第111話 鏡を割らない
撤収後の広場で、一人の男が鏡を持ち上げた。
「これが娘を比べた」
男の名はギル。ユナが審査から外された日、彼は理由を聞きに来たが、係員から配信石の枠へ収まりにくいと説明されただけだった。鏡の前で肩を開かされた娘は、その夜から祭りの記録を見なくなった。
今日、売上ゼロの舞台へユナが自分で出た。喜ぶべきなのに、父の怒りは消えない。戻れたから最初の傷がなかったことになるのを恐れている。
鏡を壊せば、少なくとも同じ道具で次の子を測れない。彼にはそれが具体的な行動に見えた。
七十枚のうち、ノアが最初に選んだ欠け鏡だった。男の娘ユナは祭典の審査で「衣映えしない」と外されている。
「これが拍手を作った。こんな物は――」
石床へ叩きつけようとする腕の前へ、ノアが立った。
「私も比べた。鏡が勝手に言ったんじゃない」
「お前の道具だ」
「だから壊して終わらせたくない」
男の腕は震えていた。謝罪で済ませるなと繰り返す。
ノアは鏡を床へ置き、自分の顔を映した。
鏡には、彼女の顔とギルの腕と、後ろで止める言葉を探す結人が映った。
「私は、鏡を置けば皆が同じ大きさに見えると思った」
ノアは欠けた縁を触る。「でも、見やすい身体を中央へ集めた。見えない子を、鏡の外へ出した」
ギルは「分かっているなら、なぜ残す」と問う。
「私がまた便利に使いたくなった時、この名前を見るため」
まだユナの名は刻まれていない。それを聞いて、父は小刀を出した。
「私は、娘さんが何を着たいか聞く前に、肩を開いた方がいいと言った」
「覚えてるのか」
「覚えてなかった。記録を見て思い出した」
その方が男を怒らせた。
結人は弁償額を口にしかけ、飲み込む。金の話が不要なのではない。今は最初ではない。
ノアは、ユナ本人に会うまで祭典の仕事を受けないと言った。診断表を燃やすのではなく、誰がどこで使い、どの客が何を失ったか、一件ずつ辿る。
長い沈黙の後、男は鏡を下ろした。
許したわけではない。
彼は枠へ小刀で娘の名を刻んだ。
最初の一画が曲がり、二画目で木片が欠けた。ノアは直そうとせず、鏡を両手で支える。
ユナ本人が遠くから見ていた。父が最後の文字を書き終えると、彼女は近づき、「勝手に名前を刻まないで」と言った。
ギルの顔が固まる。
ユナは小刀を受け取り、姓の一部を自分で足した。父の怒りだけで自分を残されたくない。二人の文字は太さも角度も違い、枠の上でつながらなかった。
ノアはその不揃いを、きれいに彫り直さなかった。
「次の祭りで使え。名前を隠すな」
ノアは鏡を受け取る。七十枚すべてをORIGOへ戻さず、この一枚だけ結人へ渡した。
「預ける。戻ったわけじゃない」
「分かっています」
「その返事、前より信用しにくい」
結人は言い直さなかった。
夜、ORIGOの入口へ鏡を立てる。欠けた枠には、ユナの名が不揃いな文字で残っている。
通りを歩く人は、自分の姿と一緒にその名を見ることになった。
翌朝、ユナは鏡の前へ来た。桃色の服は持たず、父が彫った文字へ自分の指を重ねる。鏡の中の肩は以前と同じように丸い。ノアは離れた場所から見て、開けとも伸ばせとも言わなかった。




