスが選んだのは、飾りのない腰型だった。結人は彼の歩き方を見て、支えを一つ変えたくなる。だが売り場で始めれば、また日が暮れる。
「修理が必要になったら来てください」
「失敗しなくても来ます」
「用がないのに?」
「競争相手の店を見たいので」
腹立たしい客だった。
夕方、売れ残りを木箱へ戻す。八十三本。
ミオラが帳面を開いた。給料日まで四日。工房の金では、全員へ満額を払えない。
結人は帆縫いのマルタと見習いのソウを呼んだ。
「次の仕事が決まるまで、毎日の契約を続けられません」
マルタは驚かなかった。「火から助けた相手を、すぐ首にするのか」
「すみません」
「謝ったら賃金が出る?」
「出ません」
言葉がなくなる。
ソウは作業台の下から自分の針箱を取った。最初の分業日に考えた折り方は、百本の腰骨に使われている。
「僕の名は残りますか」
「全部に」
「なら、次の工房で見せられる」
彼は泣かなかった。結人の方が泣きそうだった。
ミオラが、昼に帯を買った網工房の親方の受取札を差し出した。裏には、折り留めを作った者を紹介してほしい、と書いてある。
「明後日、朝の試し仕事。半日分の賃金は出すそうです」
結人はソウが最初に折った試作片を棚から外した。量産へ移す時、紙に写しただけでは伝わらず、皆で触って覚えた角が残っている。
「これも持っていってください。紙より説明しやすい」
ソウは自分の針箱に、折り目を潰さない空きを作った。採用が決まったわけではない。だが箱を閉める前に、その角をもう一度指でなぞった。
マルタは出ていく前に、売れ残りの帯を一つ叩いた。
「物は悪くない。売る場所を間違えた」
二人の椅子が空になる。
結人は値札を外し、四本売れた代金を帳面へ置いた。足りない数字は、どれだけ見ても増えなかった。
夜、カシウスが買った一本だけ、壁の掛け金が空いていた。売れたことを喜びたいのに、そこへ視線が戻るたび、空いた二つの椅子も見えた。




