第110話 売上ゼロの日
返金窓口には、広場を一周する列ができた。
硬貨が足りず、王宮の金庫から届くまで二刻かかった。待てない旅人には、宿代と一緒に後日返す札を渡す。ミラは名前を一つずつ確認し、同じ券を二度出した男も追い返さず、記録を照らして説明した。
列の横で、露店主たちは売れ残った食べ物をどうするか口論していた。無料で配れば仕入れが戻らない。捨てればもっと損だ。食堂主が最初の鍋を舞台へ運び、「食べた者は、払える日に払え」と札を置く。善意を美談にする余裕はなく、帳面だけは残した。
ミラと劇場職員が一人ずつ硬貨を返し、ORIGOの売上札は正午までにゼロへ戻った。スポンサー料も消え、貸衣装棚の積立まで差し押さえられる。
舞台では、帰らなかった客がアミの布箱を囲んでいた。
レオが代役衣装を箱へ戻し、自分の普段の身体で台詞を始めた。途中で言葉を忘れると、客席の老婆が続きを教えた。ラナは銀粉を持っていない人へ、水だけで肩へ線を引く。
ユナは父と来ていた。ノアの診断で外された少女だ。鏡のない舞台で、返品棚から自分で選んだ、マリエの桃色の服を手に持つだけで歩く。着るかどうかは最後まで決めなかった。それでも父は拍手し、ノアは客席の端で頭を下げた。
誰かが拍手の場所を決める装置はない。音は遅れ、途切れ、また別の場所から始まった。
出演者だけが歩く白線を消し、客も好きな場所へ上がる。服を着る人、色膜だけの人、裸身の人。テオは杖で歩き、跳ばずに台詞を読む。ラナは客の肩へ銀粉を一筋ずつ引いた。
結人は注文台を出さなかった。
壊れた留め具、裂けた裾、濡れた布を直すだけ。代金を差し出されても、今日は受け取らない。
「商売人として最悪です」とミラ。
「分かっています」
「褒めていません」
彼女も返金台を離れ、子どもの外れかけた留めを一度だけ直した。
午後、空いた席を人々が勝手に動かし、小さな舞台をいくつも作る。
金札の付いた前列椅子も、後方の古い椅子も混ざった。金札を買った客が、自分の椅子を子どもの舞台へ運ぶ。別の客は「高く払ったのに」と動かさず、その場で一人だけ座り続けた。
結人はどちらも説得しなかった。空いた場所へ低い木箱を並べ、座れない人には壁際の縄を張る。祭典を一つの正しい姿へ直すより、その場の困り事を小さく直す。
午後だけで、修理した物は十九。新しく作った服はゼロだった。ボルは鍛冶場の鈴を教え、カナはポケットの中身だけを見せる会を始めた。黒紋の色膜を使った人たちは、剥がした色を紙へ押して絵にする。
夕方、食堂の主人が余った煮込みを鍋ごと持ってきた。返金で硬貨を使い切った客も、出演料を失った役者も、同じ列へ並ぶ。
結人は修理台の下で、今日一度も新しい服を作っていないことに気づいた。何も生み出していないのに、肩の力が少し抜けている。
「売上、本当にゼロ?」とテオ。
ミラが帳簿を見せる。
「正確には、大赤字です」
笑いが起きた。
帰った客の空席は最後まで埋まらなかった。暗幕の掛かった鏡も、そのままだった。
その横で、知らない者同士が一つの布を広げ、左右から違う結び方を試していた。




