第58話 海から来た火
二十七日目の夕方、港へ戻ったのは船ではなく火だった。
樹脂樽を積んだ交易船の帆柱へ雷が落ちた。火は帆を伝い、樽の一つを割る。燃えた樹脂が海面へ流れ、波の上を走って西桟橋へ届いた。
最初の鐘が鳴った時、結人はORIGOで非常糸を縫っていた。
二度目で針を置く。
三度目が鳴る前に、エナが工房へ飛び込んだ。
「西だ。風が倉庫へ向いてる」
門外から港まで、結人は走った。途中で言語札の紐が胸へ当たり、息が切れる。素肌の守りがない肺は煙に弱い。セラが濡れ布を渡し、口元へ巻かせた。
港では白い煙が地面を這っていた。
祭りの灯りを吊った杭が、今は炎の道標になっている。穀物倉庫、冷蔵庫、巻上げ塔。二十七日間通い続けた場所が、煙の向こうで形を失っていた。
「バシュは?」と結人。
「第五倉庫」とエナ。
「リコ」
「西の樽場」
「トリオは」
「鐘楼」
知っている名が、場所へ結びつく。だが風向きが変わるたび、場所の方が消えた。
ローデンが指揮台で叫ぶ。「黒紋帯を着けている者は、最後に通った検査門ごとに集めろ! ORIGOの帯は、持ち場の班長が数えろ! 膜も帯もない者は紙名簿と旗だ!」
既存の鐘、色旗、証人名簿が動き始める。黒紋商会の千本は、通過した門で最後の動きを残している。位置を教える魔法ではない。それでも、誰がどの区画へ入ったかを絞れる。
カシウスは三枚の大板を並べ、技師へ命じた。
「動きが止まった印だけ赤へ。名前は出すな。救助後に照合する」
結人は完成したORIGOの帯を数えた。回収後に作り直した二十九本。百には遠い。
「どこへ行く」とガルド。
西倉庫から、低い破裂音がした。梁が落ちた音だ。
その時、煙の中からリコが這い出した。左腿の帯は焦げ、赤い貝殻が一つ欠けている。
「中に三人。マルタと、ソアンと、荷札係」
セラの顔が変わる。マルタは一緒に帯を縫った職人だ。
「行く」
「セラさんは外で縫い直しを」と結人。
「命令するな」
「頼みます。入った後、壊れた帯を直せる人が必要です」
一瞬だけ睨まれた。セラは濡れ布を結人の口へ強く押しつけ、外へ残る。
結人、ガルド、エナ、バシュが西倉庫へ向かった。途中、黒紋商会の救助隊が別の列で走る。競争のためではない。誰も互いを見ない。
煙の壁へ入る直前、結人は振り返った。
港の採点板が倒され、避難路のぬかるみへ渡されていた。誰かがその上を、負傷者を背負って走る。納期の文字が泥の下へ消えた。
倉庫の中から、木の裂ける音と、人の咳が聞こえる。
結人は自分の帯の輪を確かめ、煙へ踏み込んだ。




