第53話 名のない縫い手
二十二日目、港の裏町から二十本の帯が届いた。
納期を取り戻すため、セラが帆縫いの小工房へ頼んでいた分だ。縫い目は揃い、凍結時に内側からほどける新しい糸も正しく入っている。
検査を終えたセラが、内側の名札を開いた。
そこには、依頼先の親方の名しかなかった。
実際に縫った者の印は、ほどかれている。針穴だけが五つ、名札の端へ残っていた。
セラは二十本を木箱へ戻した。
「返す」
工房の親方は、港まで追ってきた。「品に問題はない」
「名を消した」
「うちの仕事として納める決まりだ。縫い子の名まで並べたら、取引先が直接引き抜く」
「消すと知って受けたのか」
「皆、賃金が要る」
親方の後ろに、五人の縫い手がいた。年配の女、片目を細めた若者、赤子を背負った人。誰もセラと目を合わせない。
「返したら、今日の賃金は?」と結人。
親方は肩をすくめた。「検収されなければ出せない」
セラの顎が固くなる。
正しいのは、名を消した品を受け取らないことだ。だが、その正しさで最初に困るのは、名を消した親方ではなく、縫った五人だった。
結人はセラの横へ立ち、声を落とした。
「出来ている二十本は試験に使えます。名を直す費用を親方の取り分から引いて、賃金だけ先に五人へ払えませんか」
セラは注文書を開いた。縫い手の印を残す条件へ指を置き、親方に向ける。
「ここを直して渡す約束だった。五人は縫った。あんたがほどいた分を、五人の賃金から引くな」
親方は材料代も未払いだと抗議した。ミオラが支払欄を二つに分ける。材料代は確定分を支払い、賃金は本人へ直接渡す。親方への工賃は、名を消した手直し分を差し引いて精算する。
セラが結人へ頷いた。「売る前に、もう一度全部引いて調べる。その検査分の金は残せ」
それでも給料日前の箱は薄くなる。結人は自分の取り分を後へ回すと告げ、他の縫い手の分には触れなかった。
結人は五人の縫い手へ尋ねた。「自分の印を戻したいですか」
赤子を背負った人が、小さく頷いた。年配の女は首を振る。
「親方に知られたら、次の仕事がない」
同じ答えではなかった。
名を入れたい者は戻す。入れたくない者は、本人だけが分かる糸の位置を選ぶ。将来、証明したい時だけ開けるよう、内側へ折り込む。
作業場の隅で、五人が自分の帯を縫い直した。セラは手を出さず、失敗したところだけ指で弾く。結人は赤子を抱かされ、泣かれる。ガルドが抱くとすぐ静かになり、結人は少し傷ついた。
夕方、二十本の内側には五通りの名が残った。
ミオラは支払い板を計算し、深く息を吐く。「先払いが増えた。新しい注文が来るまで、あなたの取り分は待って」
結人が財布代わりの石へ触れても、彼の名では反応しない。セラが支払いを行う。銀貨が五人の掌へ渡る音を、結人は横で聞いた。
親方は怒って帰った。今後、その工房から仕事は来ない。
給料日後の材料を買うには、新しい注文が必要だった。セラは帆修理の空き時間を探し、結人は自分の支払欄へ延期の印を押した。
最後の縫い手が去る前、赤子を背負った人が結人へ一本の細い針を渡した。
「代金が余ったら返して」
「いつになるか分かりません」
「なら、長く使って」
針は安物で、少し曲がっていた。
結人はそれを自分の針箱へ入れた。高価な銀針の隣で、曲がった一本だけが蓋に当たり、閉めるたび小さな音を立てた。




